戸籍の歴史
明治以後戸籍はいくつかの変遷を経て現代に繋がっています
ここではその戸籍の変遷を見ていきます
1 明治5年戸籍(別名壬申戸籍)(明治5年2月1日から明治19年10月15日)
・日本で最初の全国統一様式の戸籍
・戸籍の編成単位は「戸」
・身分登録・住所登録の意味があった
・戸籍の編成は住所地において戸主を始めとして親族を主体し、他人でも養育しているものを附籍者として登録。
・戸籍の表示は何番屋敷という表示方法。<以上、現在では閲覧不能>
注意:現物を見たことがありませんのであくまでも推測になります(他の本の資料などからの想像です)
・干支があった
・明治5年当時の年齢が記載されている
・氏寺、菩提寺の記載あり(他にも牛馬や身体特徴、犯罪歴も記載されたらしい)
・亡くなったからの記載が明治19年以降は亡山田太郎が明治5年戸籍は山田太郎亡と記載されている(亡の位置が違う)
・6年ごとに替える予定であったが、それはしなかった
補足説明:1872年(明治5年) - 日本で初めての本格的な戸籍制度が開始された。この年の干支が壬申(みずのえさる)であることから、この制度によってできた戸籍を壬申戸籍(じんしんこせき)と呼ぶ。この戸籍は「新平民」や「元えた」などの同和関係の旧身分や、病歴、犯罪歴などの記載があることから、現在は各地方法務局の倉庫で一般の目に触れないように厳重に保管されている。ただし、法務省の公式発表では壬申戸籍は廃棄したことになっている。
壬申戸籍情報1 ウィキペディア(壬申戸籍)から
壬申戸籍 (じんしんこせき) は、明治4年 (1871年) の戸籍法に基づいて、翌明治5年 (1872年) に編製された戸籍である。1872年の干支からとって、壬申戸籍と呼びならわす。江戸時代の宗門改帳にかわり、皇族から平民までを戸を単位に集計した。また、江戸幕府の国別人口調査と異なり、全国一律の基準で集計した点でも画期的であった。この戸籍により、当時の日本の総人口は、3311万人と集計された。
明治6年 (1873年) から大正8年 (1919年) までの人口統計は、壬申戸籍に対する増減をもとに算出したものである。しかし転出、転入の届けなしの移動が相当数に及ぶため、地域別人口のずれが年々拡大した。また、壬申戸籍自体が、役所の戸籍簿の集計であり、直接の人口調査によるものではなかったため、無視できない脱漏を残していた。
後の統計は集計値のほかに推計値を載せるようになり、大正9年 (1920年) の国勢調査まで、この誤差問題はしだいに大きくなっていった。1872年(明治5年)の総人口も3480万人に修正した推計がなされているが、この推計値についてもなお議論がある。
壬申戸籍では、皇族、華族、士族、卒、地士、僧、旧神官、尼、平民を別個に集計した。旧来の被差別部落民は平民に含められたが、多くの役所では彼らの戸籍に様々な注記や目印を付けて区別した。後の戸籍が改めてからも、他人が被差別部落民かどうかを探り出すために壬申戸籍を用いる者が後を絶たなかったため、1968年(昭和43年)に閲覧が禁止された。
現在は各地方の法務局に厳重に保管されており、たまに記載事項証明書の発行が行なわれる場合があるが、戸籍簿自体の閲覧は不可能である。学術研究目的での閲覧を許可するように求める声もある。なお、法務省では公式には壬申戸籍はすでに破棄したものとしており、その存在を否定している。
壬申戸籍の全国集計 | | | | | | ||
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身分 | 戸主男 | 戸主女 | 戸計 | 男 | 女 | 人員計 | 人口中% |
皇族 | 7 | 4 | 11 | 14 | 15 | 29 | 0 |
華族 | 459 | 0 | 459 | 1300 | 1366 | 2666 | 0.0081 |
士族 | 258,939 | 13 | 258,952 | 634,701 | 647,466 | 1,282,167 | 3.9 |
卒 | 166,873 | 2 | 166,875 | 334,407 | 324,667 | 659,074 | 2 |
地士 | 646 | 0 | 646 | 1,715 | 1,601 | 3,316 | 0.01 |
僧 | 75,925 | 0 | 75,925 | 151,677 | 60,169 | 211,846 | 0.64 |
旧神官 | 20,895 | 43 | 20,938 | 52,141 | 50,336 | 102,477 | 0.31 |
尼 | - | 6,068 | 6,068 | 0 | 9,621 | 9,621 | 0.029 |
平民 | 6,326,571 | 170,752 | 6,497,323 | 15,619,048 | 15,218,223 | 30,837,271 | 93 |
樺太人員 | - | - | - | 1,155 | 1,203 | 2,358 | 0.0071 |
計 | 6,850,315 | 176,882 | 7,027,197 | 16,796,158 | 16,314,667 | 33110825 | 100 |
壬申戸籍情報2 元市民課職員の危ない話から
昭和43年までは各役所で、本籍地、戸主名がわかれば誰のものでも取得可能でしたが、悪用される場合もあったため現在では法務局に厳重保管されています。(法務局では壬申戸籍は存在しないとの見解をとっています)
