2015年11月、けやき坂46(通称・ひらがなけやき)のたったひとりのオリジナルメンバーとして活動を開始した長濱ねる。当初は欅坂46のメンバーとの軋轢もあったが、彼女の誠実で温かい人柄によって、徐々にお互いの距離は縮まっていった。

やがて欅坂46が『サイレントマジョリティー』で華々しいデビューを飾った頃、けやき坂46の追加メンバーオーディションも佳境を迎えた。

このオーディションでは、インターネット上でライブ配信ができるサービス「SHOWROOM」を利用して、最終候補者たちが個人配信を行なうという前例のない試みがなされた。その中でも、顔を出さずにきっちり30分間の"ラジオ配信"を行なっていたのが、当時中学3年生の影山優佳(かげやま・ゆうか)だった。

■能力の高さから反感を持たれて

東京で生まれた影山は、幼い頃から活発な少女で、6歳になると地元のサッカーチームに入った。チーム内では唯一の女子メンバーだったが、男の子にも当たり負けしない体力が自慢だった。あるときは、スライディングを受けて無理な体勢で手をつき、骨を2本同時に折る大ケガをしたこともある。だが、親からは「気をつけてね」と言われただけで、ケガが治るとまたチームに戻り、小学6年生までサッカーを続けた。

また、保育園のときから学習塾に通ったり英会話を習っていたこともあり、勉強も抜群にできた。学校の授業中にはよく手を挙げ、常にクラスを引っ張るようなタイプで、学級委員も務めた。

しかし、こうした能力の高さが他人の反感を買ってしまうこともある。小学6年生になり、難関中学を受験するため彼女が猛勉強を始めると、「調子に乗っている」と言いだすクラスメイトが出てきた。影山だけが仲間外れにされたり、筆箱がなくなってしまうということも起きた。

そんなときに目に入ってきたのがAKB48だった。華やかなアイドルの世界に心を奪われた彼女は、家族の前でもAKB48や乃木坂46の曲を歌ったり踊ったりするようになった。

やがて無事に受験に合格し、日本有数の進学校に通い始めた彼女に転機が訪れたのは、中学1年生も終わりに差しかかった頃だ。テレビを見ていると、AKB48のオーディションが行なわれるという告知が流れた。これに反応したのが父親だった。

「このオーディション、優佳も受けてみなよ」

このときはまだ、アイドル活動と学業の両立がどれだけ大変か、親もわかっていなかった。ただ、この頃にはすっかりアイドル好きになっていた娘に、好きなことをやらせてあげようと思って勧めたのだろう。

影山のほうは、そもそも自分がアイドルになろうとは思っていなかったが、勧められるとその気になってきた。その胸のうちには、こんな気持ちもあった。

「アイドルになって、自分をいじめてた人を見返したい。私のサインが欲しいって言われるくらい有名になろう」

そうして受けた初めてのオーディションが、「第2回AKB48グループドラフト会議」だった。

■"3列目の一番端"に立たされた候補者

このドラフト会議とは、AKB48グループの現役メンバーが候補者の中から新しい仲間を指名するというユニークなオーディションである。3次審査を通過した最終候補者たちは、公式ホームページでも顔写真付きで紹介され、テレビカメラが回るなかで5泊6日の厳しいレッスン合宿を行なった。その最終候補者たちの中に、影山優佳も残っていた。

2015年5月10日、東京・有明コロシアムで、オーディションの最終審査に当たるドラフト会議が開かれた。数千人のファンや業界関係者が客席で見守り、CSでの生中継も行なわれるという大規模な公開イベントだった。

ここまで進んできた47人の候補者たちは、合宿で練習した曲をステージ上で披露した。そして現役メンバーによる指名が始まったが、影山の名前は最後まで呼ばれることはなかった。

実は、このオーディションを受ける前に、影山は母親と約束していたことがある。

「落ちたら普通の女のコに戻ろうね」

アイドルになれなくても、また学校に戻って元の中学生活を送ればいいじゃない、という意味だった。影山も、素直にその言葉を受け入れて、ドラフト会議後はオーディションを受ける前の日常に戻っていった。

