――教科書運動が第二ラウンドに入り、「新しい歴史教科書をつくる会」の方も西尾幹二先生が名誉会長となられ、田中先生が新会長に就任されました。そこで、新会長に就任されての抱負、新たな運動の構想、さらにはその奥にある先生の日本の歴史、日本という国へのご認識についてお話いただければと思います。
まず、この教科書運動とのかかわり、新会長をお引き受けになられた経緯というあたりからお話を始めていいだけますでしょうか。
<田中> ご承知のように、この運動は平成八年にいわゆる「従軍慰安婦」が当時の七社の中学校歴史教科書すべてに記述されたことや、また「南京大虐殺」の記述などに対して、西尾(幹二)先生、藤岡(信勝)先生などが批判されたことが一つのきっかけとなって始まり、それが単に教科書批判にとどまらず自分たちで教科書を作ろうというところに発展していったわけですね。ことの発端が中国・韓国に関係する閑超でしたので、最初から政治問題のように報道され、また政治的な攻撃を受けるなかでの出発だった。それを見ていまして、私は学者として見るに見かねて、この運動に参加したわけです。
今回の採択は残念な結果に終わったわけですが、運動が一段落したということで、西尾先生が研究者、文筆家としてのお仕事に専念されるということになり、そこで私に新会長を、というお話があったわけです。
その時、こういうことを申し上げたのです。近現代史において戦争をどう書くかとか植民地支配がどうだとか、ということだけが教科書の問題かというと、私はそうではないと思う。子どもたちが読む教科書なのだから、やはり日本の歴史の価値、日本の文化の価値ということが教科書の基本になければいけないと。そうすれば、先の戦争を巡る問題、また中韓と関わる問題で譲歩するということではなく、自ずから先の戦争にまつわる問題も解決するような日本の歴史の書き方があると思う。第一ラウンドの教科書運動は、そうした日本の歴史、文化の価値を主眼にすべきではないかと。そうしたところが、皆さんがそれで行こうということになった。こういうことです。
――その新たな教科書運動について、どんな構想をお考えになっておられるのでしょうか。
<田中> 大きく言いまして、三つの方針があると申し上げています。
一つは、なんと言っても採択の問題です。今の教科書採択にはやはり歪みがある。簡単に言えば、これほど多くの人に支持を得、共感を得ている教科書であるにもかかわらず、採択がほとんどゼロだった。この不思議さというか奇妙さというか、それをどう解決するのかという問題です
ご存じのように、戦後の教育界というのは、ある意味でマルクス主義の影響を受けた左翼勢力の牙城だった。また、学問の世界も、社会主義的なイデオロギーの傾向が強かった。歴史で言いますと、マルクス流の階級史覿というものが基本的にあって、労働者中心主義あるいは農民一揆などを亜要だとする史観が主流になっていた。
そうついう学問の世界にいる人たちが教科書を執筆し、また学校のなかでも左翼的な先生が主流を占めてきた。教育行政もまたそういう教職員組合の影響を受けた人たちで固められてきた。ですから、偏った教科書が使われるようになったのは、ある意味で当然の結果だったわけです。
それに対して、今度の教科書運動で、そうした人たちとは別の立場にある教育委員の存在を重視する方向で運動したわけです。むろん、これが法律に基づいた正しい採択のあり方でもあるのですが、残念ながら、われわれはまだ既成の教育行政、教育界に抗するだけの力を持てなかった。この点は反省しなければいけないし、今後さらに教育委員の方々を支援する体制を作っていかなければいけないと思います。
また、採択の時に左翼が、―例えば、当「つくる会」への放火未遂や「人間の鎖」ですね―ある種の 示威運動をしたけれども、教育や教科書という問題でああいう示威行為というのはあってはならないことです。それへの対処をどうするか。この問題も真剣に考えて行かなくてはいけない。いずれにしても、採択の歪みを正すこと、このことを一番に掲げて行こうと思っています。
<田中> 二番目ですが、現存の学問のあり方に対しても発言していこうと思っています。
