マエリベリー・ハーンと賢者の石   作:ろぼと

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ワンピのほうの執筆モチベが他界他界したのでリハビリに書いたもの



FILE.01:異端児ラフカディオ・ハーンの遺産

西暦1991年7月某日 午前

愛蘭土(アイルランド)都柏林(ダブリン)某所 『旧ハーン診療所』

 

 

 

 ダブリン都心の大通りから4つほど外れた横道。その寂れた商店街の更に裏手、周囲の建物に埋もれるように、一件の小さい襤褸アパートメントが建っていた。

 三階建ての、ここアイルランドでは珍しいマンサール屋根を構えたその集合住宅の地上階には、板で打ち隠された一枚の古い看板が掲げられている。

 

 ”HEARN’S CLINIC”

 

 10年ほど前に閉院した診療所で、今では代々受け継いで来た医師の一族の親戚が定期的に管理しているだけの無人の建物となっている。

 故に、そのアパートメントの前を通る近隣住民の目には僅かばかりの好奇の色が宿っていた。

 珍しく、あの家の窓が開いているぞ、と。

 

 

「ふぅ…」

 

 丸1年ぶりにダブリンの外気に触れた『旧ハーン診療所』の三階。その変哲の無い一部屋の奥に、一人の小柄な少女の姿があった。

 

 軽いウェーブに広がる柔らかなプラチナブロンド。宝石のように深く、澄んだ紫の瞳。傷一つない白磁の肌が引き立てるビスクドールのように整った容姿は、ラベンダーの清楚なワンピースの隙間にぼんやりと浮かびあがっている。

 正午の陽光を受けキラキラと舞う埃の中に佇むその華奢な姿は、まるで御伽噺の妖精のように幻想的で美しい。

 

 もっとも、彼女が行っていることはまさにその童話の妖精の通り。歴史ある屋敷の掃除である。

 代々続く医師ハーン家の遺児”メリー”は11歳の誕生日のこの日、飛び級で留学中の日本から久々に地球の反対側にある実家へ帰省していた。無論、数少ない親戚の叔母夫妻から「今年の掃除を代わりに頼む」と要請されなければ決して訪れる予定の無かった、面倒ごとである。

 

 

「…あら?」

 

 ぶつぶつと不平不満を垂れ流しながら、埃叩きで払った蜘蛛の巣から家主が逃亡する姿を見つめるメリー。そんな彼女はふと、その蟲が不自然に天井の一角を避けながら疾走する様子に興味を引かれた。

 しばらく観察していると、蜘蛛が逃げ惑う板張りの天井に、二筋の小さな隙間が備え付けの本棚の角と重なるように走っていることに気が付く。

 

(隠し扉…? それにこの蜘蛛のヘンな動きって、”普通”じゃないわよね…)

 

 確かに巧妙に隠されてはいる。だが留学先の京都の某大学で霊能者オカルトサークルに所属する彼女が、目の前で起きる超常現象を見逃すはずがない。

 

 ここは神秘の本場、ブリテン島。そして、色々と奇怪な逸話が多い先祖が残した、築130年以上の古い診療所。

 生と死、血、喜怒哀楽といった、幻想の者たちが好む”食事”の臭いが染み付いた空間で見つけた、明らかな非日常の気配だ。

 

「…ふふっ」

 

 それまでのウンザリした淀みを捨て去り、満開の向日葵のような笑顔を咲かせるメリー。早速地下から脚立を運び込み、少女は危うい手付きで隠し扉を解放した。

 

「…ッ! けほっ…こほっ…、凄い埃  

 

 雪崩のように落ちてきた灰煙に咳き込みながら、メリーは目の前の闇に浮かぶ、見慣れた異界の「スキマ」に瞠目する。

 

  これって……結界?」

 

 それは彼女にのみ許された、超常の”異能”。 

 異端も異端。メリーは人でありながら、人ならざる力を与えられこの世に生を受けた。

 

