自身の姿が、日本人とバレエの距離を縮めるきっかけになる

バレエダンサー
飯島 望未 Nozomi Iijima

理想のダンサー像を体現したいという想いが力になる

アメリカのテキサス州・ヒューストンは、数多くの劇場があり、人々の生活に芸術鑑賞が身近に存在する都市。その地のヒューストン・バレエ団で、2019年にトップダンサーであるプリンシパルに昇格した飯島望未さん。同年から『CHANEL』のビューティーアンバサダーを務めるなど、バレエの枠を超えた活動にも意欲的に取り組んでいます。
「バレエを始めた頃は『バレエが好き』という感覚はなく、周囲の子より上手にできない自分が嫌でした。ただ『周囲の子より上手になりたい』という負けず嫌いの気持ちだけで通っていました」
13歳になると『ユース・アメリカ・グランプリ』で入賞し、15歳で単身渡米、その翌年にはヒューストン・バレエ団とプロ契約を果たすなど、活躍の舞台が世界に広がっていきます。そんな飯島さんにとって、一番高い壁が立ちはだかったのは20歳の頃。 「ヒューストンは演技力を求められるバレエ団で、自分の中ではそれが大変でした。日本ではバレエダンスの「技術」を教わってきましたが、演じる役の喜怒哀楽やストーリーに合わせて表現する「演技」を教わることはなかったんです。指導者から言われる内容も『自分を表現しなさい』という抽象的な言葉だけで、『心情を人に伝える』にはどうすればいいのか悩みました」
今思えば、当時の自分は踊りがやや無機質だった、と語る飯島さん。遠くの観客にも伝わるように身体全体で心情を表現できるようになろうと映画やドラマを見て研究し、自分なりに解釈して地道に反復練習を続けることで、今の豊かな演技力が身についたといいます。
「ここまでがんばれた原動力のひとつは、言葉では表現しづらい理想のダンサー像をビジョンとして持ち続けていて、そこに到達したいという強い想いがあったから。あと、『自分が知らない新しい自分を知りたい』という意欲も力になっています」

スタジオを出た瞬間、バレエのスイッチはOFF

オフタイムはまったくバレエのことを考えないと語る飯島さん。主役を演じるようになった現在も、バレエに関するほぼすべてをバレエスタジオで行います。
「トゥシューズのリボンもスタジオで縫います。スタジオに着いたらパッとスイッチが入って、バレエのことだけを考える自分になれる。でもスタジオを出た瞬間にバレエのことは何も考えなくなるし、自宅に戻るとダメ人間になっちゃいます(笑)」 最近は、SNSでの情報発信にも積極的に取り組んでいます。
「服やファッションが好きで、SNSもバレエと同じ自己表現のひとつと捉えています。それに、日本人とバレエの距離が縮まるきっかけになりたいんです。一人でも多くの人が、私のSNSやメディア出演を通じてバレエに興味を持ち、芸術鑑賞が盛んなヒューストンのように多くの人が舞台に足を運んでくれることを願って発信しています」
海外で暮らすようになって、日本語や日本文化の美しさを改めて感じたという飯島さん。ひとりの時間は読書をして過ごすことも多いとか。
「読むのは日本の作家の本がほとんど。安部公房さんの本が好きなんですが、川端康成をはじめとする純文学もよく読みます。登場する日本語の美しさに魅入られてしまって」
そんな飯島さんはヒューストン・バレエ団のプリンシパルになるという目標を達成しました。
「でも実は私、踊るのは大好きだけど、踊ることに執着がないんです(笑)。だから、いずれ後輩の踊りを見て焦りの気持ちが生まれなくなったら、どんなポジションにいてもすぐに舞台を降りようと決めています。ただ、舞台を降りてもバレエから離れるのではなく、微力ながら若手ダンサーの活躍を支えたり、応援する役割を担うつもりです」

REACH BEYOND ITEM

星のアイテムたち

小学生時代から続くゲンかつぎアイテム

楽屋の化粧台前に必ず並べるという星のリングと星型の生地。飯島さんにとって星がモチーフのアイテムは特別な存在だそうで、星型の生地はかつてオーダーメイドしたドレスを飾ったもので、自分で描いた星を切り抜いて作ってもらったそう。「まだ小学生の頃、コンクールに出場した時に星型のアイテムを持っていくと成績が良かったんです。以来必ず星のモチーフを傍らに置くようになりました。当時はたくさんあったゲンかつぎも、今はこれだけ(笑)」と飯島さん。