アヤしいフーゾク床屋が密集する城内の西半分に対して、東側は飲食店や雑貨屋が並ぶ商店街で、生活の臭いが感じられる町です。
広州は広東語の中心地ですが、店先からは台湾語の演歌が流れ、子供がそれを口ずさんでいました。ここ三元里一帯の地元民は福建語を話していて、言語学上で言うところの「言語の島」を形成しているのだそうです。もっとも、広東省一帯では、地方からの出稼ぎ者を中心になぜか台湾演歌が流行っていますね。三元里にも全国各地から出稼ぎに来た人が集まっているので、店などでは主に北京語が飛び交っています。
城内の真中は古い廟がそのまま残っていました。九龍城砦では幼稚園と老人ホームになっていましたが、三元里では夜になるとレストランに変身します。料理は大盛りの一皿が8~15元(100~180円)くらい。
修復された李一族の廟。近くには北帝廟がありますが、ここはアヘン戦争の時に村民が「英国への徹底抗戦」を話し合った場所だそうで、現在では「三元里抗英記念館」になっています。
中国全土から集まった人が住んでいるので、いろんな地域の中華料理が食べられます。左は広東風のラーメンと漢方スープの店、右は東北料理、つまり満州料理の店。他にも四川料理や湖南料理、蘭州ラーメンや雲南料理などがありました。香港でこういうマイナー中華料理を食べさせる店は値段が高いうえ、かなりアレンジが進んでいるのですが、ここの店は出稼ぎ労働者向けなので、味は本場だし値段も激安です。
米屋の店頭には全国各地のブランド米(?)が並んでました。もっとも、広東省で流通している米はタイからの輸入米が多いです。線香や風水グッズを売る店もありました。共産党は「風水は迷信だ!」と取り締まらなくなったんですかね。
城内を突き抜けて反対側に出ました。こちら側も城壁は撤去されてしまい、城門だけが残っています。城門の上には「民国十四年」と国民党政権時代の年号が書かれています。ということは、1925年に建てられた門なのかな。
これは内側から見た城門。正面に「迎龍」と大書されていますが、この城門は風水で言うところの「龍脈」の方角に合わせて建てられたものなのでしょうか。そういえば、九龍城砦の中央を貫く通路も「龍津路」だったし、もともとの城壁村の構造を比べてみたら、九龍城砦と三元里はかなり似通った構造になっていたのかも知れませんね。