われわれの教科書が日本の思想界、歴史学界に与えた衝撃は非常に大きなものがあります。これは自画自賛ではなく、事実そうなんです。ここ二、三年の総合雑誌を見ていますと、ほとんどの雑誌が私たちの教科書に対する特集を組みました。つまり、賛否は別として、歴史学者や思想家であれば、この教科書に対してなんらかの意思表示をせざるを得ないような状況になった。つまり、この教科書運動が、教科書の問題を超えて、戦後の思想、歴史観、日本の国をどう見るかという問題に非常に大きな衝撃を与えているということです。
むろん、中韓との外交問題となったということもそこにある一つの原因だと思いますが、最大の理由は、この教科書が階級史観と違う歴史の見方があるんだということをはっきり示した点にあると思います。扶桑社以外の七社は、日本書籍であれ東京書籍であれ、執筆した学者はだいたいにおいて戦後のマルクス主義史覿に染まってますから、そういう立場から日本を見るわけで、みんな「反権力」が前提になっている。ですから、権力者がやることはみんな悪いと言う。また、戦前が悪い、さらには日本が悪いというまったくおかしな考え方で歴史が語られている。そうした見方に対して真っ向から反対したということのすごさというか衝撃というものは、これは高く評価していいと思うんです。
マルクス主義というのは、戦前から日本に入ってきていたのですが、戦後は学問の世界で全面的に受け入れられてしまった。しかし、私はマルクス主義史観みたいなものを持ち込んで、日本に適用するのはとんでもないことだと思うんです。日本の歴史ほど階級史覿に合わない歴史はないのですから。
しかも、ヨーロッパでは「共産党」なんて名前が使えない時代になっているにもかかわらず共産党はあるし、日本の学問の世界は旧態依然としてマルクス史観。そういう柔軟性のなさはきちんと良識ある学者が批判して変えてゆかなくてはいけない。この点もしっかりやってゆきたい。
ただ、これはそういう学者を敵対視するというのではなくて、彼らにそういう考え方はおかしいよ、あなたがたは変わらなくてはいけないよということを堂々と言っていくということです。それで彼らを転換させる。そういう運動をこの教科書と共にやってゆく必要があるだろうと思います。これが第二の方針です。
<田中> そして三番目としては、歴史教育のなかで日本の文化の価値を強調するということです。これが特に私が言いたいところなのです。
どの国にもそれぞれの歴史があるわけですが、それを単に一方的に主張するというのではない。世界の中で比較してみても、日本には本当に価値があるんです。日本の文化というものは決して特殊だとか孤立しているということではなくて、世界の人が理解でき、高く評価する普遍的な価値があるのです。そうした日本文化の価値というものが歴史教育にとって非常に重要なのです。
私は専門が西洋美術史でして、歴史が創った文化遺産なり文化的な活動、そういうものを非常に重視するわけですが、そうした点から見ても、日本には本当に世界クラスの価値あるものが残されている。
むろん、文字で残されている文学とか思想などは、例えば平安時代の文学とか鎌倉時代の仏教思想などは、今でもある程度は評価されているのですが、文字になっていないもの、要するに彫刻だとか絵画といった美術は何か二の次みたいに扱われてきた。しかし、実はそこに世界クラスのものがあるんです。
夏目漱石はこういうことを言っています。人間が自信を持つためには、やはり自分の背景を持たなくてはいけない。歴史を持たなくてはいけない。それが親分であり、その親分に守られているということが大事なんだと。では、その親分とは何かというと、日本には経済も政治も思想もみんな立派なものがある。文学では源氏物語もあるし西鶴や近松もある。しかし、日本の美術図譜を見ると、そこには文学以上のものがある。日本はすごい親分を持っていると。漱石は美の形というものを視覚的に感じてこう言っているわけです。
――文字によって表現された素晴らしいものもあるけれども、日本には文字や言葉になっていない、素晴らしい美術があると……。
<田中> ええ。
ところが、明治以降の知識人は全部言葉になったものばかりに価値を見て、日本人がもっていた視覚的なすごさが分からなくなってしまった。それで、日本の美術の世界的な価値も分からなくなってしまったのです。