だが、すでにオーディション中から彼女の胸には新しい思いが芽生えていた。

「自分はもっとやれるんじゃないかな。選ばれるのはこのオーディションじゃないんじゃないかな」

そう思ったきっかけは、ステージで踊る曲のポジションを告げられたときだった。47人のうち、3列目の一番端で踊ることになった影山は、「今の段階でこのポジションだったら、受かってもアイドルとして厳しいだろう」と思った。だから、ドラフト会議で指名されなかったときも深く傷つくことはなかった。このときのテレビ中継でも、ほかの落選者が号泣するなか、しっかりと背筋を伸ばして毅然とした態度を崩さない影山の姿が映し出されている。

彼女がドラフト会議に落選した直後の15年6月、乃木坂46に続く"坂道シリーズ第2弾グループ"のオーディションが始まった。そして8月21日、最終審査に合格したメンバーにより、新グループ・欅坂46が結成される。影山はオーディションのときからこのグループに注目していた。

「乃木坂は、今年こそ紅白に初出場すると思う。まだ齋藤飛鳥さんや若いメンバーもいるから、これからもっと人気が出るだろう。その妹分として結成された欅坂も、乃木坂の勢いに乗って間違いなく人気が出る」

彼女には、物事を何でも分析する癖がある。何せ、サッカーのクラブを応援するときは、チームの戦術だけではなくユースから代表に至るまでのクラブの構造も調べてしまうのだ。

10月になり欅坂46の冠番組『欅って、書けない?』が始まると、彼女はすっかりファンになってしまった。そして11月、長濱ねるの加入と同時にけやき坂46の追加メンバーオーディションの開催が告知された。

このとき、影山に直感が降りてきた。

「もしかしたら、今かもしれない。私がもう一度オーディションを受けるとしたら、このグループしかない」

娘がアイドルへの思いを引きずっていることは、母親も気づいていた。だから、もう一度オーディションを受けたいと言ったときも、快く送り出してくれた。

こうして影山優佳は人生で2度目のオーディションに臨むことになる。そして、前回と同様に3次審査まで通過したのだった。

けやき坂46 追加メンバー オーディション合格者(2016年5月8日発表)/(後列左から)●潮 紗理菜 1997年12月26日生まれ(当時18歳)神奈川県出身 ●佐々木美玲 1999年12月17日生まれ(当時16歳)兵庫県出身 ●齊藤京子 1997年9月5日生まれ(当時18歳)東京都出身 ●東村芽依 1998年8月23日生まれ(当時17歳)奈良県出身 ●高本彩花 1998年11月2日生まれ(当時17歳)神奈川県出身 ●井口眞緒 1995年11月10日生まれ(当時20歳)新潟県出身 (前列右から)●加藤史帆

■その生き方を貫く"フェアネス精神"

このオーディションでは、3次審査に合格した候補者たちが1週間限定でSHOWROOM配信を行なった。今では乃木坂46、AKB48グループのオーディションでも同様のことが行なわれているが、まだ"素人"でしかない候補者による配信はこれが初めての試みだった。それどころか、乃木坂46や欅坂46のメンバーさえまだ個人配信を行なっておらず、カメラの前で何をすればいいのか、いったいどれだけの人が見てくれるのかということは誰もわからなかった。

しかし、ふたを開けてみると予想を超える数千人のユーザーが彼女たちの配信を見に来た。最初はおそるおそる短時間だけやっていた候補者たちも、2日目、3日目には長時間にわたって配信するようになり、歌やダンスを披露しながらユーザーとコミュニケーションを取るようになった。

そんななか、影山優佳はいわゆる"ラジオ配信"の形式で声だけを配信した。毎回たった30分間だけ、しかも顔も見せない配信だったが、聴いていたユーザーの間では「話がうまい」「アイドルからスポーツまで話題が豊富」と高評価を得た。

映像を流せばもっとやれることが増えるし、より多くのユーザーに見てもらえただろう。事実、彼女と同じように最初はラジオ配信をしていたものの、途中から顔出しに切り替えた候補者もいた。どのように配信をするかは各候補生に委ねられていたが、影山は最後までこのラジオ配信を貫いた。

