第1話 猿投の棒の手

愛知県豊田市猿投町                                              


 愛知県豊田市と瀬戸市の境界に聳える猿投山麓に鎮座している猿投神社では、毎年10月9,10日の両日(現在
では第2土日曜)に執行される例大祭(猿投祭)において、当地に伝承されている棒の手(鎌田流・見当流)の演技
奉納が行われる。私が当地をはじめて訪問した平成5年10月10日、地元の内外から詰め掛けた多数の善男善女で
境内は大変な盛況であった。

  棒の手の起源については数多くの諸説があり
  定かではないようである。しかし、愛知県下では、


  古くから各地で、社寺へ飾り馬(馬の塔、オマント、献馬
  ともいう)を奉納する行事が行われ、数多くの古文書等
  によると、(推定ではあるが)棒の手も、この行事に付随
  して天文年間から行われていたようである。
 
 
   同行の知人達と当地へ到着した時、祭礼の一団
  (警固隊)も神社へ到着したばかりのようであった。
   境内へ練り込むことなく、大門(総門)前に待機中の
   一団に対して、境内から太い棒を担えた4人の男性
  (八鎮)が現れると、



一団の代表者と儀礼を正して互いに口上を述べ合って
いる。彼らの誘導がないことには、どうも境内に入ることが
できないらしい。


 この点だけに限らず、猿投祭は祭礼としての古態を
良く保持しているらしく、毎年のように専門家や学生などが
研究のために当地を訪問しているようである。


さて、無事『開門』となると、八鎮の案内で一団は続々と
境内に入って来た。参道に控える鉄砲隊は、時を同じく
して一斉に発砲を開始する。



   辺りには凄まじい轟音とともに、火薬の香りと爆煙が立ちこめる。
  威風堂々と歩を進める一団のその姿は、この祭の見せ場のひとつである。


   大拝殿前に到着後、種々の神事と平行しつつ棒の手の演技奉納が
  行われた。複雑な術技の演目を少年達が立派に披露しているのには
  感心させられた。時間の経過と共に青年・壮年・そして最古参の長老格
  の方々が次々と演技を披露する。


   その演目も様々で、棒、剣(二刀)、槍、薙刀、鎌、十手、鞭、そして傘
  など、多種多様な得物を用いて攻防を行う。


 また、襷で得物を絡め取った後、素手による得物の奪い合いから空転受身を取ったり、目潰しを表現している
のか、境内の玉砂利を両手で掬うと相手へ投げつけ、その隙に相手の片足に、まるでレスリングのようにタックル
を試みたりと、演技には体術の心得も必要である。


 中には途中で手順を忘れたのか、演技を中断したり、
対峙した両者が疾走してきた後、「いざ対決」という
刹那、タイミングが合わずそのまま行き違ったりする
若者がいて、控えの演技者達や観衆から、ヤンヤの歓声
を浴びていた。


もちろん失敗には違いないだろうが、出演者、観衆とも
温かい雰囲気で見守っている。
 

 この日最も印象的であったのは、師匠格の長老の
方々の演技であった。演目は鎌田流の基本「差合」
である。


  まるで獣のような迫力のある気合を発しつつ、
  剣対棒の攻防を行う。現代武道の影響が希薄な
  その演技は、まるで古い絵巻物を目にするような
  感動を見る者に与えるだろう。


  個々の所作に巧みに緩急をつけ、攻防一体、
  その様はまるで影絵のようである。長年の演技経験
  で培われた個々の動作には気品が溢れ、風格が漂う。
  この名演に棒の手の真髄を垣間見た思いがした。


   全ての演技終了後、当日の演技者全員が棒の手の
  基本を披露する「揚げ棒」を行い、演技奉納を終了した。


この日の猿投祭の探訪は、すばらしい伝統芸能が郷土の財産として、人々と共に暮らしの中でその命の炎を灯して
いる姿に、大いに感動を与えられた貴重な体験であった。

※写真提供  Anthony C.Abry 氏


 (参考文献)

・愛知の馬の塔と棒の手沿革誌       編集・発行   愛知県棒の手保存連合会

・郷土の棒の手                 編集発行   豊田市棒の手保存会

・藤岡の棒之手                 編集企画   藤岡町棒の手保存会    藤岡町教育委員会

                           編集協力   藤岡町文化財保護委員

・足助の棒の手                 発行      足助町教育委員会

・-郷土芸能- 旭村の棒の手        編著者    鈴木藤綱       発行者 旭村教育委員会

・猿投神社由緒記                猿投神社社務所

・猿投まつりと棒の手(チラシ)         猿投棒の手ふれあい広場

・豊田棒の手の各流派(チラシ)        猿投棒の手ふれあい広場


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 (語録 番外編)

 その後、何度か当祭を訪問する機会があり、複数の年配の方から立ち話程度ではあったが、様々なお言葉
を頂戴したので、その一部を紹介したいと思う。ただし発言の内容を正確に記録しているわけではないので
あくまで、『要旨』ということでご理解いただきたい。

 当地では(保存会としては同じ所帯だそうだが)、上切(見当流)、下切(鎌田流)の二つの地区で別々に
棒の手が伝承されているそうで、(祭の前など)普段の稽古も、それぞれ両地区が独立して行っている。

ある方曰く、 「同じこと(演技・形)をやっていても、何か違っているように見える。それは
       (別にデタラメをやっているのではなくて)その人の持ち味だから、もう仕様がない。

      ただ、見る人に何かを与えられるようになるには、相当習練を積まなくてはいけない。
 
また、ある方曰く、 「刃物の形は、見る人を楽しませるために、後からできた形だ。

           だが、棒の手の真髄は、木太刀(そして棒)の方にある。

危険の伴う演技には複雑な手順のものが多い。時には演技の最中に『真っ白』になってしまうこともあるそうだ。

「(たとえ途中で手順を忘れてしまっても)ある程度習練を積んでいれば、

           体が勝手に対応して、やっているうちに思い出してくる。

棒の手の演技は、毎年決まった相手と、ほぼ同じ事(十八番)をやるそうである。そして身長の低い方が、
剣を担当し、高い方が棒を担当するそうである。故に相手のパートを知らない方もいるそうである。
だから、人が見て上手いと思う組は、長年(進学、就職、転勤などで)変動がない組だそうである。

武道の心得のある方は、こういう話を聞けば意外に思われるかもしれない。だが、ある方はその理由を
こう語ってくださった。

              「感覚的なものだ。(飛んで来る刃物をわずかな動きで躱すのは、)」

視覚や理屈に頼ったものではないらしい。そして、演技にとって一番大切なものは、技術や掛声などではなく

               心 であると、皆様方、口をそろえて語ってくださった。

「(本当に相手を傷つける訳ではないし、また傷つけてもいけないという意味で)

              殺陣のようではあるけれども、相手に掛かって行く時は、
       本当にそんな気持ち(相手を倒すような)で行かなくては、演技に真剣味が生まれない。



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