主に七巻後のハリーとモブ癒者が会話をしているだけ。ほんのり黒兄弟。
亀ですが三話完結を目指しています。全体的にはレギュラスの遺体に関する話、になる予定です。捏造過多。何でも許せる方向け。
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その梟便が魔法界の英雄であるハリー・ポッターのもとに届いたのはホグワーツでの決戦の少し後、ちょうど犠牲者達の葬儀がひと段落したときのことであった。
古ぼけたマネキンに要件を告げショーウインドウを突き抜ける。聖マンゴ魔法疾患傷害病院のロビーは相変わらず多くの魔法使いや魔女達で溢れ返っていた。足を踏み入れた途端、近しい人を探す者、容体に一喜する者、一憂する者、様々な話し声が耳を叩く。病院のロビーにそぐわずこの場所は騒々しい。どこからか啜り泣く男の声が聞こえた気がした。
そんな最早日常の風景となってしまった喧噪に立ち止まることもせず、ハリーは足早に階段を上る。すれ違いざま肖像画達に掛けられた声に上の空で返事をした。
二階、生物性傷害長期療養病棟。
扉の前で一旦立ち止まりごくりと唾を飲み込む。ハリーがノックをする前に音を立てて扉が内側から開かれた。癒者らしき壮年の男性の顔が覗く。
「ようこそいらっしゃいました」
扉の前で待ち構えていたらしい彼は作り笑いを浮かべてハリーを迎え入れた。
「あなたが?」
「はい。手に握っていらっしゃるその手紙の差出人です」
ゆったりとした口調でハリーの左手を差し示す。そこで初めてハリーは家からずっと手紙を握りしめたままでいたことに気が付いた。くしゃくしゃの羊皮紙から〝Black〟の文字がちらりと覗いて反射的に握る力が強まった。
魔法界の英雄にお会いできて光栄です、私は──と申します。
名乗った名と手紙に書かれた差出人の署名は確かに一致している。
「手紙に書いてあったことは、本当ですか」
「ええ」
「でもそんな、一体どうやって」
躊躇いなくもたらされた肯定にただ驚いた。みぞおちを殴られたような感覚を覚えて咄嗟に腹に力を込める。
「無理もないでしょう。私も十七年の間、毎日自身に錯乱呪文が掛けられているのではと疑っていましたから」
「十七年」癒者の言葉を意味もなく繰り返した。
「ええそうです、十七年間。彼がこの病院に来てから彼の担当癒者は私ひとりです。その間に世間では随分と色々なことがありましたし、この事情を知る癒者も殆どが今やここで働いていない。ごく普通に職を退く者が大半でしたが、死喰い人に殺された者もいましたね。彼の世話はごく簡単な仕事でしたが──十七年──そう十七年間! 実に長かった」
「今、彼はどこに?」
ハリーは辺りを見回した。長期療養の病室には数個の寝台が並べられているが、それらしい患者は見当たらない。すると癒者は芝居がかった仕草で手を叩き「ああ、そうでした」と言って笑む。
「お見せしたほうが早いでしょう」
おもむろに杖を取り出し病室の窓枠を一定のリズムで叩いた。魔法で映し出された空の広がっていた窓がみるみるうちに変化していく。
透明なガラスが黒を帯び、細かく裂かれた木枠がその黒に編み込まれて見えなくなる。
数秒の後、そこには黒いヴェールと、更に奥の病室へと続く空間が広がっていた。
「こちらが、レギュラス・ブラックの病室になります」
* * * * *
現れたヴェールの向こうには殺風景な空間が広がっていた。
見舞いの花束も入院患者の私物も無い。片隅にちいさな寝台がひとつだけ置かれている。窓際に置かれひび割れた花瓶を覆う分厚い埃からはその年月が窺えた。
そして寝台には男が一人、目を閉じ静かに横たわっている。
外見年齢は二十歳を超えているかどうか、といったところか。癖の無い黒髪とすっと通った鼻筋。瞳の色は分からない。微動だにしない長い睫毛が見て取れた。頬はこけ病的に痩せている。青白い不健康な肌は無機物のようだ。掌を顔の前にかざすと微かに息をしていることが分かった。大分窶れているが、目の前で眠るこの男は確かにグリモールド・プレイスで目にした写真の彼──レギュラス・ブラックで間違いない。
「十七年間ずっとこのままです」
唐突な癒者の言葉に驚いてびくりと肩を揺らした。
「このままって……まさか、一度も目を覚まさずに?」
「はい」
「どうやって? ──いや、そうじゃなくて、どうして彼が生きて──ここに、いるんですか?」
彼は死んだ筈だ。ヴォルデモートの分霊箱をすり替える為、毒薬を飲み干して亡者に湖に引き込まれて、今頃はあの黒い湖の底を漂っている筈なのだ。死ぬ寸前に助かった? クリーチャーが嘘を吐いたとでも言うのか。いや、彼が主人であるハリーに対して嘘を吐いたなんて様子はなかった。まさか、ハリーはそもそも主人ではなかった? でもそんな筈は……
「十七年前、彼の兄が彼を連れてここ、聖マンゴ病院に現れました」
「シリウスが?」
