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2019-03-27

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
 これも、こどものときにくり返し聞いたことばだ。
 いまでも、ぼくは晩夏から秋の田んぼで、
 しっかりおじぎしている稲を見ては、
 このことばを思い出している。
 だって、つまり、ほんとにそうなんだもんね。

 人は学問や徳が深まるにつれ、
 かえって謙虚になるものだということ。
 稲は実が熟すにつれて穂が垂れ下がることから。
 (『新明解故事ことわざ辞典』より)

 稲の先がたくさんの実の重みで垂れるのは、
 そうしようと考えてのことではない。
 しかし、このことわざを教えられた人間の場合は、
 自然に頭が下がるということはないので、
 「そういうふうにしていよう」と決めるのだと思う。
 頭が垂れるように、つまり謙虚であろうとして
 日頃のふるまいを律しているのだという気がする。
 ほんとうは、学問や徳が深まったからといって、
 ふんぞり返ったり威張ったりすることでもないし、
 ことさらに謙虚になる必要だってない。
 ふつうにしていられたら、それでいいのだと思う。
 しかし、このことわざでは、平らのままではなく、
 頭を下げているようにということを教えているのだ。
 「人より低いものとして在りなさい」というわけだ。
 どうしてか?

 答えは「そのほうが、うまく行くから」であろう。
 「大事なのは理由じゃない、方法だ」ということだ。
 実るほど、頭を下げているほうが、みんなによろしいと、
 そういうことを伝えているように思う。
 自然にしている以上に謙虚にしていて、ちょうどいい。
 そのほうが余計に人のこころを乱さないし、傷つけない。

 ぼくは、長い間に、たくさんの立派な人にも会ってきた。
 その多くの人たちが、驚くほど謙虚であった。
 「そのほうがうまく行く」ことを実践してきたのだろう。
 それをできてきたから、「りっぱな人」になっていた、
 ということもあるのだろうなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ただし、芸術家にはこのことわざは関係ないかもしれない。


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