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2019-03-28

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・いよいよ新しい元号の発表が近づいているということで、
 「発表される元号についてのコメントを」
 という依頼をいくつかいただいていたようだ。
 たぶん、短いことばをあつかってきた職業の人間として、
 どういうことを言うかが取材される理由なのだろう。
 しかし、残念ながらどれもご遠慮とさせていただいた。
 この国に暮らしているひとりの人間として興味はあるが、
 元号の含んでいる意味やら、そこに至るまでの背景やら、
 人びとに与えるであろう影響やらについて、ぼくは、
 なにか言えるほどの知識をまったく持ち合わせていない。
 つまり、なにか言うことなどできやしないのです。

 それは、ちょっとした実験ですぐにわかる。
 新しい年号についてではなく、過去の年号について、
 じぶんにインタビューしてみればいいのだ。
 「新しい年号が平成と決まりました。いかがですか?」
 さぁ、平成だよ、いまではすっかり慣れたけど、
 あのとき、急にぼくらは平成に出合ったんだよ。
 なにを言えただろうか、そのときに。
 「平成…ですか。画数が思ったより少ないですね。
 平らかぁ、平らかであれということですかね。
 上だの下だのなく山あり谷ありでもなく、
 平らな時代になれという思いがあるんでしょうか。
 んで、成るですね。
 成金とかの成るでもあるわけだなぁ、成功の成だしね。
 中途半端のままでなく、成らせようよ、と。
 モノにしたいという意思を感じますかね」
 とかね、あきれるほどの無内容ぶりだろう。
 中国文学や国文学、東洋史、日本史の研究者を集めて、
 慎重に検討を重ねて決めた平成という元号についても、
 ぼくは、これくらいのでたらめしか言えないわけで、
 この調子で次の年号について、とてもじゃないけれど、
 もっともらしいことなんて言えるものじゃない。
 もう、ほんとに謝っちゃうしかないのだ。

 コメントというのはむつかしい。
 思っても考えてもいなかったことを言うのは、
 どうしても無理があるし、ぼくには恥ずかしい。
 言ってみたいことが見つかったら、そのときに、
 たとえば、この場所で言うというのがいちばんだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
昭和に生まれて、平成をフルに過ごした。まだ生きられる。


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