| では、地方都市のその3としまして、通遼から北へ、チチハル方面へ進んで参ります。 | | | |
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| 駅の大豆積み下ろし場所です。 引込み線を撮影したものと思われます。 | | | |
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| 『 鄭家屯は遼源ともいう。人口約5万人、四平街から八十数キロの西方にあたる。四兆鉄道の重要な都市である。 当地に東蒙古各地から出回る貨物は主に農産物で牛馬羊、獣毛皮革などがそれに次ぐ。街は南大街、北代街に別れ 皮革、農具、馬具の店が多いのも蒙古気分が濃い。 ここから営口まで遼河を下航すれば、千四百三十五里の長い航行を八日程度で達する。 』 立派な駅舎が左に、また右端には列車が居る様です。撮影は冬のようで、皆さん、着膨れしています。 | | | |
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| 『 兆昂鉄道の起点で、広漠たる荒原の中にある一大城市である。 付近農業産物の集散地として知られ、近時は畜産加工業が盛んに起こり、製革、製靴などの産出がある。 』 大きな電柱が見え、電線が無数に見えます。 本来の記述は、さんずいに兆、ですが、この漢字が変換できませんでした。 よって本文は兆南のまま、当時の表記は画像で示しました。右から左へ読みます。 | | | |
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| 『 蒙古平原は一望只天に連なる。 その中に出現せる兆南の街。 四兆鉄道の終点である※ ここの街の由来は鵜の群れる一基の楡の木に旅人が憩いつつも 部t物交換を始めしに始まる。全街泥土を持って家を作る。 泥の街といわれる所以である。 』 ※四平街からの線路がここで終点であったころの記述です。 ちなみに"これがこの街の名の由来である楡の木である"という写真もありますが、小さな木で、後から植えたものと思われます。 またこの写真には泥の家は写っていませんが、特徴のある家作りがなされる地域です。 | | | |
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| 『 土人の家夏は竹で編んだ饅頭型の蒙古包のなかで暑さをしのぎ冬になると泥製の固定家屋に移る 』 珍しい形の家ですが、この地方の特徴のようです。平原ばかりで木は家に使用できるほどにはなかった様ですが、竹は取れたのでしょう。 こちらの家屋の窓には何も無いように見えますが、ガラス窓が入っている例もあります。 | | | |
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| 地平線まで起伏の無い平らな広原です。 草を食む家畜がみえます。この地域は主に高粱や粟が取れます。 | | | |
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| 川が見え、ゆっくりとした流れに見えます。水面には小波が見えます。 線路が通り、交通の便の良い土地ですが、川を利用した運輸もありました。これらは鴨緑江でジャンク船が行きかうのとよく似ていますが、こちら兆南では川がさほど大きくなかった様で、比較的小さな船であったそうです。 写真、遠くには渡し舟が見えます。 渡し舟の向こう、川が蛇行しているところの右側に土手があり段差が見えます。 これは想像ですが、もしかすると季節によっては大水が流れるのではないでしょうか。 | | | |
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| 先の兆南の民家に似ておりますが、のっぺりとした壁で出来ています。これも竹で骨組みが組まれているのかもしれません。また対匪賊の要所と思われます。小さく四角い窓状のものがみえ、銃眼と思われます。 遠く、土壁と家が見えます。 奉來には駅もあり、その周辺は市街地があると思われますが、こちらの画像では何もない平原です。さらにこの付近には砂漠も広がっていて、生産性の良いエリアでもなさそうです。 | | | |