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2019-03-22

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・昨日の午後、イチロー選手のことを書こうと思っていた。
 来日の日、引退のことを質問されたイチローさんは、
 答えのなかに以下のようなことを混ぜていた。
 「才能のままに野球をやってきた45歳と、
 じぶんのようなやり方で野球をやってきた45歳は、
 同じじゃないと思う。
 だから、じぶんのような人間が45歳になったとき、
 やれるのかやれないのか、まだ誰も知らないでしょ?」
 言い方はちょっとちがうけど、そういうことを言った。

 これと関わるようなことを、直接に聞いたことがあった。
 「年齢について考えるとき、
 スポーツ選手の年齢については、あんまり考えない。
 同窓会で会うような、同い年のふつうの人が、
 どれくらい肉体が衰えたかというようなことは、
 けっこう気にしています」
 自然に進行する衰えと、それを考えに入れつつ修練し、
 別の道を考え実行していくじぶんのやり方に、
 強い自負を持っているんだと思って聞いた。
 イチローは「天然素材で創った人工物」だということだ。

 ぼくは、そうして生きてきたイチローという人に、
 尊敬の気持ちと、ちょっとだけだけれど
 可哀想かもしれないという気持ちを抱いていた。
 ストイックであるとか、求道者のようであるとか、
 人間ばなれした偉人のように語られるけれど、
 イチローさんには、この、ちょっと可哀想な感じがある。
 それは、意思というか、理想というか、イデアが
 「イチロー」という自然の人間を改造し続けてきた
 ことに原因があると思えるのだ。
 その延長線上に、「50歳の肉体を使って
 メジャーリーグ選手として活躍させること」があった。
 ぼくも、いっそその実現を見てみたかった。

 昨日の引退の表明は、「イデアで45歳の肉体を
 自由に操ることはどうやら無理だったようです」
 という失敗の報告だったと思う。
 それで、らくになっただろうなぁと、ぼくは思う。
 イチローは、元イチローになって、人間に還るのだろう。
 より自然の人間に還ったあの人に、おめでとうと言おう。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
男子って、みんな、微量のイチローを持っているんだよね。


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