鱗手オキル

@okinu_kokete

子どもや少年少女が主人公の物語やヒーロー物の作品が好物です。小説・児童書・アニメ・マンガの感想等も呟いていきたいと思います。 また、星野あざみさんとともに、オリジナル小説サイト「星空チャンネル」の管理人をしております。

Joined March 2018

Tweets

You blocked @okinu_kokete

Are you sure you want to view these Tweets? Viewing Tweets won't unblock @okinu_kokete

  1. Pinned Tweet
    Jan 12

    僕が児童書好きなの、たぶん癒しや自己肯定感の高まりを求めてるからではなくて、さりげなくオソロシイことが書かれているのに戦慄したいからだと思う。オソロシイことというのは、世界像と世界体験のズレのようなもの。

    Show this thread
    Undo
  2. Mar 20

    ある児童書を見てたら、「シゲタ」くんが「シタゲ」くんになっている誤植に出くわし、しばらく笑う。

    Undo
  3. Mar 16

    停止してもいいと差し出されている地点となかなか停止させてくれない奥行き。僕が児童文学が好きな理由のひとつには、そのギャップがすごく極端に見える、というところがあると思う。……と言いつつ、一般論のつもりだったけど、ジャンルを主語にして語るのはやっぱり怖いなぁ。気を付けよう。

    Show this thread
    Undo
  4. Mar 16

    ちなみに、純文学も、暫定的な節目がないわけではない。ただ、それを批評家の解説でやっと気づくくらい微妙な線で張ったり、どこまでいっても「暫定」で結局は無限の()を付けられるよというエンタメにも当てはまる言語の指示問題を、自虐的にネタにしたりするような人の悪さがあるだけ。

    Show this thread
    Undo
  5. Mar 16

    ミステリーは、「作中の真相解明あたりで作品の意図復旧完了だとひとまず思って、『メタのメタの……』をここで一旦停止してもいいよ」というアナウンスが上手なのだと思う。解釈ゲームを無際限化して苦しまなくともよい、という節目を設けてくれただけで、無限の奥行きが無いのとはちがう。

    Show this thread
    Undo
  6. Mar 16

    こういう入れ子を作品の奥行きだと思っていた一部の人達が、ミステリーとかエンタメ作品とかの、ひとまず一読の段階でも「読んだ」という感じを得られる作品を侮ってきた時代もあるらしいけれど、それもひどい話と思う。

    Show this thread
    Undo
  7. Mar 16

    …(意図’→生む’→作品’→《読み手の頭》(意図’’→生む’’→作品’’→《読み手の頭》(意図’’’→生む’’’→作品’’’→《読み手の頭》(…))))…と続けると、どんどん内外に()が増えていき、メタのメタのメタの……という進行が止まらなくなる。それをどこかで止めるのが、「読んだ」ということ。

    Show this thread
    Undo
  8. Mar 16

    こう言うと複雑なようだけれど、言語獲得した人間は普通にその能力があるし、使っているということでもあるらしい。この「捨てて拾う」「意図」やら「作品」やらのことをどういうタームを使って表すかは学者によって色々なのだけれど、大枠としては、文学の勉強だとほぼ前提になっている話。

    Show this thread
    Undo
  9. Mar 16

    元の「意図」(原理的に到達できない〝真実〟)と、それを削除した上で狭い情報(作品)から復旧された「意図’」は類似しつつズレる。このズレ、つまり復旧された「意図’」の、元の「意図」に対する不完全さを使って、ゲームをする。〝捨てて拾う〟を通して作った、拾いきれない空白を使って。

    Show this thread
    Undo
  10. Mar 16

    最近、〝フィクションに触れること〟についての本をいくつか、ちみちみ読み進めているが、大ざっぱに見て、この2つの態度を「捨てて拾う」操作が大切になるという筋は似ている。「意図から作品が生まれた」事実を一度忘却=削除しつつ、作品そのものから「作品を生み出した意図’」を復旧する。

