| 満州国設立後、満州への旅行ブームがあり、また満鉄の特急ダイヤの整備に伴い、大連から遥かに遠いハルピンへも、旅行へ誘うパンフレットや絵葉書が作られました。 こちらでは、特に観光地としてのハルピンを演出する絵葉書を中心に紹介して参ります。 | | | |
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| ハルピン観光を紹介する組絵葉書はいくつもあり、これはそれらの中のひとつです。ロシア美人からお手紙をもらった日本人があじあ号に乗って出かけて、ハルピンでデートといいうストーリー仕立てのものです。 一部は当HPの満州写真館「特急あじあ」にも掲載しております。 『美しい彼女と腕を組んで駅のステップを降りる心の嬉しさ。 初めて見る哈爾濱のさすがに濃やかなる異国情調・・・・・』 ハルピン駅駅舎の正面玄関から出てきたところです。ハルピンは街並みもですが、鉄道で到着したこの駅舎も日本人にとっては異国情緒をかきたてたものと思われます。 ちなみに女性は二人、男性の連れは黒い服の方で、今一人の女性はこの絵葉書を見ている人(撮影者)の連れという演出の様です。 | | | |
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| 『異国情調の強い刺激を第一印象として、これから哈爾濱市内の見物に出かけようと云うところ。 「では、タクシーで・・・・」 「さあどうぞ。」』 満州の駅前はどこもタクシーや馬車などが待機し、客引きがうるさかったそうです。 ハルピンの駅前にも居たと思われますが、こちらの写真には特に写っていません。奥にはバスも見えます。 | | | |
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| 線路をまたぐ陸橋です。別途、線路側から見た写真を掲載しております。 近くで見ると、電灯がいくつもあり、なかなか凝ったつくりです。 『霽虹橋をわたって 自動車に乗るまでもなかったほどに駅の近くの霽虹橋 この橋を渡るとプリスタン区 「キタイスカヤまで歩きましょうよ。」 「そう、見物にはその方が好いでしょうね。」』 | | | |
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| 『遊覧船よりボートの方が、と云うので、 江上に出てオールを握る、水は流れているのかいないのか悠々たる 松花江である。 ボートは川波に揺られて一上一下 彼女のヴェールが微かにゆれる 「アラ、、、」 そぞろ吹く江風の心よさよ!』 松花江はボート遊びが広く行われ、旅行者も大いに楽しんだそうです。 ボートと違い、一般に、河川では平たい底のボートが多い様です。 | | | |
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| キタイスカヤの秋林(チューリン)百貨店前の撮影です。 この百貨店は大いに人気をよび、繁華街の象徴としていくつもの絵葉書に登場します。 この百貨店前は交差点で、車の行きかうにぎやかなところでした。向かいには「アジア」という映画館もありました。 大都市には映画館が普及していました。満州国設立時、映画館は30ほどありましたが、これは数年後には190へ増えたとする資料があります。また映画観覧者は50万人から400万人へ増え、娯楽として確立していることがわかります。この他、移動映画もあり、街から離れた村々の娯楽となっていた点は、日本と同じでした。 さらに、この周辺にはダンスホールがあちこちにあり、冬の長い夜もトランプなどに興じながら、酒を(ロシア人はもっぱらウォッカを)嗜みながら過ごしたそうです。 この写真では季節は冬ではないことから、特に見当たりませんが、冬場には毛皮のファッションも大いに流行ったそうです。 ハルビン交響楽団と音楽学校もあり、周囲は若い学生さん達も大勢おり、音楽も上等のものをあちこちで聞くことができました。 『松花江から自動車を駆って新市街へ・・・・ 此処はチューリン百貨店前。純露西亜式のデパートとして 又、北満各地に支店、工場を持つ百貨店として チューリン百貨店は哈爾濱名物のひとつ、一応は見物してみる。』 さて満州の都市、大連、新京、奉天などの新しく整備がされる都市部では、すべて舗装が行き届いています。 こちらハルピンも舗装は行き届いています。 ただ、過去に見たことがある写真では、ハルピン駅前の広場にわだちと思われるものが写っており、舗装ではなかった可能性があります。 また、ここのチューリン百貨店前で道路の舗装と道路に溝を掘っての整備を行っている写真がありました。これらから想像しますに、満州国成立後、ハルピンでは舗装など道路を一斉にし直したのではないでしょうか。 そして駅など主要地は綺麗に舗装しなおされたものと思われます。 | | | |
