| 昭和8年7月から1ヶ月間、満州は大連市西部にて「満州大博覧会」が開催されました。 大都市大連で、盛大に行われた行事ですが、実は当HP製作にあたり資料が入手できず、実態が良く把握できていません。 また今回紹介します画像は写真集のもので、博覧会会場で売るために準備された物の様です。これには会場パビリオンの写真のみ掲載しており、テーマ館の内容の紹介といった記述は、ほぼありません。 よって、このページではパビリオンの写真を掲載し当時の雰囲気を感じていただくにとどめております。また詳細が判り次第、追記することと致します。 現在、把握できております範囲ですが、この満州大博覧会は沢山のパビリオンを建て盛大に開催された一方で、人出は予想されたほどではなかったのだそうです。 勿論、主催者側は大変な意気込みで、来場者の交通の利便、宿泊施設へ大いに気を配り、広く動員をかけています。 そこまでして、さほどの盛況ではなかったとなりますと、何故?という興味がわきますが、現状、これも良くわかりません。 ただ、お役人の考えるイベントが、必ずしも庶民の関心を引くとは限らないというあたり、いくつも例はありますので、その戦前版かもしれません(例えば先日の横浜開港150周年イベントも、予想の人出にならず、多額の赤字が発生しました)。 では数々の、意匠を凝らしたパビリオンを紹介してまいります。 | | | |
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| 『満蒙の天地は新満洲國の出現によって輝かしき行進を始めました。 山河草木に喜色あり、人に更新の意気溢れて居ります。 此時我が大連市に於て開催する満洲大博覧会はこの進路に燈火を 點じ、満洲國を祝し、日満産業防疫の発展を促進し両國不可分の楔子となって永劫に記念さるる一大盛事であります。 茲にこの大博覧会を記念するために満洲風物写真帖を編集して広く江湖に頌ちます。 事業の記念と満博観覧の記念とを兼ねて机上に備えを願います。』 | | | |
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| 登り旗の並ぶ、景気の良い建物です。 林興行部とあり、その下に個人名が書かれており、またいずれも大連市と書かれています。 | | | |
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| 博覧会といえば、技術や消費などに関連した啓蒙を楽しく紹介する特設館が設けられますが、こちら満洲でもあったようです。 電気普及館とあります。 かなり大掛かりで、三階建てくらいの高さがありそうです。 満洲では電気の普及が大いに進みましたので、その便利さを啓蒙するのに、こうした博覧会は絶好の機会であったと考えます。戦前の日本では、電気はまず灯りで広まりました。電熱器などの熱源での普及、さらに扇風機などの家電機器は安価なものが出るまであまり普及していませんでした。 満洲でも恐らく似た事情であったと思いますので、家電の紹介というだけでも有意義だったのではないでしょうか。 そう考えますと、ここでどんなものがどういうふうに紹介されていたか、が大変に興味があります。 想像しますに、例えば普及著しいラジオが挙げられます。 さらに家電では、洗濯機もアメリカでは戦前から普及の兆しがありました。そうしたものの紹介もこちら満州で行われていれば、関心を引いたものと考えます。 ちなみに家電で今日、当たり前に普及している物に炊飯器がありますが、これは大正から昭和初期に軍隊で研究されましたが、一般には普及しませんでした。これも、もし出展されていれば、火を使わずご飯が炊ける文明の利器は人々の興味を集めたと思われます。 | | | |
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| ガスを紹介している様です。 正面ガラス窓に、建物の反対側と思われます窓の四角い明かりが見え、中は広いホールになっている様です。 | | | |
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| ガス館の頂上に飾ってあるものを見てみます。 お釜が載っています。釜の下はガス台を模しているのでしょう。丸い板に丸く穴がいくつも円状に並べてあり、これはガスと同軸に空気を供給する穴です(真ん中、手前に飛び出しているのが、ガスを送る繋ぐ部分です)。 横にマッチがあります。漫画サザエさんも、連載初頭では、炊事でガスをマッチで点ける場面がありました。 満洲でどの程度、ガスが普及したかは不明ですが、当時、ガスがパビリオンになるくらい珍しいものであった、またそのパビリオンはお釜を掲げることで生活をより便利にするものであることを印象付けようとしているあたり、興味深く感じます。 | | | |
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| 入り口から入場者が入っていくところです。チケット販売所も見えず、会場内のパビリオンは入場無料であったものと想像されます。 入り口に「これは面白い」とあり、ガスを使った見世物があることがわかります。 また入館使用としている人達は、いずれもチャイナドレスに見えます。地元の人達も来場していたのでしょう。 | | | |
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| こちらは農園とありますとおり、いくつも作物が植えられているようです。 農業大国満洲ならではです。 植えられているものですが、一寸、判断が付きませんでした。右端に見えますのはとうもろこしでしょうか。 | | | |
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| いくつもの広告塔が見えます。 右側、ひときわ高い塔の左側には、 『大連新聞スカイサイン』 とあります。この塔の上側黒い部分の手前側は、白い点々が並んでいます。金網状になっているのでしょうか。もしかすると夜間、明るく光るのかもしれません。 この塔の下は黒く潰れていますが、「楽天地」さらに下は主催大連新聞社とあります。 その左隣にキリンビールの塔が見えます。 ここには掲載できておりませんが、会場にはキリンビールの看板があちこちにあります。 また同じく画像が入手できませんでしたが、「キクツルたび・岐阜足袋株式会社」という広告塔もありました。足袋はお洒落なものでは高価なものもあり、例えばお見合いで紹介されたお嬢さんを気に入った男性がその女性の気を引こうと初デートに足袋を持って言った話もありました。 足袋というと今日では馴染みがなくなってしまいましたが、当時は満州にも広告塔をだすほど、大いに売り上げのある足袋の企業もあったことがわかります。 | | | |
