なるほど自分がそういう考え方をしていなかったのでピンと来なかったのだが、今回の件をシス(=マジョリティ)/トランス(=マイノリティ)という軸で捉えると、本当に男性(=家父長制)が免責される効果が生じるのだな…今さらながら腑に落ちた。
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同様に、いわゆるterfとされる人たちがトランス差別的な言説を現に行っていることは事実論として何ら否定しえませんが、それをマジョリティ/マイノリティという「構造」に結び付けて批判するのは妥当ではなく、あくまで一次の観察レベルで差別性・誤謬等々を批判すれば済むことではないかと。→
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一般的なリベラリズムのアリーナ(例えば法的議論)においては、社会科学等に見られる構造的観点はなるべく持ち込まないのが基本です。例えば男性が女性を殺そうが女性が男性を殺そうが同罪です。私は、terf批判はあくまでそうした土俵において行うべきであり、そこにマジョリティマイノリティ云々を→
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とりわけアプリオリな規範のような形で持ち込むのはカテゴリーミステイクの類だろうと思うわけです。 おそらくこれは、フェミニズムが(とりわけ男性を批判する際に)およそ脊髄反射レベルで構造的思考を適用してしまう習慣が不用意に拡張された、それこそ「ミスジェンダリング」の一種なのでは、と。
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もう少しアファーマティブな、つまりリベラリズムに構造論を加味した言い方をすると、terfが(シス)女性であることは、「マジョリティとしての罪」(というようなものがあるとして)が加算されるべきことではなく、むしろ逆にどちらかといえば情状酌量の余地として理解されるべきことなのではないか。
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つまり(いい喩えかどうかは別として)terfによるトランス差別は、白人警官が黒人の被疑者を射殺したというような事例に類比されるべきではなく、それとは真逆の、例えば貧しい育ちのマイノリティの少年が重大犯罪を犯してしまったというような事例と類比されるべき事柄ではないかといった話です。
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すでにこういうことも私は言っています。構造論を加味したとしても、トランス差別言説が現に行われているという一次の観察レベルにおける事実が一切免責されるわけでは当然ながらありません。 不幸な生い立ち(構造論)で以って永山則夫を無罪にすることはできないのと同様。https://twitter.com/kabutoyama_taro/status/1110083969217753090 …
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犯罪行為は属性に関わらず判断しうることですが、差別的行為かどうかは属性で判断するのではないでしょうか?同じ言葉でも話者や文脈によって、差別的にも問題なくもなりますよね。その差を巡っての議論がこれまでなされてきたのではないのでしょうか。
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また、情状酌量の余地を全く否定する人は少ないと思います。しかしそれとは別に、「女性はシスもトランスもマイノリティ」といった言説は、TERF的言説を正当化するものとして一様に導出されていますよね。社虫さんにそのつもりがなくとも、事態の収拾には逆効果ではないでしょうか。
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ごちゃごちゃ理屈を言っているようで実質的には「何が何でも女性の味方をしたい」でしかなく、これこそマッチョイズムでありパターナリズム(つまり家父長制)の発露では?
@kabutoyama_tarohttps://twitter.com/kdxn/status/1111768159592157186 …Thanks. Twitter will use this to make your timeline better. UndoUndo
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