つい先日までリィジーとンフィーレアが日常を送っていたバレアレ薬品店。
窓から西陽が差す中で、二つの影が動き回っていた。
「ああっ……、くそっ、どこに………」
ンフィーレアは顔を焦りに歪ませながら当てどなく引き出しを開け、棚を覗いている。
一方モモンガは、壁に背中を預けてンフィーレアの様子をただ見ていた。
まだ陽が高い内にエ・ランテルへと辿りついたモモンガ達は、透明化の魔法を使って警備兵の目を掻い潜り、都市内への侵入に成功していた。
ただ、それまでに紆余曲折があり少なくない時間を消費してしまってはいたが。
一番の要因は都市へと入る人間を管理する検問の存在である。
そもそもモモンガは実際に見るまで都市の入口に検問があるという考えを失念していて、その対策も当然考えていなかった。
モモンガは頭を抱えたが、ンフィーレアは以前リィジーが、都市を警備する者達の魔法への対策の乏しさをぼやいていた事を覚えていて、門を守る警備兵達なら透明化の魔法だけで十分に掻い潜れる、と踏んでモモンガにそれを伝えた。
だが子供の推測を鵜呑みにする程、彼は大胆ではない。
透明化を看破する方法など低位の魔法の中にも幾らでもあるし、盗賊や野伏など感覚に優れたものなら、魔法の力が無くても存在を看破できる。
踏みとどまるモモンガと急ぎたいンフィーレアで、暫く押し問答をした後、先に透明化をかけられたンフィーレアが侵入し、問題がなければモモンガが行くという事でようやく決着がついた。
そうして検問をくぐり抜けて、透明化で身を隠しながらバレアレ薬品店に到着した二人だったが、ここで新たな問題が発生した。
ンフィーレアは、これまでリィジーが生活に使うお金を保管しておく為に使っていた金庫の在り処、そして鍵の所在を知っていたために、そこを開ければ全財産が見つかると考えていた。
しかし、そこはやはり大金を管理した経験のない子供。
彼が知る普段使いの金庫には精々、金貨30枚程しか入っておらず、エ・ランテル一と謳われる薬師の財産にしてはあまりに少ない。
財産の大部分は他の場所に保管してあると考えるのが妥当だが、ンフィーレアには、そしてモモンガにもそれを探す術はなかった。
「あまりのんびりとしている暇はないぞ。 今頃あの冒険者達がエ・ランテルに到着して、仲間と依頼人達がモンスターに襲われて死んだという嘘の報告をしているかも知れない。 私としてはあまり長居はしたくないな」
「ちょ、ちょっと待っててください! 何処かに必ずもっとお金が隠してある筈なんです。 良く探せば……」
「それはさっきも聞いたが……、私ならば、それほどの大金を少し探して分かるような所には絶対隠さないな。
既に本や薬の材料、食料、スクロール、衣服等のめぼしい物は回収したし、これ以上いても時間の無駄だと思うぞ。
………金ならまた稼げばいい。 この街に入る前に君とした新しい契約では、君の祖母を復活させるまで、君の護衛をすることとなっていたが……。 どうせ私には何もする事が無いし、時間は幾らか掛かっても別に構わない」
結局、あの後ンフィーレアはモモンガと新しい契約をする事にした。
報酬は金貨50枚、そしてモモンガがこの世界の事を知る上で出来る限りの助けをする事。
それと引き換えにモモンガはリィジーの復活までンフィーレアの面倒を見る。
そういう約束だった。
現在モモンガはンフィーレアが金庫を探している間、薬品店内の使えそうな物資を出来る限り回収するという役割を引き受けて、既にそれを終えている。
ンフィーレアとは違い特に急ぐ理由も金銭の必要性も無いモモンガが契約を結んだ理由は、この世界に馴染んでいく為には現地人であるンフィーレアの協力は役に立つと考えたため。
モモンガとしてはむしろ、復活まで出来るだけ時間が掛かってくれた方がありがたい位だった。
しかし一刻も早くリィジーを蘇生させたいンフィーレアは、暫く店の中を漁っていたが、店のドアを何者かが叩く音を聞いて諦めざるを得なかった。
ンフィーレアならば兎も角、アンデッドのモモンガが街の人間に見つかれば即戦闘となってしまう。
モモンガが魔法でリィジーの遺体を収納しており、彼はンフィーレアに自分が死ねば収納している物体も一緒に消滅すると告げている以上、この場でンフィーレアが選べる選択肢はもはや逃げるしかない。
モモンガは自分とンフィーレアに透明化を使った後、音を立てないように裏口を開けて、エ・ランテルに満ちつつある夕闇の中に消えていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「通り雨だろう」
太陽を透かす薄い雲が空一面に広がり、そこからぽつぽつと雨が降ってきた。
