蝙蝠侯爵と死の支配者   作:澪加 江
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アルシェの憂鬱

 

 

ゆたりゆたりとした心地のなか、お母さんのお腹に耳を当てる。まだ全然大きくなっていないが、このお腹の中には自分の妹か弟がいるのだ。

 

「もうすぐアルシェはお姉さんになるのよ」

 

そう頭をなでながらお母様は言う。細くて綺麗なわたしの大好きな手だ。

 

「帝国魔法学院にも慣れたし、大丈夫。いいお姉さんになる」

 

お腹を見ていた顔を上げて、見上げたお母様を見る。

お母様の目は優しい色をしていた。

 

 

 

パチリと目を開けると、一番に飛び込んで来たのは見慣れてしまった天井。

古ぼけたそれをパチパチと何度も瞬きをして、ぼんやりとする頭をはっきりとさせていく。

なんだか目がしょぼしょぼする。目元を擦ると、どうやら寝ながら泣いていた様で濡れていた。

きっと家を出る前の日の夢を見たからだ。お母様のお腹に耳をあてる夢は、家が恋しくなるたびに思い出してしまって鼻がツンとする。

 

「お母様のお腹、大きくなってるのかな」

 

朝起きたばかりだから声がしゃがれている。冬の寒い部屋の中はとても寒く乾燥していて、つぶやいた声の大きさと同じくらい小さな白いモヤが口からでる。

また思い出して寂しい気持ちが出てくる前に、布団からでなければ!

布団の中で大きく伸びをしてから意を決して布団を出る。このお屋敷には魔術の先生であるゴール様のほかに、アランさんという貴族出身の従者が一人の三人しかいない。

お屋敷の大きさからすれば、とてもではないけれど人手が足りていない。

先生は人嫌いという訳ではないけれど、大勢の人が居るのが苦手みたいだった。レエブン侯爵閣下の屋敷ですれ違う使用人達の多さに小言を言っていた。

先生が侯爵閣下から頂いたというこの屋敷を綺麗に使うためには、少なくても二十人の使用人と二人以上の庭師が必要の筈だ。

しかし新しく人を雇う気の無い先生は、代わりに召喚したモンスターに部屋の掃除をやらせている。

死霊魔術を得意とする先生に召喚されたスケルトンが、ホウキとチリトリを持って部屋をウロウロとする光景は昼間だったら怖くても面白い姿だと思う。

でもこの間、薄暗い朝に見かけてしまった時はびっくりして叫んでしまった。

何事かと飛んで来た先生に、腰を抜かしたわたしは助け上げられ、それ以降夜にスケルトン達が掃除する事はなくなった。

 

兎も角、重労働の掃除や洗濯はモンスターがやってくれるが、食事の準備などは自分でするのがこのゴール邸の基本だ。だから家にいる時の様に甘えていては食事どころか部屋も暖かくならないのだ。

手早く着替えてローブを羽織って簡素なドレッサーで身だしなみを確認する。鏡に映ったぴょんと跳ねた髪の毛を、お父様に貰った櫛でといて目立たない様にする。泣いてしまった目がまだ少し赤いが、これは調理場で洗うしかないだろう。

 

わたしの朝はまずは厨房に行って火を起こす事から始まる。

その大切な仕事をやるために、わたしは部屋を出てすぐある厨房に向かった。

 

 

 

 

アルシェはバハルス帝国の貴族、フルト家の長女である。

父は誇り高い帝国貴族、母は貞淑な帝国貴族の妻。その間に生まれたアルシェは、稀有な異能と素晴らしい魔法の才能に恵まれた幸せな少女であった。

帝国魔法学院への入学も果たしメキメキと頭角を表したアルシェは、一年足らずで第二位階の魔法が使える様になった。その事に教師も親も大変喜びし、学年一の才女とまで呼ばれた。

かの有名な大魔法使いフールーダ・パラダインと同じ異能を持つこともあり、将来をとても期待されていたアルシェだったが、ある日皇帝からの手紙が届いた。

両親ともども魔法学院にあるフールーダの応接室に呼び出されたアルシェは、そこでとても美しい年上の男の子にあった。彼が大人の貴族達から“鮮血帝”と恐れられている皇帝だと知った時は、驚いた。もっと恐ろしい見た目をしていると思っていたからだ。

しかし、彼の話を聞いたアルシェは、彼は人の形をした悪魔なのだと思った。

 

「才能豊かな彼女を、王国一の魔法詠唱者の一番弟子に推薦したい」

 