歴史研究家の間から情報公開とのからみで、学術研究目的に限り、その公開を求める声が上がっています。
「壬申戸籍」を作成する際に、下資料として作った「戸籍帳」「戸籍調べ」を若干所蔵していますが内容は「壬申戸籍」とほぼ同じ形式で書かれています。これらの史料から自分を一代目とすると、おおかた七代前の先祖が判明します。
(明治19年戸籍では自分の高祖父が戸主の戸籍でその父親までしか分からないが壬申戸籍ではもう一世代遡れるので7代前まで判明できる)
「壬申戸籍」には「華族」「士族」「平民」の族称のほかに「新平民」や、その他の「同和」問題のもとになる江戸時代の身分や、犯罪歴、病歴などが記載されているために現在では法務局に厳重保管されており一般の人の目にふれる事はありません。年に何回か虫食い防止のために部屋の鍵をあけ、風とおしをしています。(法務局の職員さんはこの時に壬申戸籍が目にふれます)この事からして、法務省(法務局)は壬申戸籍を大切にあつかっている事がうかがい知れます。将来、法改正があり従前戸籍の閲覧が可能になった時の事を考えて、この日本で最初の戸籍「壬申戸籍」を大切に保管しているのでは、とのニュアンスを感じとってしまいます
「壬申戸籍」には歴史研究家、とくに幕末維新期を研究している人にとっては、のどから手が出るくらいの貴重な情報の記載があります。
壬申戸籍の法務局の秘密保管であるが、ある意味では、「公然の秘密」になっている。職員に問い合わせても、「廃棄して保管が無い。」としか、回答はしませんし職員も全員が見ているわけではありません
戸籍情報
1 戸籍は正副2通作成し、1通は各市区町村役場に、1通は地方法務局に保管される。
2 80年間の保存義務期間を過ぎた除籍謄本は各役場の判断により破棄してもよい、(破棄しなくてもよい)規定になっている。
3 地方法務局では管区内の除籍謄本を80年間保存した後は、管区内の各役場に返却しています。(法務局のスぺ-スの関係上)
4 明治5年式戸籍(壬申戸籍)は学術研究用に各地方法務局に厳重保管されています。
5 破棄された除籍謄本の処分については各役場の判断におまかせしてあり、法務局の管轄外ですのでわかりません。
6 昭和43年までは壬申戸籍の取得は各役場で可能でしたが諸般の事情により一括梱包し法務局へ引き上げました。そこの部屋(指差しながら)に厳重保管してあります。年に数回、虫食い防止のため、風とおし、殺虫のために鍵をあけます。
7 役場によっては壬申戸籍を作成するにあたり、その元になる「戸籍調べ」なるものを保存している所もあると聞いています。
8 明治19年式戸籍は壬申戸籍を元に作成され、明治20年から21年にかけて完成しています。この時代に作成された戸籍は再製されて、取得できる役場もあるそうです。
9 当然ですが、大きい町の役場はかかえている除籍、改製原戸籍、戸籍の数が多くスぺ-スの関係上、保存義務期間の過ぎた除籍謄本は次々に破棄される傾向にあります。小さい町、村の役場は前述のとおり明治20年ころからの除籍謄本を保存しているようです。(田畑、土地の相続などによる請求が多いため)
ちなみに内閣府に文句をいって壬申戸籍の閲覧請求しても却下されています
簡単にいうと法律上、壬申戸籍は戸籍ではなく行政保管文書であるので請求に応じるものではないとのこと
以下はその答申書
明治19年式戸籍(明治19年10月16日から明治31年7月15日)
・屋敷番制度から地番制度の採用(一部地域では別称を使用、番地、番戸、番屋敷、番邸の4つが使用)
・除籍制度の開始
・家の単位に、戸主を中心としてその直系・傍系の親族をひとつの戸籍に記載。
・戸籍の第1葉目の表面には4人、裏面には5人 第2葉目以降には表裏とも5人の記載。
明治31年式戸籍(明治31年7月16日から大正3年12月31日)
・新たに「戸主ト為リタル原因及ヒ年月日」の欄が設けられる。(完全に番地制となる)
・民法(旧民法)で、「家制度」が制定され、人の身分関係に関しても詳細な規定が設けられる
・戸籍の第1葉目の表面には2人、裏面には3人 第2葉目以降には表裏とも3人の記載。
補足説明:1898年(明治31年) - 家を基本単位とする戸籍制度が開始された。戸籍簿とは別に身分登記簿を設けた。
大正4年式戸籍(大正4年1月1日から昭和22年12月31日)
但し、昭和23年1月1日以降直ちに新様式に改正することができなかった為、改正戸籍は昭和33年4月1日以降になる。
・「戸主ト為リタル原因及ヒ年月日」の欄が廃止され、その事項を戸主の事項欄に記載する。
・戸籍の第1葉目の表面には1人、裏面には2人 第2葉目以降には表裏とも2人の記載。
補足説明:1915年(大正4年) - 身分登記簿が煩雑であったため廃止し、戸籍簿に一本化された。
昭和23年式戸籍=現在の戸籍(昭和23年1月1日~現在)この戸籍に改製される前の戸籍が「改製原戸籍」
・昭和22年の民法改正で「家制度」が廃止される
・戸籍編成が夫婦単位となり戸籍の様式も変更
・家の単位から夫婦親子の単位に変更。
・ 戸籍の第1葉目の表面には1人、裏面には2人 第2葉目以降には表裏とも2人の記載。
平成6年式戸籍 戸籍事務の電算化が始まり、コンピュータで戸籍を管理する自治体が徐々に増える。
平成6年に戸籍法が改正され、戸籍をコンピュータ処理できるようになった。電算化すると縦書きだった戸籍謄本は横書きになる。ただ、法律で電算化を強制しているわけではない