| こちらの頁では、満州風景として、航空写真を紹介してまいります。 まずは大都市ハルピンの航空写真から。撮影者も、いざ空からの撮影の機会があれば、やはり最も有名な中央寺院を撮りたかったに違いありません。 まずロータリーに囲まれた中央寺院が目を引きます。 とがった屋根、先端の丸いデザインがよくわかります。また、ぐるりと木々で囲まれていることが判ります。 右上から路面電車が伸び、ロータリーに沿って二股に分かれています。丁度、路面電車も通りがかかっています。 ロータリーの上側の建物は、別頁で博物館と紹介しているものです。こちらの画像のキャプションには哈爾濱商品陳列館とあります。様々、展示が行われた建物なのでしょう。 商品陳列間の上には、いくつか洋風の建物がみえます。画面右側の区画は、平らな広場の様ですが、それ以外は黒くつぶれてしまっていて、上手く写っていません。木々に覆われているとも考えにくく、写真撮影の際の露光(雲で影になっていた)、あるいは道路が明るく写っていることから道路に露光をあわせたため周囲は暗くなってしまったも考えられます。 | | | |
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| 『北満の穀倉といわゆる松花江流域平野の農産物に対して、哈爾濱はその最大なる集散市場である。広漠際涯なき北満の沃野から算出される穀物はその年額、実に壱千餘瓩(いっせん よ きろ)といわれている。これらの農産物のなかで、重要なる地位を占めているのはなんといっても大豆及びその加工品(豆粕、豆油)である。これらのほか、さらに綿糸布、麻袋、砂糖、タバコ、建築材料の取引もさかんである。これらの物資は鉄道は勿論、河川、松花江によって防疫され、運搬されるのである。』 ハルピンの市街地の続き、またキャプションはハルピンを農産物の集散地として紹介する文章です。 白い壁の、欧州風の建物が連なっていることがわかります。 | | | |
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| 中央の大きな丸い屋根は聖ソフィア寺院です。航空写真という上から見下ろすアングルでみますと、屋根の上の玉ねぎ状のドームが実に大きいものであることがよくわかります。 かつて多くの寺院があったハルピンですが、今日では、この寺院だけが残っています。また有名な観光地となっおり、周辺は舗装整備されています。こちらの満州国当時の写真では、そうした舗装などもない様です。また周辺に足場が見え、改修工事の最中の様です。 さて画面、聖ソフィア寺院の上に見えます大きく四角く配置されている建物は、確か公設市場のはずです。周辺の建物も、奉天など他の都市と随分違い、欧州の街並みに見えます。 | | | |
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| ハルピン埠頭を上から見下ろしています。 何隻もの船が見え、流石は交通の要所、ハルピンだと感じます。 埠頭とはいうものの、港にみられる様な桟橋などは見当たりません。土手から橋をかけて船へ渡っている様子がわかります。 右側、川沿いに黒く人影が見えます。 船を上から見る機会はなかなか無いものですが、のっぺりと平らな屋根に黒く煙突が飛び出しています。 海で使われる貨客船と違い、舳先は太く短く見えます。 また船の両舷中央が広がっている船、あるいは船尾側が四角く見える船とあります。それぞれ、左右、あるいは船尾に外輪を装備した外輪船であることがわかります(今日の船では推力を得るために水面下にスクリューを配置しますが、外輪船の場合、水車を船の左右、あるいは後ろに配置します)。 | | | |
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| 『依蘭、哈爾濱の間にある松花江に望む物資の集散都市で、対岸にも都市部は広がる。農産物などの往来と共に発展しつつある。』 升目状の区画が整備されています。またそれぞれに広々とした四角い空き地が多く見えます。想像ですが、物資が多く集められる時(例えば大豆の集配期)、この四角い空き地に物資を積み上げるのではないでしょうか。 左側、松花江が見えます。何隻か船が見えます。 こちらでもハルピンと同じく、きちんとした埠頭は作られていないようです。 | | | |
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| 『哈爾濱を松花江に剃って東に下れば三姓の町に至る。 この地方は、移民の開拓により開発されつつある。 この街もゆくゆくは重要な産物都市となるであろう。』 真上から見下ろしています。 長四角な家がぎしり立ち並んでいます。背の高い建物は見当たらない様です。 日本でも河川にそった運搬は多くあります。大阪、京都間でも河川の交通は明治になっても盛んでしたし、昭和でも北九州の河川で炭鉱の石炭を北九州市まで運びこんでいました。 こちら、大河のある満州ではそれが大規模に行われていました。 こちら、国を代表する大河である松花江沿いの町で、開拓地でもあったことがわかります国の発展に伴い、交通の便の良い地域から順次、開墾されていったようです。 | | | |
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| 『哈爾濱、三姓の間の松花江に望む町である。 対岸の通河と共に農業都市としての将来が期待される。』 先ほどの三姓(依蘭)と比較してやや閑散として見えますが、三姓と同様、道路は特に都市計画がある様には見えません。 一方で、家々はきっちりと線が引かれているように写っており、相当に背の高い壁で囲ってあるものと想像されます。 地方ではこうした家は背の高い塀で家を囲むという建て方は顕著です。匪賊襲撃に対する防御と考えられます。 | | | |
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| こちらは奉天市街地です。 中央は奉天の写真で何度も登場する大きな門です。周辺の家々と比べても、大変大きなものであることが判ります。 | | | |
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| 門をクローズアップしてみます。 門の上側に鉄筋と思われます白いビルがある以外はおおむね大きさの同じ程度の家が見られます。またそれらはぎっしりと建っています。 いずれも屋根は大きく、これらは瓦葺の様に見えます。 | | | |
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| 上側に横方向の川が、また右下に斜めに同じく川が見えます。川に沿って、僅かな平らなところに家が集まっているように見えます。縦方向に白っぽく筋がいくつか写っており、道路の様です。 画像をクローズアップなどしてみたのですが、少なくともこの画面内には畑らしいものが見当たりません(画面中央の平らなところがもしかすると畑かもしれませんが)。 やはり山がちなところに畑は作りにくく、満州では丘陵地帯はたいてい放牧が主となっています。 ただ熱河にも大河はあるようですし、なんらかの開梱などで畑はなどはあったのではないか、と想像しています。 | | | |
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| 大きな道路が縦に通り、四角い家々が密集しています。 背の高い建物は見えません。 左側は河でしょうか。 | | | |