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SMという行為は淫らなのか

注意:この記事には画像がありません (^^;

普通の性行為をまったく伴わない千枝さんとのSM。
私は若いころから、SMをする時は服を着たままでした。
縛りと責めを堪能すればセックスパワーが解消してしまうので、普
通の性行為は不要なのです。

昔、Mっ気はないのに私を喜ばせるため、進んで縛られてくれる可
愛い女性と付き合ったことがあります。彼女はノーマルなので、プ
レイの後で私に抱かれることを望みました。
そんな時、一旦パワーが解消してしまった私は風呂に入り、気分転
換しなければ回復しなかったのです。

千枝さんは縛りと責めでイくことができますから、当然普通のセッ
クスは必要ありません。
千枝さんと付き合い始めてしばらく経ったころ、自分だけがイくこ
とに負い目を感じたようで、こんなことを言ってきたことがありま
す。
「あの…、いままでずっと言えなかったのですが、
 もしも、もしもですよ、朝野さんが許してくださるのなら…
 朝野さんがイヤでなかったら…、ご奉仕させていただきたい…
 いつも私ばかり、たくさん感じさせていただいて、イかせていた
 だいて、何だか申しわけなくて・・・。
 もしも、朝野さんがそんな気分になったときがあったとしたら…
 でいいのです」
千枝さんの可愛い申し出に、感謝をこめて丁重にお断りしました。
共に過ごすことのできる時間が少ないので、私にはSの想いを満た
すことのほうが貴重なのです。

というわけで、私たちのプレイには普通のセックスはまったく存在
しません。とはいえSMはどう考えても性行為の一種ですから、淫
らな行為だと思います。
千枝さんは体力の続く限り責められてイくことを求めます。体力を
使い果たして動けなくなっても、心の中は「もっと責めて」なので
す。
千枝さん自身が、「あれほど感じまくってイき続けてしまうって、
淫ら以外の何ものでもありません」と認めています。
それでも千枝さんとのプレイは、私にとってなぜか淫らな行為とい
う印象があまりないのです。
この理由について、千枝さんと何度も話題にしました。

そんな会話のひとつを紹介します。
クリスマスカードでこんな言葉を送ってくれたことがあります。
「Merry Christmas!! ゚・*:.。..。.:*・゚
 これからもずっと…
 厳しくて酷いことたくさんしてくださる
 優しくて素敵な朝野さんでいてくださいね
 責められても責められても もっとひどくされたいと
 思ってしまう恥ずかしくて淫らな私ですが
 よろしくお願い致します」

「SMという行為によって感じてしまうばかりでなく、イってしま
 う。しかも体力が続く限りそれを求め、体力がなくなっても心の
 中ではなおも求めている。SMという行為で得られる性の悦びを
 際限なく求めるのは明らかに淫ら。
 そもそもSMは裸で縛られることが大前提、その上でありとあら
 ゆる屈辱的な方法で責められるのがSMプレイというもの。責め
 の方法は性に直結する器官を狙い撃ちすることが多い。
 このように、やっぱりSMは性行為の一種だから淫らな行為とい
 える。
 それにもかかわらず、
 『責められても責められても もっとひどくされたいと思ってし
 まう恥ずかしくて淫らな私』というあからさまな表現は、なぜか
 あまり淫らな想いとは思えない。
 「もっと鞭で打たれたい」という願望は「淫ら」なのだろうか、
 ってね。いつもの堂々巡りだな (^^;」
千枝さん
「> このように、やっぱりSMは性行為の一種だから淫らな行為
 その通りですよね、これは間違いなく淫らな行為。納得です。
 > 『責められても責められても もっとひどくされたいと思って
 > しまう恥ずかしくて淫らな私』というあからさまな表現は、な
 > ぜかあまり淫らな想いとは思えない。
 自分で言っておきながら変ですが、これにも何故か納得できてし
 まうのですよね。
 朝野さんと私の間で言う責めは、ソフトSM(?)的なものではな
 くて、かなり厳しいものですよね。当然かなりの激しい苦痛を伴
 います。
 そのような激しい苦痛と性的な快感は、一般的な感覚では結びつ
 きにくいものだと思うのです。
 もしかしたらそんな感覚も原因の一つかもしれないと思いました」

「> 激しい苦痛と性的な快感は、一般的な感覚では結びつきにくい
 ここがポイントだね。激しい苦痛を強制されることによって快感
 を手に入れることができる。
 苦痛を強制されることなんて普通の感覚では快感を得ることに反
 するもの。だから快感に結びつくなんて考えられないので「淫ら」
 にはつながらない。
 でも、SMの趣味を持つ者にとっては強制された苦痛が伴わなけ
 れば快感を得られない。
 というわけで、屈折してはいるけど責められて感じるのはやはり
 「淫ら」なこと (^^;」
千枝さん
 「> というわけで、屈折してはいるけど責められて感じるのは
 > やはり淫らなこと (^^;
 そうですよね、責められた結果イってしまうほど感じてしまうの
 ですから…
 しかも何度も何度も…。それでも足りなくて求めてしまうって、
 「淫ら」以外のなにものでもありませんよね~。
 と書いていたら、ものすご~く恥ずかしくなってしまいました」

「激しい苦痛と性的な快感は、一般的な感覚では結びつきにくい」
という千枝さんの指摘はなかなか鋭いと思います。
確かに、一般的にいう「淫らな行為」とはかなり違います。
でも私には、千枝さんが淫らな女性とは思えない理由がほかにも
あるのです。
それは千枝さんの「慎み深さ」です。
引用したメールの言葉も、最後は「ものすご~く恥ずかしくなっ
てしまいました」で終わっています。
そもそも、「責められても責められても もっとひどくされたい
と思ってしまう」というのは彼女の心の中の問題で、実際のプレ
イでは、鞭で催促しなければ「もっと」を言えない女性です。
さらに彼女は責められている最中も、足が自由なら決して膝を開
きません。
千枝さんは常に慎み深さを失うことのない女性です。
その慎み深さが、彼女を淫らに見せない大きな理由だと思えるの
です。

辞書を調べたら、
「淫ら → 性に関して慎みが無い様子」とありました。
(三省堂「新明解国語辞典)
妙に納得してしまった私です。

コメント

厚かましく、恥ずかしげもなく、長年の思い

M女は被虐の願望を自ら求めない。強制され不本意に従わさせられた結果、戸惑いながら、自分の口からお願いさされ、肉体が刺激を求めてしまう。
戸惑う壁を高く出来るほど、脳内の燃え方が大きく、悦びが疼きが高まるのではないかと思っております。
でもこれが出来るM女は殆どいないのではと感じています。安易に求めてしまいます。
千枝さんの心情がうかがえました。
千枝さんは、一層慎み深さを大きくされることによって、脳内での被虐性を高めておられるのではないでしょうか。
本来のMは、肉体の苦痛、痛みとともに、精神性、脳内快感が相まって増幅されるのではないでしょうか。

「淫ら」ではないですね。淫乱ではないですよ。
すみません。厚かましくも私見を書き込みました。

本当に素晴らしい

本当に素晴らしい、まさに「マゾ」の境地、千絵様の様な方にお会いしたいですの、生涯の夢です、有難うございます。

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