ここが三元里の入口。広州の中心街からは中国ではお馴染みのトロリーバスが走っています。屋根に付いたポールがかわいいですね。
いわゆる九龍城も、「魔窟」であったのはその中の一角の九龍城砦だけで、周囲の九龍城地区はフツーの下町繁華街でした。三元里も「魔窟」なのはその中の一角の城内だけで、周囲の城外はフツーの下町繁華街です。衣料品や日用品の安売店が集まっていて、一日中賑わっています。
道端には身長・体重の測定屋さんも店開き。1回0・5元(約6円)でした。身長や体重は「電脳が測定」するのがウリですが、料金は人手で回収しているところが、さすが「人海戦術」の国(?)ですね。
写真が小さくて見にくいですが、北へ行くと「抗英大街」、南へ進めば「群英大街」。抗英の英は「英国」の英で、群英の英は「英雄」の英でしょう、たぶん。
三元里には新疆人(ウイグル人など新疆地方に住むトルコ系少数諸民族)が集まって住んでいる一角があって、シシカバブとか、トマトがいっぱい入った「ウイグルうどん」などを売る食堂がたくさんあります。
実は三元里が「無法地帯」と化した背景には、新疆人の存在が大きく関わっています。新疆地方はチベットと共に独立運動の盛んな地域なため、中国政府は少数民族の不満が増大するのを恐れて、犯罪摘発にかなり「手心」を加えていたのです。私が三元里を訪れた時も、ウイグル人が白昼から「要不要白粉?(ヘロインいらんか?)」と声をかけてきました。何だかかつて上野公園でイラン人が偽造テレカを売ってたみたいに(?)。そういえば、私が初めて中国へ行った20年近く前にも、広州駅前のブラックマネーは新疆人が仕切っていましたね。
さて、いよいよ三元里の「城内」へ入ります。九龍城砦の城壁は戦時中に日本軍が取り壊してしまいました。三元里の城壁も共産党政権が取り壊しましたが、城門の部分だけは残されています。
城内の通路は狭く、建物がひしめき合っているので昼でも薄暗いです。頭上には電線やパイプがあったりして、九龍城砦の内部とほとんど同じ雰囲気・・・。ただし建物は4~5階建て程度なのでところどころ陽が差す場所があるし、清掃作業員がマメに巡回していて通路はゴミだらけではありませんでした。
城内の西半分はフーゾク床屋ばかりです。全部で100軒くらいありそう・・・。ふだんは昼間からピンク色のアヤしい電灯を点して、店先で女の子たちが通りかかる男の袖を引いています。むかし『城寨出来者』という60年代の九龍城砦を舞台にした香港のヤクザ映画を観たことがありますが、そこで再現された「魔窟」時代の九龍城砦とそっくりな光景でした。通路には見張りがいて、「パトロール隊接近!」の声が飛ぶと一斉にすばやくシャッターを降ろします。もっともこの時は「取り締まり強化特別期間実施中」とかで店は全て閉まっていました(だから写真が撮れた)。
九龍城砦の「高層ビル化」が進むのは70年代からで、裏産業が全盛だった頃は建物もあまり高くはありませんでした。ちょうどこんな感じの光景だったのかも知れませんね。
麻薬売買は主に新疆人が仕切っているのに対して、フーゾク床屋はもっぱら地元の住民が経営しています。女の子は大半が16~17歳から20歳過ぎまでで、専門のスケコマシが四川省や湖南省あたりから「広東省でいい工場の仕事を斡旋するよ」と騙して連れて来るのだそうです。
店を開けていたのは、健全な床屋だけでした。もっとも健全な床屋といっても、髪を切る人はあんまりいなくて、客はほとんどが女の子による「健全なマッサージ」目当てです。日本でも最近増えてきた「中国エステ」みたいなもので、料金は1時間30元(約360円)くらい。
これがマッサージ室の内部。屋根裏部屋みたいな中2階にありました。「健全なマッサージ」だからベットがいくつも並んでいて相部屋です。マッサージ嬢は湖南省出身の17歳で、「お金を貯めてコンピュータの専門学校に通いたい」とか言っていました。