例えば、児童書を夢中で読んでもう一つの世界にアクセスする感覚を得られる子どもがいる。けれど、その子が大人になり、既に批評的な目も養われて、その本がもつ思想(帝国主義的な危うさなど)まで精読できてしまい、もう素直には楽しめない。本書は後者を〈脱神秘化する読み方〉と呼ぶ。
-
- Show this thread
-
批評的な目は、魔法が解けてしまう(注:著者の表現です)哀しさが伴う。著者の子どもの頃の愛読書『スイスのロビンソン』(日本では「ふしぎな島のフローネ」の原作として知られている作品)の魔法を解く実践を示しつつ、素朴な読みと批評的な読みと、どちらも尊重できないだろうかと問う本。
Show this thread -
自分としては共感もあるが、少し迷い付きの共感かも。作品が作者の意図で〝作られた〟ものであることの露呈。あるいは、内包している思想が批判されうるものであることの露呈。それが、もう一つの世界にのめり込むように読書する楽しみを〝損ねる〟かどうか。損ねるメタと損ねないメタがある気がする。
Show this thread End of conversation
New conversation -
Loading seems to be taking a while.
Twitter may be over capacity or experiencing a momentary hiccup. Try again or visit Twitter Status for more information.