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| 画面中央、ひときわ高い広告塔にはサクラビールとあります。これは櫻麦酒のことで、後にサッポロビールに吸収合併されますので、現在はありません。 左には小さくてわかりにくいのですが、ライオンサイダーがみえます。 画面、やや右の遠くに黒い建物が見えますが、先ほどの大連新聞スカイサインでしょうか。 | | | |
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| 遊園地の様です。 右端、台座の上にはのらくろの様な人形が乗せられています。 正面つきあたりは汽車のりばとあり、遊具がある様です。 会場内は特に子供も見当たりません。 後ろの小高い岡の中腹、片仮名がみえ、右から左へ『ブリヂストンタイヤ』とあります。 | | | |
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| ここからは日本の地域別特設館を紹介いたします。 ちなみに、この建物、またこれ以外の建物にも、まっすぐ、四角さを強調した設計がみられます。 丁度、バウハウス(Bauhaus)がドイツのワイマールに1919年に設立された頃です(バウハウスは、ドイツ語で「建築の家」の意味)。 これはもしや、当時流行ったバウハウスの形式を取り入れたものかもしれません。 | | | |
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| 北海道間は、二階ベランダ部分に木が見えます。 その右側、柱が並んでいるのが三菱館 さらにその右奥、ほとんど写っていませんが熊本各特設館です。 | | | |
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| では、ここからは企業関連を。 満州と日本、日本から各国を結んだ企業、大阪商船です。 | | | |
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| 製鉄所の模型を併設してある建物ですが、この製鉄所の部分は階段なども見えませんことから、来場者が登るなどするものではなく、ただのモニュメントの様です。 建物正面、壁の上の部分に「S」とあります。製鉄関連でSで始まる企業は特に思い当たりません。せいてつ、のSでしょうか。 | | | |
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| 会場中央に高くそびえる建国塔は、ご覧の通り夜間は周囲から照らされる設計になっていることがわかります。 頂上部分、窓が見えますが小さい窓ですし、展望台を兼ねていたか、は不明です。 画面右下、東京都のマークが見えます。先程の東京館の『東京館』のマークはネオンで出来ていることがわかります。 その左には満鉄のマークも見えます。 | | | |
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| 会場夜景で、ひときわ高く明るい広告塔が写っています。 文字は上手く読めないのですが、塔の向かって左は上から「國」「革」、真ん中の文字はわかりませんが、その下は「皮」「鞋」の様です。 鞋は、草鞋(わらじ)でしょうか。しかし皮鞋となると、何でしょう 右側は、一番上が「月」ですが、残念ながらそれ以外は読み取れません。 | | | |
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| 手前にとめてある戦車をクローズアップ。 これはフランス製のルノー戦車です。砲塔部分には布がかけられており、砲塔が見えません。 右がルノー戦車を前から見たものです。扉が開いており操縦手が見え、如何に小さい車両かがわかります。また右の画像は砲塔は後ろを向けているので兵装は見えません。 | | | |
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| 画面左側、左に東亜建設株式会社と書いてあります。スポンサー企業が沢山あったことがわかります。 | | | |
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| 以上、紹介してまいりました。 現状、戦前図書でこちらに紹介します写真集以外での資料は全く見つけ切れておらず、当時、どんなふうに報道され、どんな風に理解されたものか、は不明です。 当HP管理人である私の経験ですが、博覧会に関する絵葉書などの見つけやすさという点でいえば、例えば1922年(大正11年)に東京は上野の不忍池周辺で行われた平和記念東京博覧会の資料(絵葉書や書籍)は、今回紹介しております満州大博覧会よりもはるかに古い開催であるにも関わらず、今日でも首都圏の古本屋さんであれば容易に入手できます。満州大博覧会が、古本屋さんをいくら回ってもまず見つかることがないのとは対象的という印象があります。これは、それぞれの大会の盛況さと比例しているのでは、と想像します。庶民の関心が高いイベントの資料は多く皆が買い、出回ります。そしてそれらは時代を超えて古本屋さんの店頭にも現れるほどになります。一方で、皆の関心が低ければその逆となるわけです。 満州大博覧会の資料としましては http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/ 東京大学付属図書館に http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai2003/tenji/by10.html 満州大博覧会の会場図が掲載されています。 相当な広さを持つ会場です。 | | | |