キクイモ産地化へ 機能性成分「イヌリン」 血糖値抑制 ダイエット 需要激増 福岡県築上町
2019年03月19日
築上町きくいもクラブが出荷するキクイモ。見た目はショウガに似ている(福岡県築上町で)
過疎化が進む福岡県築上町で、町を挙げたキクイモの特産化が動きだした。芋に含まれる成分にダイエットや血糖値抑制の効果が期待できることに注目。先んじて作っていた農家をリーダーに、昨年は全国でも珍しい生産者組織が発足した。栽培面積は既に西日本最大。町やJAも支援し、地域ぐるみで盛り立てる。目指すは“キクイモ王国”だ。(金子祥也)
キクイモはキク科ヒマワリ属の多年草。菊に似た黄色い花を付け、塊茎が食用になる。町内では4月に種芋を植え、11月上旬から翌年3月いっぱい出荷する。見た目はショウガに似ているが、味はゴボウに近い。種芋さえ植えれば勝手に育つといわれるほど簡単に栽培できる。全国に小さな産地は点在するが、大きな需要がなく、買えるのは直売所ぐらいだった。
このキクイモが昨年からブームを巻き起こしている。芋の機能性成分で水溶性の食物繊維「イヌリン」が豊富に含まれていることが、広く知られるようになったからだ。佐賀大学機能性農産物キクイモ研究所の松本雄一所長によると、血糖値の抑制やダイエット効果が期待できる。ビートたけしさんが司会を務める健康番組などが取り上げ、需要が激増。製薬メーカーや百貨店、カフェやラーメン屋までもがメニューに取り入れ始めた。
こうした中、いち早く産地化に乗り出したのが福岡県築上町だ。過疎化が進む中山間地で、高齢化による耕作放棄地拡大が問題になっていた。育つ場所を選ばず、管理の手間もかからないキクイモは格好の品目だった。昨年定年退職した町内の夫妻は農業の素人だったが、同町で20年近く耕作放棄地だった水田で栽培に成功した。「キクイモは草丈が高く、雑草が生えづらい。放置していたときより、むしろ管理は楽になった」と喜ぶ。
ただ、キクイモは栽培技術が確立されておらず、登録農薬もない。本来なら安定した収量を得るまで時間がかかるが、同町にはブームの前からキクイモを栽培していた農家、中安洋子さん(60)がいた。長年の栽培で得た知見を共有すれば、他の農家も早く習熟ができる。昨年秋には中安さんを会長に生産者組織「築上町きくいもクラブ」を設立。集荷して直売所で売る他、製薬メーカーとの取引も決まっている。現在の栽培面積は4ヘクタールで西日本最大。先駆者がいる利点を生かし、トップ産地の道をひた走る。
町役場や地元のJA福岡京築も、キクイモ特産化の動きを支援する。町役場は「イヌリン」の効果を実証しようと、町民自ら臨床試験に参加。40人が4週間キクイモを食べて、尿検査で数値を調べた。腸内環境が改善するなど、試験結果は200人が参加したシンポジウムで紹介。町は「生産者以外の町民にも興味を持ってもらえた」(産業課)と手応えをつかむ。
JAはガソリンスタンドと購買店舗の跡地を、同クラブが集出荷に使うスペースとして提供。賃料も格安に設定した。相談を受けてJAの本部と交渉した上城井支店の他力勉支店長は「特産化のため、少しでも力になれれば」と話す。
生産者組織発足 効果実証に住民参加
キクイモはキク科ヒマワリ属の多年草。菊に似た黄色い花を付け、塊茎が食用になる。町内では4月に種芋を植え、11月上旬から翌年3月いっぱい出荷する。見た目はショウガに似ているが、味はゴボウに近い。種芋さえ植えれば勝手に育つといわれるほど簡単に栽培できる。全国に小さな産地は点在するが、大きな需要がなく、買えるのは直売所ぐらいだった。
このキクイモが昨年からブームを巻き起こしている。芋の機能性成分で水溶性の食物繊維「イヌリン」が豊富に含まれていることが、広く知られるようになったからだ。佐賀大学機能性農産物キクイモ研究所の松本雄一所長によると、血糖値の抑制やダイエット効果が期待できる。ビートたけしさんが司会を務める健康番組などが取り上げ、需要が激増。製薬メーカーや百貨店、カフェやラーメン屋までもがメニューに取り入れ始めた。
こうした中、いち早く産地化に乗り出したのが福岡県築上町だ。過疎化が進む中山間地で、高齢化による耕作放棄地拡大が問題になっていた。育つ場所を選ばず、管理の手間もかからないキクイモは格好の品目だった。昨年定年退職した町内の夫妻は農業の素人だったが、同町で20年近く耕作放棄地だった水田で栽培に成功した。「キクイモは草丈が高く、雑草が生えづらい。放置していたときより、むしろ管理は楽になった」と喜ぶ。
ただ、キクイモは栽培技術が確立されておらず、登録農薬もない。本来なら安定した収量を得るまで時間がかかるが、同町にはブームの前からキクイモを栽培していた農家、中安洋子さん(60)がいた。長年の栽培で得た知見を共有すれば、他の農家も早く習熟ができる。昨年秋には中安さんを会長に生産者組織「築上町きくいもクラブ」を設立。集荷して直売所で売る他、製薬メーカーとの取引も決まっている。現在の栽培面積は4ヘクタールで西日本最大。先駆者がいる利点を生かし、トップ産地の道をひた走る。
