1990年代から2000年代にかけ一世を風靡したロックバンド「黒夢」「sads」のボーカル・清春。デビュー直後からカリスマ的な支持を集め、今なお活躍するロックスターが味わった “苦い”経験を前後編に分けてお届け!後編ではsadsデビュー時の“ガラガラ”すぎるライブ秘話を激白!!
sadsデビュー!しかし客は5人…
――黒夢休止と同年(1999)にsadsを結成。「元黒夢・清春の新バンド」ということで、結成直後にイギリスツアーを行う華々しいデビューでしたね。
いや…そのイギリスツアーが、今思うと一番“苦い”ライブだったんです。
――えっ、なぜですか?
客が全然入らなくて…。
sadsはイギリスではまったく無名だったから、僕たちだけでヒトが集まらないのは予想してたんです。だけど、機会をもらえたから、やってみたかった。
そこで「売れてる」っていう向こうのバンドと一緒にツアーを回ったんだけど…そのバンドが、人気がなかったんです(笑)。
――(笑)。
一番動員が少ない会場では、お客さんは、たった5、6人…。こんな人数、インディーズ時代でもなかったですよ(笑)。
ステージのすぐ下が客席で、お客さんが手を伸ばせば僕の足にさわれるくらい近くにいるんですが、そのヒトたちもマジメに聴いてくれなくて。
演奏中に、その中のひとりが僕の靴ヒモをほどいてくるんですよ(笑)。
僕のファンというワケでもないから、靴ヒモを奪っていくとかじゃなく、ただほどかれるだけ。
――遊ばれていますね…。「こんな場所でやってられるか!」とは?
その気持ちはありました。でも、ライブの様子をミュージックビデオに使うために撮ってたんですよ。
もちろん、あまりヒトが入っていない客席は映らないようにして。
だから、投げ出すことはできなくて (笑)。
――そんな事情が(笑)。厳しいスタートとなったワケですが、デビュー後は先ほど話に出た「BABYLON」などもヒットし好調でした。しかし結成5年目(2003)にsadsも活動休止…。
いくつか理由はありますが、まずデカいのは “音楽バブル”が終わったことですね。
sadsでアルバムを出しても、今まで30~50万枚売れていたものが、15万枚しか売れなくなって。
だけどチャートは、けっこう上位だったので「あれ?」って感じになりました。
――確かに2000年頃から、CDの売上は全体的に減少していきました。
それに、ライブの動員数も減っていったんですよ。
音楽業界全体が、変わっていくのを感じましたね。
――なるほど。
そして、僕が「やんなっちゃった」というのもあります。
sadsはバンド形式ではあったんですが、実質的には僕のソロみたいなものだったんです。
そんな状態で、ギターと確執があったり、ドラムが酔っ払ってケガしたりということが続いたので「もうソロになろうかな」と。
もともとソロ志向はあったんですよ。ちょうど35歳になったんで、キリがいいかなと思って休止したんです。
恩人の死をきっかけに黒夢復活
――その後ソロで活動されますが、2009年に「黒夢の復活・解散ライブ」と称した公演を武道館で。休止から10年経過し、関係が修復したんでしょうか?
いや、それはないです。
人時くんから「やりたい」って言ってきたんですが…。
当時の僕は、その提案に対してクエスチョンがありました。
まぁ、だって自分から「抜けたい」と言って脱退したんですよ。
「なんで、そんなことが言えるんだろう?」と思いましたね。
――では、なぜライブを?
あまり乗り気ではなかったんですが、区切りをつける意味もあって承諾したんですよ。
密着撮影のカメラが入ってたから、表面上は現場でも仲良くしてましたけどね。握手したり(笑)。
でも実は、10年間一度も会ってないから気まずさがピークで、打ち上げも別々の場所でした。
――そんな不仲な状態にもかかわらず、2010年には正式に黒夢復活を宣言されます。なぜですか?
それは、世話になった友人の“死”が関係しているんですよね。
――死…ですか?
黒夢からsads、ソロになったときも、すごくよくしてくれた「FOOL’S MATE(フールズメイト)」という音楽雑誌の元編集長・東條(雅人)さんが2009年に急死されたんです。
僕らが苦しい時も表紙に使ってくれて、表紙で使えないときは悔し泣きまでしてくれて…。
黒夢やsadsは彼が有名にしてくれたと言っても、過言ではない方なんです。
彼が“どれだけアーティストに愛されていたか”を分かってもらうために、何ができるかを考えたら…黒夢の復活に行き着いたんですよ。
sadsも同じ理由で活動を再開しました。
――なるほど…。
このときは、僕から人時くんに「また一緒にやろう」と持ちかけたんです。
そして復活してから毎年、彼の故郷・岡山でライブをしています。
これが、せめてもの“はなむけ”かなと…。
――そんなことが…。
この復活がきっかけになり、人時くんとの関係も、“以前よりは”良くなりましたね。
今でも、そこまで仲良くはないですが(笑)。
――せっかく復活したのに、そんなことを言っていいんですか?
彼のベースの実力は認めているし、弟みたいに思っていた時期があるから嫌いではないです。
だけど実は「黒夢の楽曲は解散寸前の方がいいんじゃないか」と思っていて。
仲が悪い方が、いいものが作れるんじゃないかなと(笑)。
――(笑)。
でも本当に今振り返ると、人時くんとの確執での休止や、5000万の借金を抱えたことなど、失敗をたくさんした人生自体が“Rock”なんじゃないかと思うんですよね。
多く失敗をした人生の方が “輝き”が増すんじゃないかなって。
※この記事は内容を抜粋・要約したものです。「黒夢」全盛期にテレビ出演を断っていた理由など、全文は「週刊ジョージア」(https://weekly-g.jp)でご覧いただけます。
【週刊ジョージア】