韓国が1人当たり国民所得3万ドルを達成したのは、日本の26年後だった。韓国の1人当たり国民所得がまだ8000ドルだった1992年に日本は3万ドルの壁を突破した。人口5000万人以上の国では初めてだった。その年、日本は激変期を迎えていた。戦後最大の政治スキャンダルが浮上し、高速成長を支えてきた「55年体制」が解体に向かった。世界最高の豊かな国となったのと同時に体制の矛盾が浮上したのだ。それこそ逆説だった。
さらにすごい逆説が経済面で起きた。92年3月に東京株式市場で日経平均が2万円を割り込み、5カ月後には1万5000円以下に沈んだ。住宅価格と地価が暴落し、資産バブルがあちこちで弾けた。就職氷河期が本格化し、青年たちが「失われた世代」と呼ばれたのもこの時からだ。それから約20年間、日本経済は終わりなき低迷と不況の泥沼にはまった。低成長どころか、成長率ゼロの無成長が続いた。いわゆる「失われた20年」の始まりだった。所得3万ドルという新たな世界に到達した瞬間に悪夢のような経済の地獄が展開された。
それは偶然ではなかった。方向を誤った政策による必然的な結果だった。92年夏に日本政府は11兆円規模の巨額の景気浮揚策を打ち出した。しかし、資産暴落が止まることも、消費や投資が上向くこともなかった。診断を誤ったのだから、効果が出るはずもなかった。日本経済が泥沼に陥ったのは構造的な欠陥のせいだった。経済が重病にかかっているにもかかわらず、鎮痛剤の投与で回復するはずはなかった。それでも日本政府は安易なばらまき政策をやめなかった。主犯は無能な政府だった。判断ミスを犯したポピュリズム政府がバブルを弾けさせただけでなく、長期不況の地獄の門まで開けてしまった。