魔法詠唱者として大成したい者ならばきっと何を捨ててでも飛びつきたいくらいに魅力的な提案なのだろう。

しかし、まだ10歳にもなっていないアルシェにとって皇帝の提案は自分と家族とを引き裂く言葉だった。相手は王国の貴族に仕える魔法詠唱者。当然その一番弟子になるからには王国で暮らす事になる。

何時も無表情で感情を表すことの少ない娘の、嫌だと泣きぐずる姿に、しかし父親は叱咤をした。

 

フルトの力を見せる時だ。

皇帝陛下にここまで期待されて居るのに断るなど許さない。

お前自身のためにもこの話は断るべきではない。

家長である父の言葉が聞けないのか!

 

最後はほとんど怒鳴り声に近い父親の言葉に、泣きながらも頷く以外の選択肢がアルシェにはなかった。

本当は両親と離れるのが嫌で、あったこともない人の弟子になるのも嫌で。まだまだ親の庇護が必要な筈の子供であるアルシェは、親から突き放される様な形で王国へと渡った。

幸いな事といえばアルシェの新しい先生が優しい人柄だった事と、周りの人々も子供であるアルシェに優しかった事だろう。

教えるのは苦手だという先生のお陰で魔法が思った様に学べて居るとは思えないが、フールーダと並ぶと称される魔法詠唱者の元で師事を受けることができている。

それに、桁違いの魔法詠唱者である事は、まだ二月に満たない師弟関係でも幾度となく見せつけられている。

 

だからと言って、不満は確かにあるのだ、例えば────。

 

 

 

 

「先生、わたしに何も言わずにどこに行ったんだろう……」

 

小さな不満が口からでてしまった。

慌てて口を押さえたわたしは、周りを見る。帝国の人間であるわたしが、王国の貴族の館で大っぴらに、王国貴族の血が流れている師匠に対して不満を持っているところを見られる訳にはいかない。

幸い誰も近くには居ないみたいだ。そっと息を吐く。

 

場所はレエブン侯爵閣下の屋敷。エ・レエブルにあるこの屋敷は広く、まだ蔵書が少ない先生の家は勉強に向かないからと、侯爵閣下の好意で図書館を解放して貰っている。

そんなわたしは今日も魔法の先生であるゴール様にくっついて、先生の従者であるアランさんと一緒にレエブン侯爵閣下の屋敷に来ていた。

というのも、先生がレエブン侯爵閣下の執務の手伝いをしているのが原因だ。

帝国の魔法省に所属する魔法詠唱者は、基本的に工房に籠って朝から夜まで殆どの時間を魔法の研究に当てている。それはより上の位階を目指して、いつかはフールーダ様と並ぶことを目標にしているからだ。勿論、わたしもいつかは自分の工房を作ってもらえる位すごい魔法詠唱者になりたいと思っている。

なのに、そのフールーダ様と同等の力を持つという先生は全く魔法のこととは関係ない事に時間を割いている。それはとてもおかしなことなのだ。魔法の研究をしない先生を叱らない侯爵閣下も変だし、力を伸ばそうという努力をしない先生はとてもとても変な人だ。

 

そんな変な先生がわたしに初めて出した課題は巻物の解読だった。

弟子は初めてとったと頭を抱えていた先生が、うんうんと唸りながら考えて、差し出して来たのは異国の言葉で書かれた巻物。先生の話では第四位階が封じられていると言う話だが、見たことも無い字は読めないし魔法陣は複雑だしで今のところ一行目を訳すのに必死だ。

せめて字だけでも何かヒントが欲しいとお願いしたけれど、先生は冷たい声で「それはできない、お前自身の力で解き明かして見せろ」と言ったきり。

普段から感情の見えない冷たい声だから、そんな事を言われたその夜は自分の部屋で泣いてしまった。

翌日泣き腫らした目を見て驚いたアランさんが先生を非難して、実は先生も巻物の文字が読めない事がわかった。

 

「製作スキルを取っていたならば読めたかも知れないが、私にも全く読めないんだ。冷たくしたつもりは無かったが言葉が足りなかったな。すまない」

 

そう言って頭を下げた先生に慌てて気にしてない、ダメな弟子だと思われたかと思ってしまった、となんとか伝えることができた。

 

そんな、プライドが高くて傲慢な人が多い魔法詠唱者の中で、先生は本当に尊敬できる人なのだ。不満はあるけれど。

 

 

 

「アルシェさんどうされたのですか?」

 

