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ソウルのおススメは仁寺洞ですね。

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  姜尚中 - 東京大学教授・政治学者 -
1950年熊本県生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業後、早稲田大学大学院政治学研究科博士課程を修了。旧、西ドイツのエアランゲン大学に留学後、国際基督教大学助教授・準教授などを経て、現在は東京大学大学院・情報学環、学際情報学府教授。政治学、政治思想史が専門で、テレビ、新聞、雑誌などで幅広く活躍中。著書は多数あり、『悩む力』は85万部のベストセラー。最新刊『リーダーは半歩前を歩け──金大中というヒント』。
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韓国へ行った理由は「父と母の国だから」。父と母が愛すべき人でなければ、行く事は無かったと思います。(姜)

姜さんは熊本のお生まれで、ずっと日本で育ったそうですが、ご両親から韓国についてのお話は聞いてらっしゃったんですか?

親父もお袋もたまに故郷の話をしてたんですけど、生きるのに忙しくて、ノスタルジーに浸る暇も無かったと思いますね。僕は韓国に行くこと自体が大嫌いで全て避けたかった。ただ叔父が、今僕が居る大学を出て、敗戦間際の1年位日本で憲兵をしてたんです。彼が日本の人と結婚をした後、妻子を捨てて韓国に帰ったんだけども、朝鮮戦争が起きて日本に帰れなくなっちゃって、向こうで弁護士になったんです。そして1970年の万博の時に来まして、妻子を探していたのを僕もお手伝いしたんですが、その時彼に「来ないか?」と言われて、それまで僕は韓国と聞いただけでもうノーサンキューという感じだったから、初めて夏に1ヶ月行ってカルチャーショックを受けた訳です。

どんなショックを?

独裁制だし、混沌としてましたから。でも帰る時に、なんとなくわだかまりが消えたんです。なぜかと言えば、やはりここに「人間が居る」そして人間が居れば「どんな国に生きても営みがある」し、それで物凄く楽になったんです。後々ヨーロッパに行った時も、そういう気持ちがあると「人間違うけど結局やってることは同じじゃないかな」と。

その1972年に韓国を訪れる前までは日本名を使われていて、その後から今の名前にされたというのは、何か決心みたいなものが?

いえ、我々の世代は「変身」なんて言葉がサラリーマンの一番流行り言葉で、要するにリセットしたいという。僕自身もやっぱり変えた方が良いんじゃないかと。リセットする事で自分を追い込んで、自分がどう変わるかと。だから何か物凄く深い意味があったと言うよりは、リセットしたいということだったんです。韓国へ行った理由は「父と母の国だから」。多分、父と母が愛すべき人でなければ、行く事は無かったと思いますから、父と母には感謝ですね。

その初めて韓国を訪れられた時はおいくつでした?当時と今の韓国も随分と違うと思いますが。

21~22歳でしたが、それはもう天と地の差でしたね。今は仁川(インチョン)が国際空港になってますけど、あの時は金浦(キンポ)空港で、荒涼とした月面世界のようでしたよ。全部掘り返した焼け野原のような所にぽつんと飛行場があって、高速道路が一歩ある他はもう殆ど舗装も何も無くて、漢江(ハンガン)から向こうにソウルの街が見えた時、一言で言うと、巨大なスラムのように見えました。

今、週末にお肉を食べてエステに行ってる若い人達は、全く想像出来ない世界でしょうね。

想像出来ないでしょう(笑)。でもソウルは新しい街と古い街がはっきり分かれてるんで、新しい街の江南(カンナム)という南に行くと、原宿とまるっきり同じなんで、時々、僕自身が浦島太郎になる時もありますね。

最近はソウルにもよく行かれてると思うんですが、必ず行きたい所や好きな町はどこですか?

好きな街は仁寺洞(インサドン)と言いまして、大きくは無いんですけど、古い街並みの色んな民芸品やギャラリーがいくつかあるのね。そして路地裏に入ると、昔の韓国式のお店が色々あって、そこでお茶を飲んだりすると、ほっとしますね。

日本でも古い街並みで静かな所を歩いていると、やっぱりほっとしますもんね。韓国でソウル以外の街というのは行かれないんですか?

