その理由は、ドク一行が南部巡業に出た1962年当時には、もうかなりのロシア移民が米国に移住しており、その中には音楽関係の職業に就いて生活を安定的に営んでいる階層が出ていたことによると思われる。
米マサチューセッツ州にある避暑地ケープコッドは, 大西洋に突き出した角状の半島で、ケネディー家のサマーハウスがあることで有名だ。
その半島の真ん中にハヤニスという町がある。ここには、1950年代からロシア移民が集う一角があって、筆者もロシア語とロシア文化に慣れるため、留学先のボストンからよく通ったものであった。
馴染みになった避暑客の中に、ニューヨークに住む音楽家の一家がいて、浜から涼風が吹く気持ちの良い夕方には、ホテルの庭に作ったステージで即興のコンサートがよく開かれた。
彼らの生活は、まさに「Green Book」に描かれたような全米を対象にしたコンサートツアーや映画音楽録音での短期契約の積み重ねで、長期のポジションを得るのは難しいという話をしていた。
ドク・シャーリーは巡業公演にあたり、低廉なコストで雇用できるロシア移民の演奏者をオーディションで採用しては、一緒に演奏旅行に出ていたと思われる。
現在はどうか知らないが、筆者が滞在した1970年代後半のケープコッドに、黒人の姿はほとんどなかった。
それがマンハッタンやブロンクスに住むロシア人たちがケープコッドでの避暑生活をおくる理由の一つになっていたかもしれない。
ロシアはソ連時代から人種差別がない国、と言われている。これはその通りであって、ロシアの良い特徴の一つである。
特にアジア人に対しては、それが中国人であろうが、中央アジア人であろうが、ロシアほど差別のない国は西欧諸国では見ることができないだろうと感じる。