ハリー・ポッターと祈りの聖杯 作:塚山知良
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コレットの人生は常に一人で生きているようなものだった。広い屋敷の中で日当たりの悪い小部屋に押し込められ、冬の季節には寒さで手足は悴み薄い毛布にしがみ付く日々が続く、そんな日常。
常に彼女の心の片隅には人恋しさがあった。誰かの隣にいたい。そんな願いを、常に胸に抱いて生きてきた。
―――だが、
「おいクラッブ、ゴイル。お前らは向かいの椅子に座れ」
「でもドラコ、俺たちとコレットじゃ狭いぜ」
「コレットはひょろいから丁度いいだろ」
「(こんな両隣は望んでない!)」
数時間前、何の疑問もなくドラコに付いていった自分をコレットは激しく恨んだ。
コレットがホグワーツに入学する記念すべき日である今日、コレットはメントに見送られながら屋敷を出て、ホグワーツ行特急にドラコと共に乗車した。
コレットは初めての学校生活に期待を胸を膨らませながら汽車のコンパ―メントに座った。セイバーからは散々「君集団生活なんてできるの?」と揶揄われたが、そんなものやってみないと分からないとコレットは取り合わなかった。これから暮らしていくホグワーツとはどのような学校なのか―――そんな思いを馳せながら汽車の汽笛の音に耳を澄ませていると、肉団子のような巨体を誇る二人の男の子がやってきた。コレットの表情が一瞬で絶望に染まった。
彼らの名はクラッブとゴイルと言い、ドラコの取り巻きのような存在である。時折ドラコと共にルベインアンツの屋敷に訪れていた彼らとは面識があるものの、コレットからすればあまり親しい存在ではない。彼らのずんぐりとした身体にトロール並みの知性は、コレットが彼らを苦手な理由に十分だった。
「ドラコ、ここに座ってたのね!」
「パンジーじゃないか、久しぶりだな」
「(なんでこいつまで!)」
「そうね、この前の誕生日会以来かしら?・・・あら、あなたいたの」
「・・・えぇ、まあ」
二匹のトロールの間に挟まれ気分が悪くなるコレットに追い打ちをかけるが如くその少女はやってきた。コンパ―メントの扉を勢いよく開いた少女―――パンジー・パーキンソンである。彼女は、ドラコしか見えていなかった視界の隅にコレットが映ると、を忌々しそうに睨みつけた。
聖二十八一族に名を連ねる純血の魔法使い”パーキンソン家”の令嬢である彼女は、コレットと同じくドラコとは幼い頃から家ぐるみの付き合いがあり、その関係でコレットは彼女とも面識がある。ただし、クラッブ達のように親しくない関係というよりは、互いに嫌悪し合っている関係であった。ドラコに好意を抱いているパーキンソンにとってコレットの存在は邪魔者以外の何物でもなく、コレットは長年彼女の嫉妬の対象となり陰湿ないじめを受けてきた被害者なのだ。
「両隣にお友達ができて良かったじゃない。私だったら願い下げだけど」
「え、誰だ?」
「お友達からはそう思ってもらえないようね」
パーキンソンの嫌味に気づかないゴイルは不思議そうに首を傾げた。トロール並みの知能のくせにわざわざ頭を働かせるな首を傾げるなとコレットは舌打ちを隠せない。その様子を面白がったパーキンソンは自慢げにドラコの隣に座ると、コレットに見せつけるように談笑し始めた。
「ドラコ、あなたはどこの寮になると思う?」
「”スリザリン”に決まってる。君だってそうだろ?」
「勿論よ!まあ、あそこでトロールに挟まれてる子は違うでしょうけど」
「どこにトロールがいるんだ?」
「(あんたたちのことよ!)」
両隣には巨漢を誇るクラッブとゴイル、向かい側には嘲笑を向けるパーキンソン。コレットの心はホグワーツに到着する前から既に気分は最悪であった。
―――しかし、コレットの機嫌の悪さなど足元にも及ばないほどの殺気を放つ”目に見えない従者”が、そこにはいた。
『このデカ物どもとパグ犬面を窓から放り出すだけで、どれだけコンパ―メントが広くなるか・・・』
「わたしちょっと車内販売のおばさんから百味ビーンズ買ってくる!」