 与えられたのは、神秘の存在とされる神仏霊魂妖怪魔物の類が育む夢幻の世界  「結界」と現世の境界を認識する程度の能力。

 

 大学のサークル活動において最も貢献華々しいこの”異能”が、またしてもメリーを新たな夢の世界へいざなった。

 

「わぁ…」

 

 平然と、苦も無く結界の境界をすり抜けた少女は、眼前に広がった光景に感嘆の声を零す。

 

 所狭しと整列する巨大な本棚。妖しく光る液体が入った無数の小瓶。見たことの無い奇抜な生物の標本。複雑な幾何学模様が描かれた正方形の布。針が逆行する巨大な振り子時計…

 

 それはまさに絵本に出てくる魔女の工房であった。幻想の香りに満ちた摩訶不思議な空間の魔力に侵されたのか、メリーは溢れる感動のまま秘匿されていた屋根裏部屋の中を無防備に散策する。

 広さは  多種多様な家具や魔術道具類が犇めく圧迫感を考慮しても  100坪はあるだろうか。ビルのオフィスに近く、通常の住宅街ではまずお目にかかれない規模の部屋である。当然、このアパートメントにそれほどの敷地は無い。

 たとえこの手の秘儀に覚えがなくとも、何らかの力で空間を捻じ曲げ強引に拡張しているということは少女にも漠然と理解出来た。

 

 確かに、かつて夢の中で幾度も見た神話規模の異界からは幾段も格の落ちる、幼稚な結界ではある。生物の精神へ能動的に働きかけなければならないほど甘い秘匿で、異界の深度も現世のそれと全く変わらない。おそらく幻想の術の類で簡素な囲いを作り、その内部を更に広げただけの改造空間だろう。

 広義には結界の分類に入るとは言え、神仏や高位の妖怪魔物が創造する「異界」と呼ぶには憚られる、実に簡素なものだ。

 

 だが、その等身大さが逆にメリーの興味を強く引いた。

 おそらくこれを作ったのは空間操作系の”異能”を持つ低位の妖怪魔物か、それこそ部屋の印象通りの民話に登場する魔法使い。

 

 つまり彼女と同じ  人間だ。

 

「…ッ、やっぱり…!」

 

 少女は本棚の前で一冊の分厚い不気味な皮表紙の本を取り、その題名に興奮する。

 

  『THE DARK ARTS』……”闇の術”だなんて、いかにもね)

 

 堪らず表紙を捲り、中に紹介されていた未知の知識に没頭する。だがあまりに難解なそれは、メリーの幼くも並外れた頭脳を以てしても解読には至らない。

 

 少なくとも、今は。

 

「ふふっ、ご先祖様からのステキな誕生日プレゼントってとこかしら」

 

 日本で共に学ぶ同性同年の相棒に伝えたら狂喜乱舞しそうだ、と少女は頬を緩める。貴重な夏季休暇を利用した数々の予定をこちらが棒に振ったせいで不貞腐れていた彼女だが、この隠し屋根裏部屋の魔導書などを持ち帰ればたちまち機嫌も直るだろう。

 

 早速室内の写真を現像し、エアメールを送って自慢しなくては。メリーは相棒の下宿先宛てに手紙を書こうと踵を返し  

 

 

「…ッ!?」

 

 

   突然耳に飛び込んできた大きな羽音に思わず飛び跳ねた。

 

 換気していた三階のどれかの部屋の窓からハトでも入って来たのだろうか。慌てて屋根裏部屋の隠し扉から脚立で降り、辺りを見渡す。

 

 すると、錆びた黒鉄の窓枠に、一羽のずんぐりとした鳳がふてぶてしく留まっていた。

 

「…フクロウ?」

 

 何故こんな都会の下町診療所に?