はい、と肯定をして癒者は視線を窓の外へ向けた。何かを思い出すように目を閉じる。
「そのときには既に昏睡状態でして──いえ、実際は心臓が動いてませんでしたし、呼吸もしていませんでした」
「でも、今は息をしてる」
「はい。当時から今に至るまでずっと、彼はこちらが掛けた魔法で心臓を動かし呼吸し続けています」
「そんなことが」
「可能です」
資金さえあれば、癒者のごく基本的な治癒魔法と魔法薬で体を生かすことは簡単なのだと彼は続けた。
そこで癒者は何かに気が付いて、持っていた杖を下から掬い上げるように振った。ベッド際の窓が開け放たれて淀んだ空気が一掃される。放置されていた花瓶の埃も綺麗に拭い取られた。一陣の風が眠る彼の伸び切った髪を整えていく。
「我々はこの十七年間、シリウス・ブラックの希望に沿い、資金提供を受けて治療を施し続けてきました」
アズカバンに入れられてからも毎月、彼の金庫から夥しい額のガリオン金貨が振り込まれていたらしい。シリウス自身がそういった仕掛けを施していたのだろうと癒者は話した。
しかし当のシリウス・ブラックは今や死んでいる。
「つまり自動的に、この相続人はシリウス・ブラックの遺産を継いだハリー・ポッター、貴方様になるのです」
そう言って癒者はつとベッドを指差した。
「どうされますか?」
「どうするって?」
「この状態を維持するかしないかについてお訊ねしています」
「維持を、するか、しないかだって?」
鸚鵡返しをする他ない。ハリーは癒者の言っていることがてんで分からなかった。シリウスの金庫が空になったのか。別の治療法に切り替えるのか。しかし、何れも彼の答えは否だ。
「ええとつまり、あなたはこう仰りたいんですか?〝彼をこのまま生かすか、殺すか決めろ〟と」
癒者の目が泳ぐ。即座に否定しないということはつまり、そういうことだろう。その、と言いかけた癒者を睨みつけて先を促す。
「こちらも、面倒を見られる人数には限りがありまして……先の最終決戦後、入院患者も増えて……人手が足りないのです、圧倒的に」
「殺せって?」
「まさか! そんなことを言ってなんかいませんよ」
「言ってるようなものじゃないか」理性を総動員して怒りを堪えた。自分でも驚く程に低い声が地を這い唸る。
「もう既に彼は死んでいるようなものなのです。死んでいたら殺すことなんてできやしないでしょう?」
「〝吸魂鬼のキス〟はご存知でしょうか?」
どういうことだ、と問うと癒者はぱち、ぱち、と睫毛をしばたかせて逆に問うた。訳も分からず首肯するとまた話し出す。
「ちょうど彼の状態はそれに近いと言えるでしょう。開心術で頭を覗いてみてもそこは真っ暗闇のがらんどう。ここにはほぼ間違いなく彼の魂が入っていません。この先、元に戻ることもあり得ません」
こつこつ、と杖でベッドの縁を軽く叩いた。そこに眠る男は凪いだ湖のように沈黙している。生気のない白い肌は病的な美しさを孕んで見えた。
「私が今、魔法を解除するだけで患者の不自然な生は終幕を迎え、そして全てが神の御許へ──あるべき場所へと還るでしょう」
目を閉じ朗々と言い放ち、そして眠る彼のシーツに覆われた部分──左の肘の辺りに視線を落として「死喰い人が還る場所など、たかが知れていますが」と小さく付け加えた。
「でも──でも! 彼は今、息をしてる」
触れれば温かい。心臓だって動いている。目の前で眠るこの人間は、今この瞬間も、確かに生きているじゃないか。
ハリーは訴えた。
すると癒者は唐突に宙に視線を留めた。淡い色の瞳孔が面積を増す。
「……そう、そうでした。彼も、同じことを言っていましたよ」
「彼?」
癒者は沈黙して答えない。
静かに笑みを貼り付け再び「どうしますか」と訊ねる癒者を睨みつけた。
ハリーと癒者の間に位置する寝台には変わらず、一人の男が横たわっている。白いシーツは皺の形を変えず、薄い唇は言葉を紡ごうとはしないようだ。名付け親と同じ黒髪は重力に従順なまま動かない。窓際に置かれた花瓶はひび割れたままだ。
沈黙の降りた室内に幽かに聞こえる呼吸音だけが彼の生存を証明していた。
ハリーは眠る彼に向かって何かを言いかけ、そしてその黒い前髪に触れようとして、早々に諦めた。行き場を失った右手が宙に浮く。
「……クリーチャー」
ぱちん、と、特徴的な音が響く。
ハリーの呼び掛けに応じ現れた老いた屋敷しもべ妖精は、一点を見つめ動かない主人の視線を辿り目にした“それ”に声にならない叫び声を上げる。
「…………ラス……ま……」
ぶるぶると震える手を伸ばした。
見開かれた両目から雫が垂れる。
縺れる足で一歩、二歩、進んで、とうとう、耐え切れずに崩れ折れた。
嗄れた手が這っていき、ベッドのシーツをしかと掴み彼は嗚咽を漏らす。レギュラス様、レギュラス様。生きておられたのですか。レギュラス様、レギュラス様!
「レギュラス様!」
寂寞とした病室に悲痛な声がただ響く。
その嗄れた嗚咽を、ハリーはじっと聞いていることしかできなかった。