今度の新しい教科書では、グラビアで「日本の美の形」について示していますが、天平の頃に作られた仏像には、単に仏教の教えを表すという意味を超えて、素晴らしい人間表現があります。私はイタリアの大彫刻家ドナテルロやミケランジェロの作品にも匹敵すると考えています。また、鎌倉時代の彫刻や絵巻物、肖像画というのは、ヨーロッパのバロック美術に匹敵するような表現力をもっている。江戸後期の葛飾北斎や歌川(安藤)広重などの浮世絵は、世界的価値をもったものです。彼らの作品はフランス印象派の画家たちに深い影響を与え、西洋近代絵画の形成にも影響を及ぼした。
そうした世界に誇りうる優れたものを正当に評価し、その価値というものをもう一度見直す。これが三番日の課題です。
<田中> その意味で、日本人はもっと自信をもっていいんです。日本人が「形」に対する優れた美意識をもっているからこそ、そうした優れたものが生まれてきたのですから。
ヨーロッパ人はその点で非常に自信をもっています。特にイタリアに行きますと、「形の文化」に対してすごい誇りを持っているんですね。ですから、ローマの中心部には新しい建築物はないし、フィレンツェでは街の中心にミケランジェロが今でもある。その点は大したものです。
しかし、日本もイタリアと同様に誇りをもっていいんです。日本はイタリアと同じくらい価値のある作品を生み出してきたのですから。私は長い間西洋美術史を研究して、さらにここ十年以上日本美術を研究して、日本はほとんどヨーロッパと並びうるものを持っていると確信しています。
むしろ、天平や鎌倉時代の美術を考えれば、イタリア美術よりも日本の方がはるかに古いんですね。日本の知識人は何かと西洋の方が立派だという認識を持っていて、明治以降は西洋から知識を吸収することが近代的な文化だと考えがちですが、正直に言えば、西洋よりもさらに日本の方が古い。
もちろん、西洋はミケランジェロにしてもキリスト教美術だし、日本は仏教美術という違いはあるけれども、そこに人間が表現されているという点では変わらない。キリスト教美術だからと言って、われわれがミケランジェロが理解できないかというとそうではない。日本人にも分かる。それと同じように、天平文化の頃に作られた仏像にも普遍的な価値があるということです。
――つまり、日本人のなかには美意識というか感性が脈々として流れているということですね。
<田中>そうです。美術品ばかりでなく、例えば前方後円墳というのがありますね。どの教科書にも出てきますが、前方後円というあの形がもつ意味に誰も着目しない。しかし、前方後円墳は宮崎県から宮城県に至るまで日本中で十万基以上造られているわけですから、これは徹底した「形の文化」なのです。
文字に書かれたものであれば、どんな不確かでも、例えば魏志倭人伝に出てくる卑弥呼の邪馬台国は盛んに論じられる。しかし、その一方、あの前方後円項が日本中に造られたという「形の文化」の重大さについては誰も発言しない。
日本人は文字を中国から得たということで、変なコンプレックスを持っているのではないでしょうか。文字が入ってくるまでの時代は、そこには「形の文化」があったにもかかわらず、何か文化のない原始時代のように勘違いしている。しかし、文字というのは口語さえきちんと使えれば必ずしも必要ないんです。文字を使えば遠くの人にものを伝えられますから、外交なんかでは文字が必要でしょう。しかし、文字は必ずしも文化の指標ではないんです。
しかも、日本はかなり古い時代から一つの口語でコミュニケーションが出来ている国民ですから、必ずしも文字は必要なかった。前方後円墳の例で言えば、同じ形のものがプロポーションがちがって日本中で造られているのですから、そこには数学があったし幾何学があったに違いない。しかし、まだ文字は普及していなかった。つまり、日本人は文字がなくても「形」というものを視覚的に伝える術を知っていたということです。
さらに時代を遡れば、縄文の土偶があります。大陸にもヨーロッパにも土偶はありますが、日本の土偶はいろんな形があって、しかも美しい。
そういう日本人の創造感覚というものが―人間を観る目の優しさとか探さと言ってもいいと思いますが―それが縄文から仏教彫刻につながり、さらに北斎に至る素晴らしい伝統として脈々とつながっている。