    Show this thread
    Undo
  11. Mar 16

    フィクションに何か腑に落ちない展開があって、「作者がそのように作ったから」という理由と「作中世界の運命がそのようになっているから」という理由がせめぎ合うことは面白い。前者だけに極端に直行してしまうのは〝観賞〟というゲームのルール違反に近いし、後者だけではそもそも批評が無理になる。

    Show this thread
    Undo
  12. Retweeted
    Mar 13

    翼の感想絵が描けないでいるので、去年描いた絵を再掲。アニメ始まるよ!記念で描いたイラストです。キャプテン翼の始まりは、やはりこの2人でしょう!という事で翼と若林を描きました。この絵、自分では気に入ってるんだけど、まだ正式アップできてない。

    Undo
  13. Retweeted
    Mar 11

    3月12日。森崎有三ハッピーバースデー。これ描いたの少し前で、まさかライジングサンの連載であんな展開になるとは思ってなくて少々つらいんだけど。でも今の日本チームの守護神で最後の砦なのは間違いないから。活躍を頑張りセーブを願ってます!願ってますよ~✨✨

    Undo
  14. Mar 11

    魔法が解けてしまうかどうかは、そこに演出されるメタレベルの質にもよる気がするのだけれど、そこのところをどう考えたらいいんだろう。いや、著者はそういうの百も承知でポストモダン的小説も比較対象として取り上げて、あえて〈素朴な読み〉を擁護しているのだとは思うけど、やっぱりまだモヤつく。

    Undo
  15. Mar 11

    自分としては共感もあるが、少し迷い付きの共感かも。作品が作者の意図で〝作られた〟ものであることの露呈。あるいは、内包している思想が批判されうるものであることの露呈。それが、もう一つの世界にのめり込むように読書する楽しみを〝損ねる〟かどうか。損ねるメタと損ねないメタがある気がする。

    Show this thread
    Undo
  16. Mar 11

    批評的な目は、魔法が解けてしまう(注:著者の表現です)哀しさが伴う。著者の子どもの頃の愛読書『スイスのロビンソン』(日本では「ふしぎな島のフローネ」の原作として知られている作品)の魔法を解く実践を示しつつ、素朴な読みと批評的な読みと、どちらも尊重できないだろうかと問う本。

    Show this thread
    Undo
  17. Mar 11

    例えば、児童書を夢中で読んでもう一つの世界にアクセスする感覚を得られる子どもがいる。けれど、その子が大人になり、既に批評的な目も養われて、その本がもつ思想(帝国主義的な危うさなど)まで精読できてしまい、もう素直には楽しめない。本書は後者を〈脱神秘化する読み方〉と呼ぶ。

    Show this thread
    Undo
  18. Mar 11

    以前読んだ、J・ヒリス・ミラー『文学の読み方』(岩波書店、2008)を改めて読み返してみる。著者は理論を使って文学を読む大家なのだけど、本書はとても分かりやすい内容。そして読後感が切ない本でもある。

    Show this thread
    Undo
  19. Mar 8

    なかなか参照できない本ってありますよね。偶然にその誌名を知った同人雑誌とか学習雑誌とか。【本屋・amazon・日本の古本屋 → 種々図書館 → 図書館レファレンスサービス → 出版社】という順で当たり、それでも不発というケースもあると聞いていたが、昨年自分も遂にそういうシチュに遭遇😔

    Undo
  20. Mar 7

    ちなみに、「ノラガミ」の神々とか「月光条例」のおとぎ話の人物とかもそうだけど、認知されていることがその存在の条件でもある(アクセスされないことが消滅を意味する)タイプのお話は、個人的に恐怖のツボ。このツボを刺激したくて、(少し違うかもだけれど)バークリ『人知原理論』を最近購入。

    Show this thread
    Undo
  21. Mar 7

    別役実で思い出したのが、「さばくの町のXたんてい」(講談社)という結末がショッキングな幼年童話。大人になってから読んだ自分からすると、あの本を子ども読者はどのように受け取ったのかとても気になる。大人目線から見ると、「キャラクター」とか「パラダイム」とか、色々な概念が脳裏によぎる。

    Show this thread
    Undo

Loading seems to be taking a while.

Twitter may be over capacity or experiencing a momentary hiccup. Try again or visit Twitter Status for more information.