| こちらでは満州航空で活躍した中島式ATの、いわゆる生写真を紹介いたします(書籍や絵葉書からのスキャンではなく、フィルム起こし)。 | | | |
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| 戦前、満州にて撮影された満州航空所属の中島式AT旅客機です。 これらはドイツから来訪した外国人記者団の一行を案内した特務機関の、河野中将が所蔵されていた写真です。 舗装の行き届いた空港のエプロンに待機する姿で、機体の反射から機体表面は素地そのままではなく何らかの塗装が、またそれは明るい色であることが推定されあす(おそらく明るい灰色)。 プロペラも、ぴたっと位置をきめています。 | | | |
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| こちらに大変珍しい、機体内部の写真を紹介いたします。中島AT8はあちこちに写真がありますが、内部の写真はまずありません。 微笑みを見せているのは、ドイツ人記者のエルンスト・コーデス氏です(昭和14~15年頃と推定)。 マフラーをしているのがわかります。 また耳の穴のあたりが白く写っており、耳栓をしているものと思われます。 またこれは脱脂綿での耳栓と思われ、また騒音防止では、と想像します。また耳栓の素材として、脱脂綿ですと空気が流れますから、気圧の変化があっても鼓膜にいたい思いをしなくてすみます。白く見えるのはそのためでしょう。 内装を見てみます。まず棚は網棚です。天井に沿って物を挟むように置くことで頭上の空間を確保しています。 あと棚から筒状の物が出ています(画面中央やや左)。推定としましては、船で言うパンカールーバーと呼ばれるエアコンの「風通し」が挙げられます。 窓にもロール状のカーテンが見え、いすの背もたれにいは白いカバーがかけられています。 | | | |
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| 目的地に到着したところでしょうか。 寒そうです。 地面は整地はされているようですが、舗装されていません。 | | | |
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| 降り立ったところで出迎えの人たちへ一言挨拶、というタイミングでしょう。右端の方は本格的な防寒帽です。 中央、エルンスト・コーデス氏だけ帽子をかぶっていません。左端の方のかばんにはステッカーがいろいろ張ってあるように見えます。旅慣れたかばんといったところでしょうか(満州の大手ホテルはこうした旅行バッグに張るステッカーを旅行者に配るところが多くあり、旅行時の貴重なお土産となったそうです)。 | | | |
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| 満航式3型プス・モス輸送機が将校団の後ろに写っています。 この写真の左端の方(参謀/陸大卒徽章を付けている)が、写真を所蔵されていた河野氏の佐官時代です。 プス・モス機はイギリスのデハビラント社からの輸入機で、短距離離着陸、機械的信頼性もあり、新聞社などで広く輸入されています。こちら満州航空も導入しています。 翼は明るい色で塗られています。そして翼の端には同心円のマークが見えます。 翼は黄色、5色の円を描く満州航空特有の塗装です。 さて、軍務に命を張る軍人さんでも、記念写真となると気合も入るのでしょうか、服装身だしなみもきちんと、長靴もぴかぴかに磨き上げられています。さりげなく立ち並んだところでしょうが、姿勢のよさも、軍人らしさです。 軍服のおしゃれというと、我々はやや馴染みがありませんが、ナチス・ドイツは軍服にちょっとしたお洒落をするため、コートの裏側を真っ赤にして、ちら見せしたそうです。 日本ではそんな色使いという例はありませんが、まず身だしなみを整えることがお洒落だったのではないでしょうか。またそれは日本的なお洒落では、と考えます。 | | | |
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| 以上、憂国烈士様より頂戴いたしました写真を掲載いたしました。 憂国烈士殿サイトにも、これらのほか、多くの満州の翼が掲載されております。 是非、ご覧ください。 | | | |