その中で、ちょっと一息、という感じでテーブルの食事に意識を戻せる時間が、ジャズシンガーによるスタンダードジャズの演奏だった。
特に筆者のお気に入りは黒人シンガーによるナットキングコールのモノマネだった。ロシアで黒人を見る機会はほとんどないので、まずは彼の存在そのものに興味を持った。
その後何回か通ううちに、彼とも舞台裏で言葉を交わせるようになり、彼がキューバから来たことを知った。
ソ連とキューバ両政府間で交わされた文化交流協定により、短期の公演のためソ連に来たということだった。
「モスクワを楽しんでいるか」という問いに「早くキューバに帰りたい。モスクワもいいけどね」と、ちょっと悲しそうな顔をして言ったことがなぜかずっと記憶の隅に残っている。
ロシアの偉大な作家であり詩人でもあるアレクサンダー・プーシキン。彼の肖像画を見ると、縮れた髪、もみあげという、一般のロシア人の肖像画とは若干異なった風貌が見て取れる。
その理由について、彼の母方の祖父母であるガンニバル将軍がエチオピア出身で、プーシキンにもアフリカの血が若干なりとも流れていた、という説が一般的だ。
ただ、こんな例は極めて限定的で、ロシアで活躍した黒人や黒人の血が流れる人物というのは寡聞にして知らない。
その意味でロシアは極めて非黒人国である。それゆえ、社会にも黒人への違和感が残っている。
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