「あ、おいコレット!」
コレットは汽車から転落死した新入生を出さないため全力で走った。コンパ―メントから出て行く寸前、ドラコの声と一緒に勝ち誇ったような笑みを浮かべたパーキンソンが見えふつりと殺意が芽生えたものの、コレットはそれをぐっと我慢した。
二車両ほど走ったところでコレットは立ち止まり、膝に手をつき走ったことで乱れた呼吸を整える。対して”目に見えない従者”は、『冗談だったのに』と面白がるように言葉を零した。
セイバーを連れてきたのは失敗だったのかもしれない―――コレットはそう思わずにはいられなかった。
前日の夜、コレットはセイバーに「わたしがホグワーツに入学したらどうするのか」と問うと、彼はその問いに「僕は君から離れられない」と答えた。
セイバーによると、それは彼自身の意思ではなく使い魔としての本能がそうさせているという。自発的に主人であるコレットの元から離れようにも、一定の距離が開けば身体が勝手にコレットの元へ引き寄せられると言うのだ。
実のところ、一ヵ月前ダイアゴン横丁へ外出した際に同行したのもこの理由によるところが大きかったらしい。前日の夜までその事情を知らずにいたコレットは何故自分にそれを隠していたのかと捲し立てたが、当のセイバーは「聞かれなかったから」と悪びれもせずに言った。
その言葉を皮切りに恒例の罵詈雑言の応酬を終えた後で、コレットはセイバーのホグワーツへの同行を否応なく承諾するしかなかったのだ。
今だ腹の虫が収まらないらしいセイバーからは、マグマのように煮えたぎる殺意を感じ取れた。このまま戻っても同じことを繰り返しそうだ。行く宛などある筈もなくコレットが途方に暮れていると、背後から青年の声がした。
「君、大丈夫?」
「へっ」
そこには、顔立ちの整った好青年が心配そうにコレットの様子を伺う姿があった。
「見たところ新入生だよね?こんなところでどうしたんだい?」
「え、あの、そのっ・・・」
コレットは、ダイアゴン横丁で出会った少年とまともに会話できなかった時の記憶を思い出した。あの時のような失敗は繰り返してはならないと何とか言葉を続けようとするが、思うように言葉が出てこない。
その様子を見ていた青年は、コレットを宥めるように優しい声で「自己紹介がまだだったね」と言うと、柔和な笑みを浮かべた。
「僕はセドリック・ディゴリー。ホグワーツの三年生で、”ハッフルパフ”の寮生だ。君の名前は?」
「あ、え、えっと・・・コレット・ルベインアンツ、です・・・」
「じゃあコレット。今、丁度僕のいるコンパ―メントが一人分開いてるから、少し休憩していかないかい?」
「・・・え?」
「疲れてるみたいだし、男ばっかりでむさ苦しいと思ってたところだったんだ。君さえよければ、是非来てくれ」
セドリックから差し出された手と顔を交互に見て、コレットはおずおずと手を重ねた。
セドリックに案内されたコンパ―メントには、顔が瓜二つな二人の青年が座っていた。セドリック曰く、コンパ―メントで寛いでいたところを突然奇襲され、そのまま居座っているそうだ。彼らはセドリックと同じ三年生で、”グリフィンドール”の寮に所属しているらしい。セドリックがコンパ―メントの扉を開けコレットを入室させたやいなや、二人は騒ぎだした。
「おいおいセドリック!早くも新入生をナンパしたのか?」
「憎いねえ色男!」
「やめろ、コレットが困ってるだろ。ごめんな、こいつらいつもこんな調子なんだ」
「お、お気になさらず」
入室してきたコレットに、二人は芝居がかった調子で恭しく席を進める。どこか背中にむず痒い感覚を覚えながらコレットは席に座ると、その隣にセドリックが座った。
「俺はフレッド、こいつはジョージ」
「見ての通り、俺たちは双子なのさ」
「え、えと、コレット・ルベインアンツ、です」
「気を付けろよ、こいつらはすぐに悪戯するから」
「普通初対面の女の子を脅すかぁ?」
「コレットこそ気を付けろよ、こいつは女泣かせだからな!」
「おいジョージ!」