そこには、彼女なりの理由があった。

「ドラフト会議のときの私の写真や映像はたくさん拡散されてるから、配信で顔を出したら、あのときの候補生だったことがすぐにわかる。そこで"またオーディションを受けている"と思われることは、別に気にしない。でも、ドラフト候補生だったことでほかのコより注目を浴びて、自分だけいい位置からスタートするのは絶対にいやだ。私は自分の実力だけで勝負したい」

これが、幼い頃からスポーツに親しんできた影山優佳の"フェアネス(公平)精神"というものだった。

そこで、彼女は本物のラジオ番組のようにSHOWROOM配信を行なうことにした。まずはほかの候補者の配信もすべて見てその特徴をメモにまとめ、誰ともかぶらない話題や自分のアピールポイントを考えた。そうやって番組の構成を練った結果、最初にその日にちなんだ話題を話し、決まった時間になると2曲の生歌を入れ、ユーザーからの質問コーナーをやってから、最後にけやき坂46にかける意気込みや次の配信予定を伝えることにした。トーク力のみならず、歌唱力の高さも手伝い、彼女の配信は回を重ねるごとに評判になった。

ほかの候補者もその個性や素の魅力を前面に出し、最終日には涙を流しながら「楽しかった」「終わりたくない」と訴えるという思いもよらない展開になった。どう転ぶか誰にもわからなかったSHOWROOMでの個人配信は、たった1週間で候補者たちの個性を引き出し、彼女たちに"最初期"のファンをつけてくれることになった。

■ワクワクと不安のふたつを感じながら

5月8日、都内でけやき坂46の追加メンバー最終審査が行なわれた。ここで最終候補生たちは一堂に会した。

SHOWROOMでポイント数ランキング1位だった齊藤京子は、配信で知っていたほかの候補者たちの顔をあらためて見て「みんな一緒にSHOWROOMをやってきた仲間なんだな」と思ったという。

一方、当時は女子大に入学したばかりだった潮紗理菜は、「顔出しして落ちて、学校で友達ができなくなったらどうするの」と親から反対され、SHOWROOMでは顔出しをしなかった。ただ、ほかの候補者の配信は見ていたので、周りのコの顔を見て「みんなもう芸能人みたいだな。私、場違いだな」と感じていたという。

その日の審査では、候補者たちによる自己紹介と歌唱が行なわれた上で、審査員からSHOWROOMの話題などを交えた質問が向けられた。

影山優佳は、マイクを持ってステージの上に立ったとき、こう自己紹介をした。

「影山優佳、中学3年生です。本日、5月8日に15歳の誕生日を迎えました」

この日が誕生日だったことはまったくの偶然だが、けやき坂46のオーディションを受けようと思ったときの「今かもしれない」という直感は、もしかしたら今日という日につながっていたのだろうか。その後、母親の影響で好きになったという森高千里の『私がオバさんになっても』を歌い、影山優佳は人生で2度目のオーディションに合格する。

この日の審査を経て、"たったひとりのアイドルグループ"を背負ってきた長濱ねると共に活動するけやき坂46の追加メンバー全11人が決まった。

それまで別室に待機していた長濱は、合格者発表後にステージ上に呼ばれ、審査員やマスコミ、そして新しい仲間たちの前でこんなスピーチをした。

「やっと皆さんと一緒に活動できるのがすごくうれしいです。今はワクワクする気持ちとこれからどうなっていくんだろうっていう不安な気持ち、どっちもあるんですけど、みんなで一緒に成長していきたいです」

しかし、"欅坂46の中にあり、欅坂46とは別グループのけやき坂46"という微妙なポジションを与えられた彼女たちは、合格直後からさまざまな壁にぶつかることになる。(文中敬称略)

●影山優佳(かげやま・ゆうか)
2001年5月8日生まれ 東京都出身 ◯2016年5月、けやき坂46に加入。愛称は"影ちゃん"。スポーツ好きな両親の影響もあり、サッカー、野球、駅伝、相撲などあらゆる競技の観戦を趣味とする。テレビ番組の企画で長濱ねるを下して欅坂46/けやき坂46のクイズ女王に輝いたこともある才女。サッカー審判4級の資格を所持

★『日向坂46ストーリー~ひらがなからはじめよう~』は毎週月曜日に2~3話ずつ更新。第19回まで全話公開予定です(期間限定公開)。