 メリーは突然部屋に舞い降りた大型鳥の存在感に思わず後退る。

 

 生まれて初めて間近で見た珍しい生き物の来訪。そして、先ほど秘密を暴いた屋根裏部屋の魔術工房。果たしてこれらが同じ時刻に起きることは偶然であろうか。少女にはとてもそうは思えなかった。

 

 案の定、窓枠のフクロウは一通の封筒を口に咥えていた。伝書バトくらいは知るメリーでも、伝書フクロウ  それも口に咥えて運ぶほど知能が高く訓練されている鳥の話など聞いたことがない。

 

「招待…いえ、案内状?」

 

 戸惑いながら近付き、手を伸ばすと、嘴を持ち上げ封筒を差し出された。イルカどころかサルすら超える高度な知性。不安と期待を胸中に渦巻かせながら、少女は古風な蝋封が施されたそれを凝視する。

 

 ダイヤ貼りの封筒に描かれていたのは、中世・ルネサンス期に多用されたエスカッシャンらしき紋章。四つのパーティションにはそれぞれ獅子・蛇・穴熊・鷲の動物のチャージが彩られており、中央の内盾には”H”のイニシャル。紋章記述には”DRACO DORMIENS NUNQUAM TITILLANDUS(眠れるドラゴンくすぐるべからず)”とラテン語で何かの隠語が綴られている。

 

 そして上部スクロールに記されている、見慣れない固有名詞。

 

(”HOGWARTS”…? 紋章の様式的にはスコットランドの団体か組合のようだけど…)

 

 少女は首を捻る。西洋の紋章学は大学の図象学の講義で少しだけ触れたが、モットーのスクロールをシールドの上に描くものは確かあの国固有の様式だったはずだ。ちょっとした雑学程度の認識で記憶の片隅に置いていたが、まさか役に立つ日が来ようとは。

 とは言え、自分にこのような無駄に格式張った封筒を貰うような社会的ステータスは無い。メリーは異国の大学に飛び級入学出来るほどの、人より少しだけ優れた頭脳を持ち、代々続く医者の家系の遺児で、魔術工房らしき隠し屋根裏部屋がある閉院した診療所の管理を任された、人ならざる”異能”を持つ、普通の…いや、かなり珍しい11歳の女の子だ。

 

 強烈な不安を覚えた少女は震える手で蝋封を捲り、中に収められていた一枚の手紙を開く。

 

 そしてその奇妙な文面に自身の名を見つけた瞬間  唐突に診療所の玄関のブザーが鳴り響いた。

 

「ッひゃあっ!?」

 

 咄嗟に零れた悲鳴は開かれた窓から近隣へと木霊する。

 状況と言い、明らかに狙ってやったとしか思えない奇跡的なタイミング。あまりに怪しい訪問者ではあるが、掃除の途中で窓や扉を全開にしている現状で居留守を使い逃げることは不可能だ。

 

 恐る恐る、メリーはフクロウを避けながら隣の窓へ近付き、覚悟を決め、外から階下の玄関を覗いた。

 

 

  初めまして。私、”ホグワーツ魔法魔術学校”で副校長を務めておりますミネルバ・マクゴナガルと申します」

 

 

 そこには、深緑色のローブと魔法使いのトンガリ帽子を被った老女が、厳格そうな表情でこちらを見上げていた。

 

 

   Miss マエリベリー・ハーンは御在宅でしょうか?

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦1991年7月某日 午後

日本・京都府某大学 『秘封俱楽部』部室

 

 

 

  と言うことがあったのよ」

 

「久々にウチの活動サボって実家帰ったと思ったらそんな面白そうな目にあってたのね、メリ-」

 

 

 モンスーンの季節が終わり、東アジアの灼熱の太陽光が降り注ぐ日本の京都盆地。

 山科にほど近いとある大学の一室では、凍り付くような冷気をエアコンに吐き出させながら寛ぐ二人の幼い少女がいた。カーテンすら閉じた密室の内部は宛ら彼女たちが魅了される「結界」の如く、住人の過ごしやすい異世界と化している。

 

 ここは歴史ある大学サークル『秘封俱楽部』。

 稀有な力を持つ霊能者たちが自然と集まる、世にも奇妙なオカルト研究会である。

 