ソウル以外で言うと慶州(キョンジュ)ですね。慶州は古い街で、街全体がちょっとしたサンクチュアリになってますね。そこは新幹線を通さないように国が決めていて、昔の奈良の面影があります。中には、観光客が居なければ人が殆ど居ない場所もあって、そこは好きな所ですね。


僕は日本と韓国、足して2で割れば一番良いと思うんです。(姜)

姜さんは国民のキャラクターとしての日本と韓国の違いって、どう考えます?

一言で言うと、韓国人はせっかちで、とにかく速い方が良い、そして決断をして先に行きたい。日本の場合はやっぱり慎重だと思います。それがある意味では官僚制支配を受け入れ易く、戦前はそうではなかったでしょうけども戦後の社会はかなり高度成長でよく出来上がった社会なので、良い意味でも悪い意味でも、言わば保守的だと。で、保守には良い面もあるんですね。でも変化の速度が少し遅い。僕から見ると、韓国は国民性も国家も速い。速いけど非常に危うい。だから僕は日本と韓国、足して2で割れば一番良いと思うんです。

なるほど(笑)。

だからリーダーシップという点では、韓国に分はあるんですけども、ただその危うさがあります。だから僕『リーダーは半歩前を歩け』で、リーダーシップの七つの要件を書いたんですけど、熟慮が無いと決断も意味を持たないし、日本には日本の良さがあるんですね。やっぱり、それなりの準備をして、そして決断をすると。ただ、今のグローバリゼーションの速度がかなり速いので、官僚制支配では付いていけなくなっていると思うんです。そういう点ではイギリスの方が議会制民主主義をやっていても、議会での丁々発止なんか見ていて面白いですよね。ジョークも飛ばし、お互い面と向かって言う、そういうイギリスなりの議会制民主主義の良さがあるし、政権も交代するし、官僚も交代していくし。日本は大統領制じゃないからアメリカはお手本にならないし、やっぱりイギリスを手本にしたらいいんじゃないでしょうか。

なるほど。その韓国と日本の性格というか慎重さの違いは元々どこから来てるんでしょうね?恐らく、人種的なDNAは同じだと思うんですが。

それはもしかすると、韓国は、ヨーロッパで言うとイタリアに近いのかな。半島ってのはベトナムもそうですけど、陸の力と海の力がせめぎ合うんですよね。そうすると、韓国の場合はいくつかの王朝的な遺産が戦火で全部根絶やしになるとか、そういう戦乱、動乱が長いもので、変化するということに絶えず身構えておかなければいけなかったんだと思います。その歴史性がずっと蓄積されたのはあるかもしれませんね。

半島のキャラクターでしょうか。一方、日本やイギリスはやっぱり最終的にどこか海に囲まれてる安心感というか、おっとり感というか。ヨーロッパでも大陸の人達のせっかちさやエキサイティングさに、イギリス人は「何か違うな」という風になりますもんね。

でも1000~2000年のことは生物学的なDNAではないですから、ある種の歴史のDNAでしょうかね。


まさか留学の10年後にベルリンの壁が崩壊するとは僕も思いませんでした。(姜)

早稲田の大学と大学院を卒業された後、当時の西ドイツに行かれてるんですね?

1979年にニュルンベルクにあるエアランゲン大学という所に僕のお世話になった先生が留学してたというのもあって、当てもなくモスクワ経由で行きました。

このおよそ10年後にベルリンの壁が崩壊しますよね。

そう、ドイツ人の学生と話したらね「1000年、東西ドイツは統一出来ないが、それでいい。我々はもう東ドイツとは関係ない」と言ってましたから。まさか10年後にベルリンの壁が崩壊するとは僕も思いませんでした。

そうでしょうねえ。西ドイツに留学中の、青春時代想い出というと?