ですから、日本というものは、文字以外にも、「形」つまり美術とか形態言語で読み解かないと歴史は分からない国なんです。
政治だって、そうした美的感覚とは無関係ではないと思います。例えば、天皇制ということを考えてみても、これは論理と言うより一つの「形」、そして「美」とみることができると思います。
「形」は、当然「美」というものに結びつくわけで、非常に美しい形を作るという美意識というものが日本人にないと、形の美しさというものは作れない。つまり、美的感覚という視点が日本の歴史を見るには欠かせないわけで、だからこそ、日本の文化の持つ普遍的な価値をきちんと評価することが必要なんです。
ただ、現代の日本人が評価していないだけで、作品は既にあるんです。日本は既に文化大国なんです。ですから、学問の上でも教科書においても、そのことを日本人みんなで確認しようというのが、私の言いたいことなのです。
――その意味では、これまでの歴史教科書を巡る議論は、近代史、特に戦争を巡る記述に議論が集中されすぎたと……
<田中>ええ、そう思います。戦争を巡る歴史というのは、やはり国と国の問題であり、当然、そこには国益のぶつかり合いがある。ただ、そういう議論をするにしても、日本の価値という大前提を持つことが必要だと思うのです。そういうなかで議論できれば、決して日本人がこんな悪いことをしたとか侵略かどうだとかという今のような議論にはならないと思います。
ですから、繰り返しになりますが、日本の歴史の価値に対するしっかりとした認識を持つ。漱石の言う「親方」をしっかりと認識して自信をもつ。そういうことを主張していく総合的な運動へと発展させていきたいと考えているわけです。
――ところで、仏像や絵画というと、われわれは何か遺物、過去のものだと考えがちですが、その点は どう捉えたらいいのでしょうか。
<田中> 文化というのは、たとえそれが過去のものであっても、きちんと認識されてさえいれば、アクチユアルなというか、生きているものなんです。
その点は西洋に行くとよく分かります。フランス人はルーブル美術館を極めてアクチェアルなものとして受けとめています。イタリア人はフィレンツェを守れと言って、絶対に現代建築を建てさせない。ローマも同じです。ドイツやポーランドでは戦争で壊れたものを完全に修復しています。これは決して現代を否定しているのではない。自分たちの文化を現代のものとして考えているというか、共存しているんだという意識があるのです。
もう少し詳しく言いますと、これは決して西洋至上主義でいうわけではないのですが、西洋には歴史がないと人間は生きられないんだ、歴史と共存しなければ人間の感性は絶対に育たないのだという意識がある。ですから、文化を大事に守ろうという意識がまずあって、その上で現代を考えるわけです。
逆に、文化遺産というと過去のものだとか博物館のものだと思うこと自体おかしいと思うんです。日本の場合、新しいものがいいことだというアメリカニズムをそのまま入れてしまったために、現代しかないんだという認識がいつの間にか強くなった。だから、そう思いこんでいるだけだと思います。
――文化を守ろうとする営為の中から、継承もあり新しい創造も出てくると……。
<田中> その通りです。文化を大切にしているからこそ、新しい創造も生まれてくるということが大事なんです。実は、歴史教育に限らず、現在の日本の教育はその点を忘れてしまっている。
今は、教育というと全部読んだり書いたりすることばかりになっています。英語を読む、何を読む。そして頭で理解するということが中心になっている。美術では作るということばかりやっている。ところが、子どもに勝手に作らせると、基本的な修練がないから表現する元がない。だからピカソみたいな絵ばかりを描くわけです。
何が言いたいのかというと、今の教育には「観る」教育が基本的に欠けているということです。日本には、素晴らしいもの、美しいものがある。つまりは伝統です。それを観させる。体験させる。これが素晴らしいと感じさせる教育をまずしなくてはいけない。そういうことが忘れられてしまっている。「観る」という基礎がないから、創造も生まれて来ないんです。だから、私は「観る」教育をしなさいと言っているのです。
