2008/10/02(木)イベント
清原和博選手・引退セレモニー&記者会見内容
最後の打席は三振だった。東球審がベンチに下がろうした清原を呼び止め、そっと最後の打席の、最後のボールを手渡した。8月2日の復帰会見から、この日、この瞬間、最後の打席に向かって始まっていたカウントダウン。遂にその瞬間、逆算時計の針はゼロを指した。感動のセレモニーを終えた清原は、穏やかな表情で記者会見に臨んだ。
―引退セレモニーを終えた今のお気持ちは?
「本当に野球をやっていて良かった、という気持ちでいっぱいです」
―試合前、王監督から花束が贈られました。その時、王監督は何をおっしゃったのでしょう。
「自分にとっての最後の試合が王監督の率いるソフトバンク戦というのも運命的なものを感じました。試合前、王監督は『来世、生まれ変わったら、同じチームで野球をやろう。ホームランの数を競い合おう!』と言ってもらって、感謝の気持ちでいっぱいです」
―どこに行ってもファンの声援は凄かったですね。
「膝が痛くて、休みたくなる時もあったのですが、ファンの皆様の声援と拍手が気持ちを奮い立たせてくれました」
―オリックスでの3年間を振り返られた時、何が一番印象に残っていますか?
「大阪で、オリックスで、何も恩返しができなかったのが心残りです。ただ、この3年間、仰木さんならこんな時、何とおっしゃるのだろう?仰木さんならどんな顔をされるのだろう?と、いつも思っていました。でも、いつも浮かんでくるのは仰木さんの笑顔なんです。不思議にいつも笑顔なんですよ。『大阪に来て良かったやろ』って笑っているんですよ。仰木さんのおかげで、野球を続けることができたし、イチローという素晴らしい友と出会うこともできたんですよ」
―プロ23年間を振り返って、一番心に浮かぶこととは何でしょう?
「ひと言で言うなら、“感謝”です。今はその言葉しか浮かびません。アメリカから駆けつけてきたイチロー選手、シーズンの大切な時期にも拘わらず、今日ここに来てくれた阪神の金本選手、東京から僕のために歌を歌いに来てくれた長渕剛さん、そして、天国の仰木さん。何よりもファンの皆さんへの気持ち。感謝ですね」
―このレギュラーシーズンでけじめをつけられて、クライマックスシリーズには出場されないと聞きました。その真意は何でしょう?
「僕がクライマックスのベンチに座ることによって、若い選手の枠がなくなるのは良くないと思ったからです。オリックスには将来性豊かな若い選手がいます。そんな若い選手に、本当の意味で厳しい戦いを知って欲しいと考えました」
―最後の打席に立たれた時の気持ちを教えてください。
「ファンが僕に求めているのは、最後まで清原らしいスイングだと思うんです。だから中途半端な気持ちでスイングはしたくなかったんです。杉内投手は僕に、全てストレートで勝負してくれました。彼には感謝しています」
―今は何をされたいですか?
「今はとにかくこの体を休ませてやりたいですね。まずは普通の日常生活に戻りたいですね」
―球界への復帰を望む声もありますが・・・。
「勿論その夢は持っています。だけど今は休みたい、というのが本音です。ただ、野球に、怪我に苦しむ選手がいたならば、その痛みがわかる人間でありたいと思っています」
最後の打席の、最後のボールにメッセージを書き込んで清原は杉内に手渡した。それを大切な宝物のように杉内は受け取ったという。相手投手への敬意もこの男の流儀なのであろう。清原の野球人としての男気が伝わる話である。
記者団に「23年間ありがとうございました」と深々と頭を下げた清原。怪我と闘う中では見せたことのないような穏やかな表情が印象的だった。心に残る引退セレモニーだった。心に染みる引退の挨拶だった。「大阪で、このオリックスのユニフォームで現役を終えることを誇りに思っています」と言い切った顔に迷いはなかった。実に清々しい優しげな眼差しこそが、清原和博の本当の姿なのだと、恥ずかしながら初めて知った。「幸せのトンボが舌を出して笑ってらぁ」は「とんぼ」の歌詞。天国の仰木さんも、きっと笑ってる。「ええ、セレモニーやった。素晴らしい男の花道や!」と。いつも、清原が思い浮かべていた、あのいつもの笑顔で・・・。10月1日、大阪の空は快晴。天まで遮るものは何もない。背番号「5」の男気は天に届いたはずだ。
<清原和博選手 写真>
試合前、王監督から花束を受け取る清原選手 | 第3打席で2塁打を放つ |
ヒットを放ち、走る清原選手 | 引退セレモニー |
北川選手会長より花束贈呈 | 長渕剛さんが「とんぼ」を熱唱 |
チームメイトによる胴上げ | 試合終了後の記者会見 |
★清原選手スペシャルサイト「男の花道」のMOVIEで、引退セレモニーと記者会見の 動画の一部を公開中!ぜひご覧ください!
■□■ 清原選手スペシャルサイト「男の花道」はこちら ■□■