【手助けをする存在…それが“本物”】
正体を明かすことなく多くの謎を残して去った「月光仮面」。生誕50年を迎えるヒーロー誕生の裏に、今の日本人が求めたものがあるのか。
都内ホテルに現れた一人の老紳士は、サングラスの奥に鋭い眼光をたたえていた。原作者の川内康範。「なにより訴えたかったのは愛。それも無償の愛だ」。川内は、月光仮面誕生の物語をゆっくりと話し始めた。
当時、東京日日新聞(現毎日新聞)で小説を連載中だった川内に、国産初テレビドラマの原作依頼が舞い込んだのは1958年。「当時、日本のテレビ会社は映画会社からの協力を得られなかった。そのため自社制作のドラマは困難だった」
制作はテレビ分野に進出したばかりの宣弘社。無謀な挑戦に原作者探しは難航した。そんな中、川内はあえて火中のクリを拾う決意をする。
「(国産ドラマの制作は)外貨不足に悩む日本のためになる」
そして、新しいヒーロー像を模索し始める。
「当時のヒーローは米国の亜流ばかりでオリジナリティーはゼロ。義理人情という日本人の骨格を体現する新しいヒーローを作ろうと思った」
法華宗の寺で生まれ育ち、自らも熱心な仏教徒。発想の原点を仏典から得る。モデルにしたのは薬師如来の脇に仕える、月光菩薩だった。
「月光の慈悲は民族、宗教の区別なく救いの手を差し伸べる。そういう存在を描きたかった」
正義そのものを象徴する薬師如来を助けるために存在する月光菩薩。薬師ではなく、脇役の月光をなぜ主人公に据えたのか。ここに、川内の「生涯助っ人」という生き方の信条が投影される。
「正義そのものにはなれっこない。せめて、正義の手助けをする存在でありたい。そしてそれを黙ってやる。それが“正義の味方”なんだ」
従来のヒーロー像とかけ離れた凡庸な存在として描かれた月光仮面。川内はさらに、「自力本願」をキーワードに物語の独自性を深めていく。
「ほかの多くのヒーローは化身するが、月光仮面はあくまで仮装。修行次第で、人間は潜在能力をいくらでも高められることを訴えたかった」
こうして完成した白装束にサングラス、赤いマントの“生身”のヒーローは放送開始とともに爆発的人気を呼ぶ。「国民が求めていたんだろう。それまでの利益を求めるだけの生き方にみんなうんざりしていたんだ」
川内の着想で“正義の味方”としての姿を得た月光仮面。仕上げに川内は物語の核として「憎むな。殺すな。ゆるしましょう」という3原則を盛り込む。根底には戦争反対論者の川内が抱いた平和への願いがあった。
川内は「今の日本はベルトコンベヤーに乗るように戦争加担への道を歩んでいる。敗戦記念日を終戦記念日とごまかしてきた日本人は、改めてその本質を問い直すべきだ」と警鐘を鳴らす。
取材の最後。川内はこんな後日譚を披露した。
「実は、月光仮面が放映中止になった後、今度は日光菩薩をモデルにした太陽仮面を産経新聞で連載した。こちらはあまり話題にならなかったけれどね」。サングラスをとったその目は優しく笑う。川内は今も日本人にその生き様を問いかけ続ける。=敬称略
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