何時も勉強部屋として侯爵閣下から貸して貰っている部屋──図書室に一番近い貴賓室──の外で考え事をしていた私は、先生の従者であるアランさんに呼び止められた。

アランさんは常に先生の側に居る。だからアランさんが居るところに先生は居るはずだ。

 

「よかったアランさん。さっきから先生を探しているけれど見当たらない」

「なるほど。ナインズ様ならば今の時間イエレミアス様のところで…………。いえ、確かエリアス様の結婚式の準備で外にでるとおっしゃっていました。なので見つからなくても仕方ないかと」

「結婚式の準備?」

 

こてりと頭を傾ける。

侯爵閣下の結婚式は先生の弟子という事で招待されることになったと、先生が何日か前に課題の進歩を見に来た時に言われた。侯爵家の結婚式ともなれば盛大にお祝いがされるだろう。

わたしはまだ行った事はないけれど、お母様がお友達の結婚式に行くと行って朝からお昼近くまでずっとメイドと準備をしていたのは見たことがある。

色とりどりの宝石のネックレスにレースが沢山のお洋服。ピカピカの靴に、いつもよりも強い香水の匂い。

お父様もいつもよりしっかりと整えられた髪型に燕尾服を着て出かけていた。わたしは乳母とお留守番だったのを覚えている。

 

そう。結婚式に行くには色々と準備が必要なのだ。先生が準備をするのならば、わたしも連れて行って欲しかった。綺麗なドレスを買わないといけないし、ネックレスの一つもしなければ帝国の貴族として笑われてしまう。

頭の中にある持ってきた服リストを見返す。どれも見苦しくない程度に綺麗ではあるが、機能性を重視した動きやすいものばかり。とてもじゃないけれど結婚式にでるのには相応しくないものだ。

不安が顔に出ていたのだろう、アランさんは明るい声で話を続けた。

 

「ああ。心配されなくてもアルシェさんのドレスはイエレミアス様が見立ててくれるそうです」

「え、え?」

「大丈夫ですよ。イエレミアス様はこういった時にとても頼りになる方なので、素敵で似合うドレスを選んでくれると思いますよ」

「いえ、でも」

 

流石にそこまでされるのは悪い。それに折角選んでもらっても、家からの仕送りはまだきていないのでお金がない。

素直にその事を言うと、アランさんは爽やかに笑う。

 

「イエレミアス様もナインズ様も、服の一着二着なんて気にされませんよ。それよりも服屋を呼ぶ詳しい日取りはどうしましょうか。アルシェさんは今週何か用事はありますか?」

 

侯爵の叔父であるイエレミアス様も、先生も確かにドレスの一つや二つで無くなるようなお金は気にしないかもしれない。でも、男性に服を贈られるのは抵抗が強い。母にも淑女のマナーとして服を贈ることに込められた“特別な意味”を教えてもらっている。

 

「今のところ特にないです。でも男の人から服を貰うわけにはいきません」

「? 帝国では服を贈る事に何か意味があるのですか?」

 

不思議そうに聞いてくるアランさんに、血が上って真っ赤だろう顔でわたしは声を大きくする。

 

「な、なんでもないです!!」

 

服を贈られることで変な事を考えたのが自分一人だった事がとても恥ずかしい。

 

「ではお二人の予定も加味して決めますので、もう暫しお待ちください」

 

それでは、と颯爽と去っていくアランさんを未だに火照る顔で見送る。なんだかからかわれた気がしてきた。

廊下の彼方に見送った背中が消えた後、わたしは課題の続きをしなければいけない事を思い出して貴賓室へ向かう。

大貴族である侯爵閣下の蔵書は立場に相応しい品揃えだ。でも魔法の事が書いてある本は当然だが帝国の魔法学院のほうが充実している。

各国の言語の本も調べたが、先生から貰った巻物の文字は見つけられなかった。

学院で使う教科書の、巻物を作るページに描かれた図柄が一番近いだろう。図形の配置が似たものを見つけられた。

それが第2位階にある<雷槍>という魔法だった。

貫通力は低いが、当たった相手に痺れや麻痺を引き起こす事のできる攻撃魔法だ。他の魔法と見比べてわかったのは渡された巻物の魔法は攻撃魔法で、遠くに攻撃を飛ばせる事ができるものということだ。

きっとこの周りに書いてある文字が読めれば、具体的にどんな効果なのかがわかるだろう。

 

(絶対にこの課題を乗り越えて先生に認めて貰おう

 

決意を固くしたアルシェは部屋に戻って、再び巻物の解読作業に戻るのだった。

 


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