 先日実家のダブリンから留学先の京都へ意気揚々と舞い戻った飛び級留学生、”メリー”ことマエリベリー・ハーンは、部員の片割れである相棒  宇佐見蓮子へ、帰省中で見聞きした新たな”不思議”について興奮気味に報告していた。

 

「いや、ホントびっくりしたんだから。実家のアパートの部屋を掃除してたら、魔術書の書庫になってる隠し部屋見つけたり、凄いもふもふしたフクロウが家の中入ってきたり…」

 

「で、そのもふもふメール読んだ直後に謎のコスプレマダム襲来&魔法の世界にご案内…と。  今回のは妙に普通というか、日常的な神秘ね。メリーのいつもの頭のおかしい”夢の世界”も貴女と同時にどっかに帰省でもしたの?」

 

「煩いわね。ただでさえ成田とダブリンの往復でヘトヘトなんだから…」

 

 辛辣な言いようのクセやけに目を輝かせている相棒の子供らしい姿に、メリーは皺の寄る眉間を抑えながらも高揚に笑みを深める。

 

 蓮子の言う「夢の世界」とは、メリーが時折見る非現実の世界のことを指す。結界の境界を視認し、最近では更にそれを超えて結界の内部へ足を踏み入れることが出来るようになった彼女は、幾度も相棒をその中へ案内し二人で結界巡りを楽しんでいた。

 それが今代の『秘封俱楽部』の基本的なサークル活動だ。

 

 だが蓮子の言う通り、此度メリーが見た”夢の世界”はどうもいつもと様子が異なっていた。

 境界を超えた覚えも無く、出会った夢幻の秘儀の使い手は自分と同じ人間。また風土という言葉があるように、例の自称魔女が見せた”異能”は西洋の魔法文化を彷彿とさせるものであった。

 否、あれは西洋魔法そのものと言っても良いかもしれない。

 

 杖を振るい、呪文を唱え、物を浮かせる。

 

 物理法則を無視した理解不能な現象。いつもの”夢の世界”ではない、明らかに現実として目の前で起きたそれに、メリーは強い衝撃を受けていた。

 

 相棒の蘊蓄の中でも特に印象に残っているあの言葉が、ふとメリーの脳裏に浮かぶ。実に単純な一言でありながら、それは困惑する彼女にとって、何よりも縋るべき格言であった。

 

   科学に、絶対はない。

 

 

「にしても何て言うか、凄く()()()わね。魔術の本場ブリテン島で魔女だなんて…! 貴女のいつもの”夢の世界”とはまた違ったんでしょ?」

 

 頬を膨らませながら「私もリアル魔女見たかったなぁ」と羨ましそうに呟く友人にメリーは小さく溜息を吐く。柄にもなくはしゃいでしまったが、巻き込まれ体質もここまで来ると達観してしまう。

 

 もっとも、胸中に沸き立つ密かな高揚感を誤魔化しきれていない分、メリー自身も蓮子と同じ穴の狢ではあるが。

 神秘とは、かくも人を惹きつける。

 

「…あのお婆さんは正真正銘の人間だったわ。霊でも妖怪でも異界人でもない、どこからどう見ても普通の生身の現世の人間。不思議な力が使えるだけの、ね」

 

「私たちの世界にそんな力を教えてくれる学校があるなんて、凄い発見よメリー! …私もイギリス留学しようかしら。素質が無くても少しくらいはおこぼれに肖れると思わない?」

 

「留学って…貴女私と同い年でしょ。ウチみたいに飛び級してる11歳の子供の編入を受け入れてくれる大学なんてそうそう無いと思うけど、まさか現地の小学校にでも通うつもり?」

 

「あはは、それいいわね! 体は子供、頭脳は大人、その正体は英国魔法研究家の日本人小学生! この世にたった私一人だけよ、そんな女の子」

 