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| 『なつかしい彼女の為に、且つはガイドの労をねぎらうために、イヤ彼女の歓びをみるために、・・・ 「どれにしましょう」「このスィートピーが好いわ、」「では、もひとつグラヂオラスも・・・・」 と、チューリン百貨店前で花束を買って彼女に送ったことである。』 花の種類はよくわかりませんが、沢山の種類の花が路上販売されています。後ろの建物は先ほどの秋林(チューリン)百貨店で、先ほどの写真で左端に止まっていたのと同じに見える車が後ろに見えます。 花売りというとハルピン駅の花売りの写真もあり、小学校高学年くらいの少女が籠を持っているものでした。 | | | |
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| 『古代ギリシヤの建設様式、 十字架光る尖塔の玉葱頭、帝政露西亜の名残を留める ニコライエフスキー大寺院(サボール)。 五彩のガラスの窓の奥には燈明が静かにゆらいでいる。 カアン、カアン、淋しく鐘が鳴る。』 ハルピン市街地の象徴となっている教会です。 緑に囲まれた教会です。 右側の地面には、明るいためにうまく写っていませんが、路面電車の軌道があります(馬の体のすぐ右辺り)。 また、明るいために上手く見えませんが、路面は石畳です。 | | | |
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| 『ネオンの灯を慕ってキャバレーへ 酒と女の異国情緒は旅人の佗しい(わびしい)胸を掻きむしる 血潮はたぎる心臓は躍る 昂奮!昂奮! XYZ・・・・・・・・』 ハルピンの旅行記、あるいはハルピンに住んでいた方の思い出に出てくるのが、夜の歓楽です。 ダンスホールにキャバレーに、と大いに楽しんでいます。 夜の長い冬のハルピンではこれら歓楽街が大いに賑わったようで、風物詩ともいえます。 こちら三人も上機嫌です。また男性はこれまでと同じ人の筈ですが、なぜか、この写真だけ眼鏡をしていません。 テーブルにはタバコとマッチ箱があります。そして正面の男性が手にし手にしているグラスとあわせてテーブルにはグラスが4つあります。つまり、手前側は絵葉書を見ている人の席(撮影者)のグラスでしょう。 テーブルにあるのはビールです(ビンの上側ラベルが、かろうじてビールと読めます)。白系ロシア人は、ウォッカなど強い酒と前菜でゆったりと冬の夜長を楽しむのですが、こちら三人はビールです。お皿に乗っているものは、拡大しても残念ながらわかりませんでしたが、豆か干しぶどうに見えます。 こうした軽食とともに、キャバレーで歌や踊りとともに夜更かしというのも、ハルピン旅行の楽しみの一つです。 ハルピンで邦人に広く親しまれたロシアの食文化ですが、その中にはカルパスというものがありました。乾燥ソーセージでサラミに似たものです。今日も、おつまみ用にカルパスという商品がありますが、きっとロシア由来でしょう。 | | | |
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| 『とても親切な、そして美しい二人のロシヤ娘に手を執られて・・・・ ああ、哈爾濱へ来たのだ。ステツプを下りる靴の音にも心が躍る。』 先ほどと同じハルピンの紹介絵葉書シリーズで、構成も同じ女性二人、日本人の男性一人という両手に花です。 先ほどと同じく、キャプションが連番となっており、シリーズ物でしょう。 ちなみにタイトルの欄「ハルピン見物」という書き方は、先の三人組とまったく同じです。ですので、同じ出版元が似たシリーズを複数作っていたのだろうなと想像します。またそれぞれ構成はそっくりなのかもしれません。 | | | |
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| さきほどと松花江のほとり、シリーズは違っても、概ね行くところは同じです。 季節は先の三人組と違い、やや寒そうで、コートに毛皮を着込んでいます。河はまったく凍っておらず、秋といったところでしょうか。 さて、夏場に松花江は水遊びでにぎわいます。湖のように広い川面ではヨット、ボート遊びで賑わい、また花火大会もありました。が、こちらは人影もまばらですので、寒くなれば、皆、河からは離れてしまうのだろうと考えます。 足元は舗装されていますが、川側は草ぼうぼうだったりと、きちんと岸壁を作っているようには見えません。また埠頭に近いのか、右端には線路が写っています。船が一隻見え、また形から人を運ぶ専用に見えますが、この船に乗るには、岸から渡してある板を渡る必要があり、下手をすると船に乗る前に踏み外して河に落ちてしまいそうです。 『「ヒエー、これが河?」 まるで海だ。 涯しなく(はてしなく)水は漫々! 川波もたゆた! 朗かに語る彼女の瞳は明るい。 夢?幻? 東支鉄道の大鉄橋が大河を跨いで、長蛇のごとく天涯に横たわる。』 | | | |
