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【ドラニュース】

【龍の背に乗って】レジェンドの根っこはドラゴンズブルーである

2019年3月23日 紙面から

 間一髪の遊ゴロに絶叫し、深夜の85分会見は固唾(かたず)をのんで見守った。起きても心の空洞は埋まっていなかった。しかし「元イチロー」になろうとも、陽は必ず沈み、また昇る。紙面はイチローにあこがれた男たちの談話であふれている。僕はイチローがあこがれた男たちの反応を書く。

 「それまで会う機会はなかったけど私のファンだと聞いた事があったので、ぜひ投げてみたいとなったんです。2球で終わってしまったのでね…。もうちょっと投げたかったなあ」。小松辰雄さんは自身の引退試合(1995年3月26日)が、オリックス戦(ナゴヤ)だった。前年、衝撃の210安打を放ったイチローとの対戦を熱望。ストレートを右中間フェンス直撃され、スピードガンの申し子はマウンドへの未練を断ち切った。小松さんとともに、鈴木一朗少年が作文に書いたプロ野球選手が田尾安志さんだった。バットの先を投手に向けるルーティンは、田尾さんの円月打法がルーツとされる。

 「お父さんが『よく打つ人のマネをしなさい』と言っていたみたいですね。トレードのときも『西武に出すな』って書いたと聞きました」

 試合中継を全て見たという田尾さんは、こんな言葉を紡いでくれた。

 「天才が努力したらここまで来られる。短期なら才能だけでも活躍できるけど、長期は努力が伴わないと。僕はそう思います。本人も言っていたけど、去年の5月に終わっていても不思議はなかった。また夢を見させてくれたんですよね」

 田尾さんは37歳でバットを置き、小松さんは35歳でマウンドを降りた。「あれから24年か…。あのとき『お疲れさまでした』と花束を渡してくれた。今度はこっちがお疲れさまでしただよね」。神戸やシアトルで大きな花を咲かせたが、イチローの根っこはドラゴンズブルーである。「小松選手が好きだ」「田尾選手のようになりたい」。今の子どもたちにも、作文に書いてもらえる。そんなチームや選手であってもらいたい。

(渋谷真)

 

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