快活に進められていく会話は騒々しいものの大分気が休まる場所だった。ぎこちないコレットの態度も段々と解けていき、ついさっきまで殺気を放っていたセイバーも「面白い生徒だ」と楽し気に会話を聞いていた。
「そういえば、この汽車に”ハリー・ポッター”が乗ってるぜ」
「え、そうなのかい?」
「あぁ。俺たち、さっきハリー・ポッターが荷物を大変そうに運んでたから手伝ったんだ」
「”生き残った男の子”の手助けなんて、俺たちも英雄の仲間入りだな!」
「・・・あの、ハリー・ポッターって誰ですか・・・?」
「え、君知らないのか!?」
コレットの何気ない一言で団欒とした空気はがらりと変わった。窓側に座るフレッドは驚いたと言わんばかりにコレットを凝視し、ジョージは「驚いたな・・・」と言葉を漏らす。
どうやら彼らとセドリックの心情は一致しているらしく、コレットは隣からも視線を感じていた。
「君、マグル生まれなのか?」
「あ、いえ・・・・魔法使いの一族です」
「じゃあ、何でハリー・ポッターを知らないんだ?”例のあの人”を打ち破った英雄じゃないか!」
「・・・わたし、今まであまり外に出たことがないんです」
出来の悪い魔女だから、勉強ばかりさせられて。思わず口にしてしまった言葉に、コレットははっと息を吸い込み右の手の平で口を押えた。
エドワードによって軟禁生活に近い日常を過ごしていたコレットは、外部の情報を知る手段があまりにも少なかった。コレットがまだ今より幼い頃、ドラコが屋敷にやって来た時の話である。彼が気まぐれに新聞を置いていったことがあったのだが、それを読んでいたコレットを見つけたエドワードが新聞を奪い取ったのである。「そんなものに興味を持つ暇があるなら魔法の一つでも使いこなして見せろ」。エドワードはコレットをそう詰り、新聞を暖炉にくべた。それがトラウマになったコレットは、以来屋敷の外で起こっている事柄を認知しないようにしてきたのだ。
コレットはこの場で楽しそうに話していたセドリックやフレッド、ジョージに申し訳なくなった。彼らからすれば、見ず知らずの子供の重い身の上話などはた迷惑なだけだろう。自分の犯した失態に唇を噛みしめ、いっそここから出て行った方がいいのではと思いつめるコレットに、セドリックは優しい声音で話しかけた。
「僕の所属するハッフルパフってね、劣等生が多いと言われているんだ」
「・・・え?」
「でも、実際はそんなことなくてさ。確かに生徒の中には才能がなくて苦悩した先輩もいたみたいだけど、みんなたくさんの魔法を学んで、習得して卒業していった。―――ニュート・スキャマンダーって知ってるかい?」
「あ、は、はいっ。”幻の動物とその生息地”の著者ですよね」
「そう!彼はハッフルパフの生徒だったんだ。まあ、ホグワーツは中退してしまったけど、とても有名な魔法使いになっただろ?だから、才能がないと断定して自分の可能性を潰してしまうのはもったいないことだよ。もしかしたら、君には他にない才能が眠っているかもしれない」
「ディゴリーさん、」
「セドリックでいいよ。もしかしたら、君も彼のようにハッフルパフに選ばれるかもしれないね。その時は僕が先輩としてサポートするよ」
セドリックの言葉にコレットは顔を赤らめる。これまで謗られることはあっても、セドリックが語ったような励ましの言葉を受けたことがないコレットにとって、その言葉は暗く沈んだ心をいとも簡単に救い上げた。
「隙が無いなあセドリック!」
「ハッフルパフへの勧誘か?だったら俺たちはグリフィンドールをお勧めするぜ!」
「え、あの、」
セドリックに対抗意識を燃やしたのか、双子は競うようにグリフィンドールの長所をつらつらと話し始め、負けじとセドリックもハッフルパフの良さを挙げていく。三人の寮談義は次第に盛り上がり、ついには各寮のクィディッチチームの話にまで発展していった。
会話についていけないコレットを、セドリック達は、時にさり気なく気遣い会話に参加させる。それはドラコたちのいたコンパ―メントで感じていた疎外感を忘れさせるほど居心地の良い会話であった。先ほどまでコレットの心に差していた暗い影は今や見る影もなくなり、セドリック達の話に夢中になっていた。
