一時は広州の「魔窟」と恐れられた三元里も、2000年夏には当局の集中的な取り締まりが行われ、治安もだいぶ改善されたようです。三元里の村民委員会(村役場)はもともと韋一族の集会場だった建物にありました。共産党員の活動センターや人民調解委員会(トラブル調停委員会)などの看板も掲げられています。
九龍城砦にはヘロインを売る屋台がロウソクを立てて並んでいたという「伝説」のある光明街がありましたが、三元里にはあちこちに「文明巷」がありました。これは「模範的な路地」とでもいう意味。「文明」とは80年代から中国政府が進めている「社会主義精神文明建設キャンペーン」の略で、当初は西側の腐敗したブルジョア文化の流入を批判することを目的として、「テレサ・テンの歌声はいやらしくて反文明的」などの取り締まりをしていましたが、90年代に入っていつの間にか単なる道徳キャンペーンになってしまいました。模範的な企業には「文明単位」、模範的なドライバーが運転するバスには「文明車」のステッカーが貼られています。
「文明巷」と賞されるだけあって、パトロールがまめに行われています。パトロールは公安(警察)ではなく、主に治安隊(自警団)が担当していました。怪しげな床屋は治安の見回りが来ると慌ててシャッターを降ろしてしまいます。
まぁ、治安が良かろうが悪かろうが、地元の住民は平気で歩いているわけですけどね。内部の構造は九龍城砦とほとんど同じですが、建物の高さがあまり高くないので、路地にも太陽の光が届く場所が多く、だいぶ明るい感じです。路地の清掃なども九龍城砦よりはずっと頻繁に行われていて清潔でした。
村民委員会からのお知らせ。駐車(駐輪)禁止、治安隊の24時間ホットラインに加えて、苦情ホットラインの番号もあります。
一昔前の中国といえば「壁新聞」でしたが、今もキャンペーンの手段として健在のようです。麻薬に手を出したが最後、妻子からは見放され、麻薬の金ほしさに強盗をしでかし、結局逮捕されて一生台無し・・・、劇画タッチでわかりやすいですね。他に売春婦自堕落編などもありました。
「孫の代まで災いをもたらす麻薬を一掃しよう」の横断幕。確かにアヘン戦争から100年間、中国は大変な目に遭いましたからね。
ギィィィィィィーーーーンという轟音に空を見上げれば着陸態勢のジェット機が。三元里は広州の空港のすぐ近くにあります。こんなところも九龍城砦と雰囲気が似ていました。