| 満州の地方をいくつかピックアップし、陸稲と水稲の生産を比べてみます。 まずは全体像。 地図は水稲、中央赤が首都新京です。ここで 1)新京の南西、通遼のエリア、 2)新京から東、吉林から延吉のエリア 3)ハルピン(哈爾濱)から東のエリア そして 4)ロシア国境に近い満州北東部 それぞれを陸稲と水稲で並べてみます。 | | | |
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| では、南のエリア、地図の1のエリアから。 上が水稲、下が陸稲です。丸の大きさが収穫量を表します。 通遼、梨樹、新京(地図は、右から左へ記述)で、陸稲が多い一方で、水稲はさほどみられません。 | | | |
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| 続いて地図の2のエリア。 新京から東です。 上が水稲、下が陸稲です。 吉林では陸稲、水稲共に盛んですが、延吉では水稲は見られるものの陸稲は極めて少ない状況です。 | | | |
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| 今度は地図の3、哈爾濱(ハルピン)から東へ、ここは冬は大変寒い地域です。 上が水稲、下が陸稲で、冬は寒い地域ですが、多くの水稲が採れています。 哈爾濱、五条、では水稲、陸稲、共に盛況ですが、東へ行くと、水稲のみ盛んです。 | | | |
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| さらに満州の北東部、4のエリアです。 ここはまさに極寒の地で、冬場はあらゆるものが氷ります(ジーゼル燃料も、バッテリーも凍りつき、自動車などもまともに動かせません)。 これも上が水稲、下が陸稲です。 ここで陸稲は、ほんの僅かです。 一方で、水稲は多くが収穫されています。 このエリアは松花江やその支流、烏蘇里江といった大河が流れている場所で、灌漑さえ出来れば水が得られるエリアです。 冬場には大変に寒いエリアであっても、夏場の気温と松花江の水を利用し稲が採れている、陸稲よりも優勢になっていることがわかります。 | | | |
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満州稲作灌漑 ハルピン地方移民適地 ディーゼル機関、電気揚水水田及び大農式開墾適地 | | これは昭和8年当時のハルピン周辺での松花江からの揚水を示したものです。 元の地図はハルピン(哈爾濱)周辺を広く書いた地図ですが、ハルピン周辺のみピックアップ、また灌漑能力についてのキャプションを消して見やすくし、さらに松花江を青色に、揚水されたエリアを緑に塗っています。 ハルピン周辺は大都市ですが、その周辺に、灌漑による開墾が広くなされていることがわかります。 1937年(昭和12年)当時、水田の多い地方は新京、奉天、撫順、安東、開原、営口、が挙げられました。 さらに、ここに示します地図の4年後の満州日日新聞の記述には、遼河、松花江、松花江の支流の牡丹江や嫩江(のんこう)、鴨緑江といった大河流域で益々水田が増加すると期待されていました。そこでは、この地図に示す様な大がかりな農業開発の恩恵でもあります。 | | | |