この人たちと知り合えて良かった。そう思い始めた頃、コレットの身体に異変が起こった。
「っいたっ!」
「コレット?!」
コレットの右手に激痛が走り、右手を抱き込むように背中を丸め悲痛な声を上げる。その異変にいち早く反応したセドリックはコレットの背中を擦りつつ声をかけるものの、それに答えるだけの余裕は痛みにかき消されてしまい、コレットは額に冷や汗を滲ませる。
『コレット!コンパ―メントから出ろ!』
「っ!」
「あ、どこに行くんだコレット!」
コレットはセイバーの言葉に半ば無意識に従いコンパ―メントから走り去った。セドリックはその後を追うべくコレットが走って行った方へ向かおうとする。
「い、いない・・・?」
僅か十秒足らずで、一方通行の車両からコレットの姿は消え失せていた。
コレットはセドリックのすぐ横にいた。だが、彼の視線がコレットに向けられることはない。何故ならコレットは気づかぬ内にセイバーの”能力”によって姿を隠されていたからだ。
姿を隠されたコレットには、霊体化したはずのセイバーの姿が見えていた。セイバーは痛みで呻くコレットの額と自らの額を合わせ、呼吸を合わせるようにと促した。
セイバーの呼吸に合わせて息を吸い、吐いていくと次第に落ち着きを取り戻していく。それを確認したセイバーは、コレットの右手を手に取り、その甲にできた”何か”を確認する。
『・・・やはりか』
『やはり・・・?』
セイバーは至極冷静な態度で、手に取っていたコレットの甲を彼女自身に見せつけた。
『何、これ・・・』
そこには痣ができていた。それも怪我を負った時にできるような自然な痣ではなく、剣を象った刻印のような赤い痣であった。
セイバーは懐から杖を取り出して一振りし包帯を出現させると、赤い痣を隠すように手の甲の部分にだけ包帯を巻いていく。
『即席で”認識妨害呪文”と”魔力感知阻害呪文”をかけておくけど、ホグワーツに着いたらちゃんとした物で隠さないといけない。でないと、すぐに他の魔法使いに感知される』
『どういうこと・・・?』
『あそこには優秀な魔法使いの教師が多い。感づかれると厄介だ』
『ちょ、セイバー、』
『面倒なことになった・・・何で僕はこんな大切なことさえ忘れていたんだ・・・』
『セイバー!』
一人で話を進めていくセイバーに苛立ったコレットは叫ぶように彼の名前を呼んだ。事態を飲み込めていないコレットの精一杯の抗議の声であった。セイバーは一瞬目を見開くが、すぐに平静を取り戻し、どこか沈痛な面持ちで痣の正体を語りだす。
『コレット、これは”令呪”だ』
『れい、じゅ・・・?』
『そう、僕と君を繋ぐ証―――絶対命令権』
令呪―――それは使い魔を使役する主にのみ発現する魔力の刻印である。刻印は三つ刻まれており、その一つ一つが膨大な魔力を秘めている。これらは使い魔に命令するか、行動を抑制するか、もしくは補助するために使用されるものだとセイバーはコレットに説明した。
そして、とセイバーは話を続けていく。
『おそらく僕の記憶の一部、というより知識を思い出したのは、この汽車がホグワーツに近づいてきたからだろう。君に令呪が宿った理由も、おそらくこれだ』
『・・・何で、ホグワーツに近づいたらセイバーの記憶が戻って、この令呪っていうのがわたしに宿ったりするのよ』
セイバーの説明をいまいち理解できないコレットは、眉間に皺を寄せながらセイバーに疑問の声を上げる。
コレットの問いに答えづらいのか、セイバーは少しだけ口を噤む。しかしコレットの無言の圧力に耐えかねたらしく、意を決したようにコレットを見据え、口を開いた。
『それは―――ホグワーツに、”聖杯”があるからだ』
その一言で、コレットの身体は硬直した。
聖杯―――それは”伝説級の魔法道具”と謳われる幻の存在。
そして、エドワードを始めとするルベインアンツ家の人間が1000年にも渡る長い歴史の中で求め続けてきた、”万能の願望器”である。