――「新しい歴史教科書」の巻頭にグラビアが入っているのもそういう意味なのですね。
<田中> ええ。あれは単に綺麗だからということで入れたのではないんです。そこに日本人の素晴らしい伝統があるということをどうしても見せたかったからなのです。
私は、日本の明治以降の美術で国際級の人が出ていないのは、日本の素晴らしいものを見失ったためだと思いますね。特に、創造性ということでは戦後はもっと悪くなっています。アメリカニズムが入ってきて、「観る」ということをせずに作ることばかり教育してきた。その結果、子供至上主義になってしまって、そのこと自体が子どもをスポイルしてしまっている。
結局、「観る」教育をしないということは、日本文化を素晴らしいものだと思っていないからです。それで日本の価値を学ばない。私は、日本の価値を学んでいれば、自ずとものすごい創造が日本から生まれてくると思いますよ。
――「形の文化」に着眼した歴史が重要だというのは、全く新しい視点ですね。
<田中> 西洋の場合は、文化史というのは、ルネッサンス、バロック、ロココというぐあいに、すべて美術史に則ってできています。しかも、これは政治史とは無関係なんです。つまり、自立した創造の歴史を持っている。つまり政治史、権力史から自立した歴史が語られているのです。
そもそも、文化の創造というのは単に政権が変わったからどう変わるというものではないですから……。
――たしかに民族の生命力というようなものを、政治史だけで考えるというのはおかしいですね。
<田中> 日本でも、歴史上いろんな政治的変革がありましたが、それで日本人が変わったわけではない。やはり悠久なる歴史が日本にはある。このことをしっかりと認識することが非常に重要なんです。
政治制度の変化だけでなく、文字のなかった歴史と文字が入ってきた後の歴史だって、本質的にはそんなに変わらない。人間が何かを認識するとき、言葉による認識というのは一部に過ぎないんです。形の認識とか感性の認識というものがあり、特に日本人は言葉以外の認識、直観力が強いんです。
そうした直観でいろんなものを総合して判断するわけで、相互に矛盾したものでも同一に感じとるということも可能なんですね。ですから、西洋の論理ではちょっと理解できない面もあるんですが、そういう点もわれわれはきちんと主張しなくてはいけないと思います。
西行は伊勢神宮にお参りして「何ごとのおはしますをばしらねどもかたじけなさの涙こぼるる」と詠んでいますね。これは確かに論理的ではない。しかし、そういう感覚は今の日本人にも理解できるし、そういう感覚を日本人は共通して持っている。ですから、「形」と「美」を感じる感性は今だってあるんですよ。それをもう少しきちんと自覚して行こうということです。
――ところが、日本人の感性というのはなかなか言葉とか論理にはなりにくいですね。
<田中> むしろ、日本人は論理を必要としなかったと言った方がいいかもしれません。喧嘩をするときには必ず相手よりもこちら側が優越していることを主張するわけですから、武力以外に論理でも戦うことになります。その点で、西洋は常に戦争があったために常に互いに議論をし、論理が磨かれてきた。一方、日本は他の国と較べてはるかに戦争が少ない国です。この二千年の間にたった四回しか外で戦ったことがない。ですから、論理において他の民族と真っ向から戦ったことがない。つまり、そういう必要がなかったのです。
その意味で、論理がないということは、本当は素晴らしいことなんですが、けれども、そのことが近代においては裏目に出ている。政治家が外国に行くと議論も出来ないという点に代表されるように、日本には哲学がないとか論理がないと言われるし、日本人自身もそう感じている。
しかし、日本の価値をただ言葉にしてないだけなんです。あるいは私が言う「形」とか日本人の持っている感性のなかに非常に重要な論理を持っているんです。それを堂々と述べてゆくということです。ただ、そのためには、論理というのは西洋から借りなくてはいけないわけで、私のように西洋で長い間勉強してきた人間の役目もそのあたりにあると思っています。