 魔法が実在する。そんなマニア垂涎の新事実に、相棒がかつてないほど狂喜乱舞していた。あまりのハイテンションに気圧され、メリーは逆に理性的になる。

 

 冗談だとは思うが、もし蓮子が本当に日本を離れるつもりならば、今までずっと続けてきた『秘封俱楽部』はどうするつもりなのだろう。あれはこの地  日本の神秘を観測するオカルトサークルだ。異国にまで活動範囲を広げるのだろうか。

 メリーは目の前の節操無しに呆れて問おうとする。

 

 否、そもそも彼女には話の前提から誤解があるではないか。

 

「いや、ちょっと! ちょっと待って! そもそも私『魔法学校に行く』だなんて一言も言ってないわよ、勝手に決めないで」

 

「は? いや何言ってんの、行きなさいよメリー」

 

「いや、だってそんないきなり言われても、私…」

 

「何怖気付いてるのよ。魔法を教えてくれるってのに不安だから逃げるとか、オカルト部員失格だわ。ていうか私が魔法について知りたいから、資格あるなら代わりに通ってよ。近くでサポートするから」

 

「いやおかしいって。気安過ぎるでしょ、蓮子」

 

 当然のことのようにそう抜かす親友に、メリーは慌てて自分の意思を伝えようとする。いつも蓮子に引き連れ回されながら様々な怪異と対面してしまう少女であるが、今回ばかりは成り行きで新たな冒険へと旅立つわけにはいかない。

 

「『ホグワーツ魔法魔術学校』は七年制。それに一度入学したら()()()()の人間と判断されて、全ての記憶を消去しない限り二度と戻れないみたいなの」

 

「へぇ、『記憶消去』だなんて…これはまた凄いファンタジーね。まあ私も自分やメリーの”異能”は絶対人に言いたくないし、誰だって自分の神秘は秘密にしたいわよね。当然っちゃ当然だわ」

 

「ええ。だからとりあえず先方には適当にはぐらかして、こうして蓮子に事情を伝える時間は稼いだけど……これでも私、それなりに現世が気に入ってるんだから。隔絶された魔法社会で死ぬまで暮らすつもりなんてないし、現世に戻るにも向こうでの記憶を消されちゃうなら魔法学校に通うだけ時間の無駄だわ」

 

「ふーん……あ、でも記憶が消されるなら紙なりフロッピーなり何かしらの記憶媒体に文字や画像データとして保存すればいいじゃない。隔絶された社会で暮らす連中なら、現世の文明の利器を駆使して隠蔽すれば何とかなる気がするのよね」

 

 そのふざけた発想にメリーは思わず顎を垂らす。

 

「はぁ? 本気で言ってるの、蓮子?」

 

「大体口封じにこっちを殺さない時点で向こうも『穏便に済ませたい』って考えが透けて見えるわ。記憶消去なんて甘っちょろいことしかやらないヤツらなら、その甘さを突けばいいのよ」

 

 能天気にニヤニヤ笑う蓮子の気楽さに少女は頭を抱えた。そして一度深呼吸し気持ちを落ち着かせ、メリーは相棒へこのことに関する根本的な真実を突き付ける。

 

「…私には何で貴女がそんな楽観的になれるのか理解出来ないわ。今回のは私の”夢の世界”じゃなくて、れっきとした現実なのよ? いつもみたいに『夢だから好き勝手やっても大丈夫』で済ませられる話じゃないんだから。そんな危険なことして、もしホントに記憶消去以上のケジメを付けさせられるハメになったらどうするのよ…!」

 

 捲し立てるメリーへ、相棒が「何言ってんだコイツ」と言いたげな失礼な視線を送り返してきた。思わず殴りたくなる挑発的な表情だが、少女は必死で我慢する。

 

「毎日のように夢で異界の妖怪たちと戯れて、この前なんて怪我までして帰って来たメリーに危険がどうこう言われても今更だわ。いつものふてぶてしい夢見る少女はどこ行ったのよ」

 