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| 『美しい彼女は頻りに 大河を距てる対岸の楊柳を指しながら とても奇怪な話を聞かす。 ふと彼女はいう。 「ボートに乗りましょうね」』 奇怪な話が何かは、これら絵葉書からはわかりません。 別途掲載しておりますハルピンの松花江埠頭は、特に整備されていないただの土手として写っていますが、 こちらはゆるやかな石垣と階段がおいてあります。 画面中央、霞んでいますがスタンプが押してあります。 名古屋ホテルとあり、ハルピンの数多くある邦人向け、あるいは邦人経営のホテルのひとつであることまでは確認できましたが、詳細は不明です。 日付は恐らく昭和9年8月3日でしょう。 | | | |
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| 『冬は堅氷・・・・・・いかめしい大江も今は水泳に舟遊に哈爾濱人の遊楽場。 否歓楽境。※ 濁流は流れているのかいないのか・・・・・・。』 ※につきましては、”否、歓楽境”と読むべきでしょうか。 いよいよボートに乗り込む展開、先ほどのシリーズと同じです。 波は見えボートは揺れるでしょうが、特に舟遊びの支障となるほどでもなさそうです。またこの松花江、流れはよほどゆっくりなのでしょう。 さてボートにはオールを2組(4本)セットできる様です。空いている席のニ本もその丁度横あたりにオールを取り付けられそうです。ちなみに私が知っているボートはボートにオールを取り付ける金具が固定されておりオールを乗せる形ですが、こちらではオールに金具が固定されておりこれをボートに取り付ける様です。 | | | |
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| 『「一寸、這入りましょう」「いらっしゃーい!」「おつかれになって?」 彼女の一言は運出された卓上のロシヤ料理に一段の甘美感を添える。』 このテーブルも手前に一人分のお皿が見え、この絵葉書を見ている人(撮影者)の席の様です。 二人の女性は上着を脱いでいる一方で、何故か帽子を被りっぱなしです。 テーブルにはお酒もグラスも出ています。メニューは画面を拡大するなどしてみましたが、よくわかりませんでしたが、肉類のシチュー仕立ての様です。 室内撮影の為か、絵葉書に使用される写真にしては極めて珍しく、若干の手ブレが起きています。 ロシア料理はシチューなど煮込みが多くあります。また今日の日本でも親しまれているものです。参考まで、ロシア料理としまして当HP管理人の経験から、新宿駅前スバルビル地下一階の「スンガリー」をお勧め致します。 | | | |
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| 『これがその東支倶楽部かと先ずその設備の宏大に舌を巻く。 庭園へ出ると正面の大音楽堂は夜間の素晴らしい景気を思わせる。 先ず彼女の手をとってきれいな花壇をめぐる。花も美しいが、女も美しい・・・・・・・・・・・・。』 夕方でしょうか、影も伸びています。何故かコートを脱いで軽装になっています。 庭園での撮影で東支倶楽部とあり、詳細は不明ですが、大きな設備を誇る劇場で、交響楽、バレエ、舞踏が楽しめた様です(野外ドームも設けられていたという資料もあります)。 当時のハルピンは、ロシア革命で追われた一流の音楽家が集い、質も高く、評判でした。 ちなみにこの絵葉書は東支倶楽部の写真が続くのではと思われますが、未入手です。 | | | |
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| さて、さきほどまでは絵葉書でしたが、こちらは雑誌の広告から。やはりハルピンへの旅行者向けです。 元の写真が雑誌の頁ですので画像が大変不鮮明ですが、右側、ショーウィンドウがありそこにはぴかぴかの手すりも見えます。丸商とありますのは丸商百貨店のことです。鉄筋地上五階建ての大きなデパートです。 ただ右側(あるいは右奥)の建物がそれかどうかは判りませんでした。 珍しく左から右へ記述されています。もっとも横一列に書く際に右から左へ書くのがほぼなくなったのは戦後ですが、その前はすべて右から左へ書いていたわけではなく、右から左と左から右への記述が混在していました。 主に数字などと併記する場合、数字の流れにそろえて左から右へ記載されます。 ただ、こちらのように左から右のみ、というのはやや珍しく思われます。昭和5年(1930年)のものですので、この頃は左から書くのがかなり一般的になっていたのかもしれません。 | | | |