■「『かな』なら元号は長く続いたかどうか」
日本の場合は、中国から海を隔てて、より遠い地理環境にあった。さらに国際的な政治力学の変化も、日本に有利に働いた。日本が国力を増していくのに対して、唐は対外戦争の失敗や内乱で、勢威に陰りを見せ始めていった。日本が独自の年号を外交文書に公用しても、唐は容認するに至ったようだ。当時の遣唐僧の通行証には、日本と中国の年号が併記してあったという。唐の正史「唐書」などには、日本の年号が明記されている。
日本以外で独自年号を続けた国に、10世紀中ごろからのベトナムがある。いったん明に併合されたが独立を回復し、第2次世界大戦後の王朝滅亡まで、約1000年間も年号を使い続けた。日中と同じく「元和」を用いたり、4字元号を19例も作成したりした。
日本の国内事情について、所教授は「日本人の識字率の高さが、元号制度の定着に大きく寄与した」と指摘する。一般的に日本人の教養は高く、江戸時代の段階で識字率が7割を超えていたとする分析もあるほどだ。所教授は「すでに奈良・平安時代の庶民の中にも、道ばたに立てられた高札を読んだり、荷札に住所や品名を書ける人々がいた」と言う。現代ならば、自治会の世話役クラスは読み書きができたようだ。
続いて所教授は「元号が表意文字である漢字を使う文化だからこそ、日常生活に溶け込んでいった」と強調する。漢字の有意性だ。日本は247もの元号を生み出してきたが、採用した漢字は72個に過ぎない。最も多いのは「永」で「元」「天」「治」「応」と続く。意識的に縁起の良い字を選んでいることは、漢字を見れば即座に納得できる。ゲンを担ぎ、良い時代を望む心理は、上流貴族でも一般庶民でも変わらない。所氏は「もし元号が、『かな』で書かれていたら、長く続いたかどうか分からない」と指摘する。
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