「うっ…! あ、あれは突然の不可抗力だったの! 大体ふてぶてしいのはいつも私を巻き込もうとする蓮子のほうでしょう!? …もう、真面目な話なんだから」

 

 酷い話題転換だが事実は事実。過去に幾度となく彼女に心配を掛けてしまったメリーは強く言い返すことが出来ず、自己主張も竜頭蛇尾と化す。

 その裏には、新たな神秘に焦がれる自身の本心を暴き、背中を押して欲しいという、複雑な葛藤が隠れていた。

 

 そして、蓮子は相棒のそんな心に気付かぬ鈍感な少女ではなかった。

 

「いやいや真面目だって。…そりゃ確かに『秘封俱楽部・英国魔法誌』のタイトルで、メリーの魔法社会体験を同人誌にすれば大作になりそうだな~とかもちょっとだけ考えてるけどさ。一番はやっぱり魔法が使えるようになるっていう、超級のメリットよ」

 

 彼女はそこで一度呼吸し、続きを口にした。そんな親友の舞台女優染みた演出が、真剣なメリーを焦らす。

 

「今まではメリーの”異能”に頼りっきりだったけど、魔法があれば別ベクトルで境界の向こう側を観測出来るかもしれないじゃない? 歴史ある『秘封俱楽部』の部員なら是が非でも手に入れたい力だわ! 記憶消去なんて些細なリスクよ、だってデータさえあればまた学び直せるんだから」

 

「貴女ねぇ…私はそれ以上のリスクのことを言ってるの! サークル活動は嫌いじゃないけど、だからって物理的社会的な死の危険があることにまで首突っ込めるわけないでしょう!? いい加減怒るわよっ!?」

 

 蓮子の説得に少しずつ建前の鎧が捲られつつあったメリーは、なけなしの危機感を活性化させ、本心を怒りで誤魔化そうとする。

 リスクだなんだと自身を律しようとはしているものの、現実を生きながら非現実を追い掛ける者にとって、「魔法」という誘惑は何物にも代えがたい甘い毒。味わえば最後、一生虜となる阿片の牢獄。

 引き返せるのは今、一人だけ現世に取り残されることになる相棒  宇佐見蓮子が引き留めてくれた場合に限るのだ。

 

 だが。

 

「だって…最近メリー、ちょっとおかしいもの」

 

「…え?」

 

 少女を孤独から救った心優しい恩人は、その聡明な頭脳で本人とは全く異なる危機感を抱いていた。

 

 

「気付いてる…? 貴女、自分の”異能”で出来ることがとんでもなく大きく……危険なものになってるって」

 

 

 それまでの期待に満ちた笑顔とは真逆。真剣で、神妙で、不安に呑まれた彼女らしくない表情に、メリーは言葉を失った。

 

 少女は最初、日常の風景の中に白昼夢のように、幻想の空間…「結界」の境界が見えるだけであった。

 だが触れ続けた神秘に呑まれたのか、その力も今や浮世の境界を越え、この世ならざる世界を巡り歩き、モノを持ち寄り持ち帰り、果てには夢の中で自分の身体に起きた出来事が現実に反映してしまうほどになっていた。

 

 それはまさしく、蓮子が「危険なもの」と形容するに余りある、人の子に過ぎた力。

 

 突き付けられた事実に固まるメリーを、相棒の少女が強い意思の籠った言葉で射抜く。

 

「…今まで黙ってたけど、いい機会だから言っとくわ。  私はメリーにその力を、ちゃんと制御出来るようになって欲しいの」

 

 日に日に力を増す”異能”と、それにつられるように変わりゆく少女の人間性。その力が、変化が齎しかねない、想像することすら恐ろしい悲劇。

 それが蓮子の、暗雲立ち込める未来に震える無力な少女の、長らく秘めてきた恐怖。

 

 故に、彼女は相棒が遠く離れた故郷で出会った奇跡の秘儀に活路を見出した。

 