ンフィーレアとモモンガが街道の脇に立っていた広葉樹の下で、足を休める。
二人がエ・ランテルから経って既に四日。
今頃街ではリィジーの死によって、騒ぎが起こっているかも知れないが、二人には知る由もない。
結局、大した金は持ち出せなかったが、全ての望みが潰えた訳ではない。
それに朗報もあった。
モモンガが危惧していたリィジーの遺体の腐敗、その心配が無くなったのだ。
あれから幾つかの実験をしていく内、アイテムボックス内のアイテムの状態は入れた時のままに保たれる事が分かった。
湯を沸かして収納してから、暫く経って取り出しても温かいままだし、リィジーの遺体も痛む様子はない。
この分なら、時間の経過による蘇生の失敗は危惧しなくてもいいだろうという情報は二人を安堵させた。
モモンガは現在バレアレ薬品店から持ち出した革の手袋や靴を身にまとい、一見旅人風の服装をしている。
その横では、馬車に乗っていた時と同じ服装の上に、雨風避けのローブを身にまとったンフィーレアが蹲っているが、その顔は沈んでいた。
リィジーが死んで、自分も殺されかけてから数日。
あまりに衝撃的な出来事が連続したことで、同年代に比べると聡明とは言え、まだ子供のンフィーレアの心は暗く荒んでいた。
眠ることの出来ないモモンガは、夜闇の中で毎晩のように泣きじゃくるンフィーレアの声を聴いている。
今も木陰に二人で座っているが、どちらからも声を掛け合う事はない。
手持ち無沙汰になったモモンガは、昨日ンフィーレアが寝ている間に絶対正義の証を用いて調達したあるアイテムをアイテムボックスから出した。
運営が管理する街ならどこにも必ずある施設、役場。
そこでは一日に一回だけ、特殊なクエストを受けることが出来た。
デイリークエストと称されるそれは、一レベルから百レベルまで全てのプレイヤーが引き受ける事が出来、その達成条件をクリアする事で、経験値とアイテムが手に入る。
報酬のアイテムは大したものでは無いが、レベル上げの手段としては効率がいいしモモンガも以前は良く引き受けていたものだ。
そのデイリークエストは役場で交付される依頼書を10金貨で購入する、という形で引き受ける事が出来、モモンガはこの世界ではクエストを引き受ける事が出来るのか、という興味から、以前モールスネークを倒した事で一ポイントだけあった功績点を使い依頼書を購入していた。
その結果は、失望でしかなかったが。
書かれていた内容は日本語だったが、『●●●●●の墓地に大量のアンデッドが現れた。 討伐に手を貸してほしい。
ちなみに●●●●●という本来なら地名が入っているだろう場所には意味不明な文字の羅列があるだけで、クエスト開始のトリガーとなる『クエスト受諾』という言葉を声に出してみても何も起こらない。
基本的にデイリークエストはこの手の討伐系クエストしかないし、やり直してみても同様の結果だと思われる。
恐らく、このデイリークエストはユグドラシル以外を舞台にすることを想定していないのだろう。
落胆しながらも、ある意味予想通りの結果にモモンガは軽くため息を吐いた……、正確には動作をした……、だけだった。
モモンガがその使用出来ない依頼書を眺めている内に、横からンフィーレアのくしゃみが聞こえてきた。
(そういえば、少し雨に濡れてしまったからな……。 ここで風邪でも引かれると厄介だ)
「これで鼻をかめ」
そう言ったモモンガが差し出したのは使えない依頼書。
どうせゴミなのだから鼻紙に使った所で問題はない、という判断だった。
ンフィーレアは気まずそうに軽く目を背けた後、黙って紙を受け取った……、その瞬間、依頼書から白く輝く光が溢れ出した。
「な、なに!」
ンフィーレアが思わず放り捨てた依頼書をモモンガが拾い上げると、そこには僅かな変化があった。
(なんだ? 意味不明な文字になっていた部分が変化している。 ………マカリの町?)
モモンガ達はリィジーの店で見つけた簡素な地図を元に、この国で最も情報が集まるであろう王都へと向かっているが、確かマカリという地名は地図で見た。
ここから王都への街道沿いにある小さい町ということ以外は分からないが……。
ンフィーレアが触れた事が何らかのきっかけになったのだろうか?
事態を良く飲み込めないながらも、目の前の依頼書はこのまま放置しておくには、あまりにも気になる。
もしかして今の状態なら正常に使用できるかもしれないが、討伐対象は下級アンデッドばかりだし、この内容なら大きな危険はないだろう。
モモンガが恐る恐る「クエスト受諾」と呟くと、依頼書にクエストが開始した事を示す赤い刻印が現れた。