いやあの、言葉の壁で引きこもりになっちゃったんですよ。英語ならある程度対応出来るけど、ドイツ語を読むのは全然不自由無かったし、自分はかなり出来るんじゃないかと行ってみたら、やっぱり喋るのが出来ない(笑)。

本で読む言葉と普段の会話はまるっきり違う物ですもんね。

最初、学生寮のドアを開けて自分の部屋に入ろうとしたら、隣の部屋の学生がやってきて、“Haben Sie eine Zwiebel?”って言うんです。“Zwiebel”という言葉が分からなかったのでポカーンとして、すると彼が「英語喋れるか?」と言うので「少しは」と答えると、“Do you have onions?”、今から料理するので、タマネギ(Zwiebel)持ってないか?と。それが挽肉から始まり、日常生活のそこかしこで壁にぶつかって

段々と引きこもってしまったと。

夏目漱石もイギリス留学時、それで引きこもりになっちゃったんですよね。英語はあれだけ出来たけども、どこまでヒアリング出来たのか分かりませんが。彼と僕では月とスッポンですけど。それで僕は、その時にミュンヘンで働いてた、ギリシャのクレタ島から来た学生が声をかけてくれて、仲良くなって、世界が広がりました。彼はもうエピキュリアンでね、人生を楽しむ、恋もする(笑)。

ヨーロッパの南に行くと殆どそうなってしまいますよね。あれは日光がそうさせるんでしょうか(笑)。

羨ましいですね。それでいて、とてもデリケートでね。彼は小児科の医者になりましたけども、とても頭が良くて、詩も朗々と詠じて、クラシックも詳しかったし、夏はヨーロッパを駆けめぐって沢山の女の子と付き合ってると僕に写真を見せてくれました(笑)。


今の僕にとって、旅とは「人との出会い」そして「自分との出会い」。そして死に行く途上。(姜)

最新刊は『リーダーは半歩前を歩け──金大中というヒント』ですね?

亡くなった金大中という大統領は、僕から見るとイデオロギーに縛られなかった人なんです。彼とお会いした時に、最初に歴史問題を問いかけられてびっくりしたんです。「姜さんはフランス革命と名誉革命と、どちらを歴史的に評価されますか?」と、世界史の教科書みたいな事を言うので、「やっぱりフランス革命は自由・平等・博愛で良いんじゃないですか」と言ったら「自分は評価しない。流血沙汰になった。フランスは支配階級が新興階級に譲歩しなかった。譲歩したのがイギリスだった。これはイギリス人の智恵なんだ。歴史から政治家は学ばなければならない。激動期に於いては尚更のことで、歴史の中に蓄えられた智恵をしっかりと継承しなければいけない。保守というのは、変わるから保守なのであって、保守はただ変わらずにいれば、衰退する」と。

ほう。

開口一番でそういう事を聞いた時に、やっぱりこの人は普通の政治家と違うんじゃないかと思ったんです。勿論政治家ですから、色んな面があると思いますけど、やっぱり歴史ということに向き合った政治家で。それからリベラル保守というか、これが僕の信条にぴったりで、イデオロギー、イズムに捕らわれない、それから最後に言えることは、やっぱり指導者っていうのは、どうしても権力、力、パワーというものにどこか仏神崇拝的に酔ってしまったり、それに籠絡されるんですよね。そことの緊張感を、彼は最後まで彼なりに維持出来たんじゃないかと。

今、日本も政権変わりましたね。

はい。民主党が良いか自民党が良いかは抜きにして、やっぱり僕はせめてイギリス型の政権交代が行われて政治が活性化して欲しいし、日本が本当の意味で世界から見て透明性のある社会になった時に、初めてこの極東の島国は恐らく世界のリーディング的な国に成りうると思うんですね。そういう意味も込めて、この本を。リーダーは一朝一夕では出てこないし、それを支える人、育てる人、これは5~10年かかるでしょうけど、普通のビジネスマン、サラリーマン、学生に呼んで貰いたいというつもりでこれを書きました。

さて最後に、姜さんにとって旅とは?

今は「人との出会い」。そして「自分との出会い」。そして、やっぱり死に行く途上、しかしそれは決して寂しくはない。そういう点では、この間亡くなった筑紫哲也さんが『旅の途上』という本を送ってくれたんですけど、やっぱり自分は途上にあると。亡くなる時も未完で終わるというか、そういうものとして旅を考えたいと言ったので、最近僕ちょっとその気持ちが分かるように成りました。

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