「メリーは抱えてる問題は私たちの世界の科学ではどうしようもないわ。でも魔法なら、貴女の身に起きてることを解明出来るかもしれない。”異能”を制御する術だって見つかるかもしれない。…懸ける価値は十分あると思うの」

 

「…ッ」

 

「私も出来ることは何でも試してみるつもりよ。魔法の素質が無くても、知識さえあれば理論を組み立てることくらいは出来るはず。今回の神秘(ホグワーツ)はどこか…距離が近いような気がするの。私でも触れることが出来そうな、”身近な神秘”って感じで」

 

 常にメリーに手を引かれながら様々な結界へ足を踏み入れる彼女は、目の前の先導者と自分との間に大きな壁を感じていた。二人寄り添い夢幻に(まみ)える少女たちは、その実、異界の客人とその付き添いという全くの別物。決して対等な関係ではなかった。

 

 無論多少の不満はあれど、彼我の才能の差を認められる程度には蓮子の精神は年齢以上に成熟していた。劣等感に苛まれ大切な友情を棒に振るほど少女は愚かではなく、また事実メリーと共に楽しむ結界巡りは実に心躍る体験ばかりであった。

 それこそ、身に余るほどに。

 

 だからこそ、蓮子の言葉には確信があった。メリーが出会った「魔法」という体系化された神秘であれば、”異能的”な力に劣る自分でも何か相棒の助けになれる…と。

 

 蓮子の最大の長所は『天体に関する自身の”異能”』ではなく、その卓越した頭脳で物事を論理的に分析する力なのだから。

 

「…だから、たとえ二人でワイワイ遊ぶ時間が減っても  

 

 そして一拍、躊躇うように俯いた蓮子は、ぽつり…と小さく呟いた。

 

 

   メリーが”異能”に呑まれて取返しの付かないモノになるよりマシよ。

 

 

 

「…なぁんてね、大丈夫よ! 長期休暇もイギリスの一般校みたいに年に三回あるし、連絡も文通なら大丈夫って言ってたんでしょ? 今生の別れじゃないなら試しに行くだけ行ってみなさい! 確か一般人でも受けられる魔法関係の試験があるんだっけ? メリー危なっかしいし、私はその試験受けて一緒にイギリス住むわ!」

 

「蓮子…」

 

「最悪こっちが魔法の情報持ったままバックレるつもりなのがバレそうだと感じたら、集めたデータも大人しく記憶ごと全部消せばいいのよ。それにたとえ記憶を消されて在学期間の数年を人生的に無駄にしても、私たちは何年も飛び級してるんだから現世(こっち)の学業も問題ないわ。長期の潜入捜査のお遊びみたいなものよ! スパイユニットみたいでドキドキするわね!」

 

 ふわり、と表情を緩めいつもの彼女に戻った蓮子。その顔には未知に胸を弾ませる年相応の笑顔が輝いている。

 

 ずるい。メリーは  今回もまた  相棒に上手く絆されてしまった現実を渋々認め、せめてもの意地と唇を尖らせる。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。ただそれだけのことではあるものの、理屈の隙間を情で埋める蓮子の話術にかかれば、まるで釈迦の説法の如く深い思慮を錯覚してしまう。元より口で彼女に敵うはずもないが、ここまで言われてしまったら逃げることなど出来やしない。

 

 故に。

 

 

  一年だけよ」

 

 

 人形のような美貌の西洋少女の唇から零れたのは、深い敗北の溜息であった。

 

「試しに一年だけ通ってみる。可能な限り魔法学校で魔法の知識を学んで…その間に私の能力の制御に役立てそうなものが見つからなければ、記憶を消してもらって二人で日本に帰る。もちろんこのことは進級直前までホグワーツに秘密にするわ」

 

「おおっ、メリー!」

 

 相棒の歓声に気を良くしながら、メリーは最低限の譲れない条件を突きつける。

 

「…これは向こうにバレないことが前提になるけど…私があっちで調べたことは全部手紙に載せて毎日そっちに送るから、蓮子はその保管と隠蔽を徹底して」

 

「ええ、もちろん!」

 

「でも絶対に、知識も無いうちから焦って一人で魔法の研究みたいな危なそうなことには手を出さないで」

 

「はいはい、わかってるわよ」

 

「あとマクゴナガル先生にそれとなく聞いた一般人も受験出来る、”W.O.N.B.A.T.S.”とかいう試験を受けるかはちょっと待って。こっちで調べて安全が確認出来たらにしなさい」

 

「お、おう…」

 

 矢継ぎ早に飛ぶ少女の注意。ドスドスと刺さる釘に、蓮子の顔を一筋の冷や汗が伝う。

 その腰の引けた姿に満足したメリーは、再度大きな溜息を吐き、困ったような笑顔で相棒へ宣言した。

 

 

「約束出来るなら  行くわ、『ホグワーツ』」

 

 

 そして、どちらともなく…二人の少女は笑い合った。

 

 

「ふふっ…期待してるわ、秘封俱楽部所属ハーン諜報員。コードネームは『Dr.LATENCY』でいいかしら?」

 

「私のペンネームも遂に国際化するのね……全く感慨深くないけど」

 

 

 

 かくして、かつて英国魔法界に混沌の嵐を巻き起こした『異端児ハーン』の末裔は、古代魔法の牙城へ舞い戻る  

 

 

 

 




以下知らない人向けのおおざっぱな秘封コンビの紹介と、拙作での設定とか


『秘封俱楽部』

東方project同作者による音楽作品。現世(近未来)の女子大生マエリベリー・ハーン(通称メリー)と宇佐見蓮子がメリーの能力を使ってこの世の神秘に触れて遊ぶオカルトサークル活動に焦点を当てた物語。メリーが見る夢の世界で時空を飛び越え地底に潜ったり、月に行ったり、幻想郷に行ったり、それらの体験を同人誌にしマニアの間で一躍有名になったりする。
ストーリー自体は音楽CDに付属するストーリーテキストとして付属している。



『マエリベリー・ハーン』

主人公その1。通称”メリー”。能力持ちの人間(?)。
京都の某大学で相対性精神学を専攻する留学女子大生。

「結界の境界を見る程度の能力」を持ち、相棒の蓮子に連れられ様々なパワースポットを巡らされている巻き込まれ系苦労人キャラ。なお意外とノリノリで結構毒舌。就寝中によく夢の中で異界を彷徨っており、最近は能力が進化してどんどん人間をやめつつある。


・独自設定

長らくファンの間で東方project本編の最重要キャラクターの一人『八雲 紫』とのつながりが考察されているが、拙作では「メリー=昔の八雲紫」説を支持。物語にどう関わるかはまた後程。
東方projectの世界での大学は年齢制限がないらしく、18歳の少女が教授職に就いたりしているので、メリーも11歳で大学に通う飛び級天才少女ということでホグワーツにぶっこんだ。
あと百数十年前の先祖に原作キャラの元ネタと思しき人物がおり、こちらが元ホグワーツ生という設定。



『宇佐見蓮子』

主人公その2。能力持ちの人間。
京都の某大学で超統一物理学を専攻する女子大生。

「天体位置から自身の四次元座標を把握する程度の能力」を持ち、空を見るだけで今の時刻と自分の現在地を正確に言い当てられる。好奇心旺盛で行動力があり、図象学・民俗学・神学および理数科全般に詳しい物知り博士。物語は大体彼女の思い付きからスタートする。メリーの能力を「気持ち悪い」とからかいながらも本心羨んでおり、また最近の彼女の超進化を密かに心配している。
ちなみに実家は東京。


・独自設定

ファンの間で東方project本編に登場する『宇佐見薫子』の孫ではないかと考察されており、拙作でも子孫説を支持。物語にどう関わるかはまた後程。
メリーを11歳に設定したので、彼女も同い年の11歳の飛び級天才少女に。



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