町役場や地元のJA福岡京築も、キクイモ特産化の動きを支援する。町役場は「イヌリン」の効果を実証しようと、町民自ら臨床試験に参加。40人が4週間キクイモを食べて、尿検査で数値を調べた。腸内環境が改善するなど、試験結果は200人が参加したシンポジウムで紹介。町は「生産者以外の町民にも興味を持ってもらえた」(産業課)と手応えをつかむ。
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「震災後」生き抜く糧に―「母の味」出版 記憶次代へ 帰れぬ古里思い 千葉の伊藤政彦さん 千葉県印西市でクッキングスタジオなどを開く伊藤政彦さん(66)は、帰還困難区域に指定されている福島県双葉町で過ごした幼少期の思い出や母の味を一冊の本にまとめ、『伊藤さん家の母の味』として出版した。東京電力福島第1原子力発電所事故のため帰ることができない古里だが、食の記憶を書き記すことによって次世代に残したいと願う。 3~18歳の間、同町で育った伊藤さん。2011年3月の原発事故で、両親は着の身着のまま伊藤さんが暮らす千葉に避難してきた。その後、病気で父が5年前に、母が3年前に亡くなった。 「もう二度と母の料理が食べられない。故郷にも帰れない。自分が育った双葉町は、地図から消えてしまうのではないか」。そんな絶望感が頭を巡った。 懐かしい母の味を再現しながら料理をするうちに、古里で暮らした記憶や郷土料理、町ならではの食材が思い出された。伊藤さんは「原発事故後、避難で各地に散ってしまった双葉町民の皆さんと、自然の恵みにあふれた素晴らしい古里の記憶を共有したい」と、1年半かけて本にまとめた。季節の料理80品の紹介やレシピ、1955~65年(昭和30、40年代)当時の双葉町商店街のにぎわいや昔話、エッセーも盛り込んだ。 伊藤さんは「食は記憶とダイレクトにつながっている。古里を失っても食を通じて、双葉町で暮らした記憶は生き続ける」と思いを話す。 問い合わせは歴史春秋社、(電)0242(26)6567。 2019年03月12日
東日本大震災から8年 笑顔見守る“太陽” 壁画で心の復興を 岩手・釜石市藤井さん 高さ8メートル、幅43メートルの巨大壁画。木や花が多彩な色で描かれ、子どもたちがしっかりと手をつなぐ──。岩手県釜石市の柿農家・藤井サエ子さん(74)が地域住民らと描いた。東日本大震災の津波により遊び場を奪われた子どもたちのために、自分の畑を公園に変え、隣接する工場の壁を彩った。8年前、震災が子どもたちの笑顔を奪った。許せなかった。「子どもの笑い声を聞きたい。ただそれだけだった」とほほ笑む。(高内杏奈) 11日で震災8年。あの日、藤井さんは一命を取り留めた。震災発生からしばらくすると、地域が変わったことに気付いた。子どもの笑い声がなくなっていた。 公園、学校のグラウンドは仮設住宅が建設され、保育施設は声をたてないように注意する。家族を失った子どもも多くいた。「一時でも震災のことを忘れられる遊びの場が必要だ。生かされたこの命は子どもたちのために使う」。藤井さんは決心した。 壁画のきっかけは、ある少女のつぶやきだった。2012年に自前の公園を開放すると、ノートを 抱えて遊ぶ少女がいた。ノートには、津波から逃げる絵が 描かれていた。怖がりながらこうつぶやいた。「公園から見える工場の壁、雨に濡れると津波に見えるの」 13年、「希望の壁画プロジェクト」が始まった。タイに住む画家・阿部恭子さんに助言をもらいながら、下書きをした。口コミで活動は広がった。 親を失った沿岸の子どもや母を亡くしてうつ病になった男性が名乗りを上げてきた。「人のためになると思うと心が救われる」。男性は泣きながら色を塗った。参加した子どもは手をつないで壁に背を付け、等身大の自分を描いた。「ペンキまみれで笑う子どもたちを見て元気が出た。心からうれしかった」と藤井さん。 完成まで1年を要した。ボランティアら参加者は600人超。現在は、年間4万人が公園を訪れる。 「心の復興にはまだまだ時間が掛かる。でも子どもたちの笑顔が地域に元気をくれる」と藤井さん。これからも子どもたちを見守っていく。壁画に描いた大きな太陽とともに。 2019年03月11日
遠く 兄へ届け 相撲甚句で被災体験歌う 岩手県釜石市 藤原マチ子さん 愛する実兄を津波が奪った。その恐ろしさを伝えるのが、残された私の使命──。 岩手県釜石市で、東日本大震災の被災体験を相撲甚句の歌声で伝える女性がいる。野菜農家の藤原マチ子さん(66)だ。毎月、月命日の11日に市内の旅館で歌う他、全国を巡る。歌った数は1000回を超す。 「せめて夢でも会いたいと、今日も写真に祈ります~」 時に声がつまる。感極まり、涙が流れる。歌いながら、兄のことを思い出す。 藤原さんは8人兄弟の末っ子。幼い時、故・新吉さん=享年65=が近所のいじめっこから守ってくれた。相撲甚句を一緒に歌ったり、夜中にこっそり夜釣りに連れて行ってくれたりした。 農家との結婚が決まった時も、一番に応援してくれた。「何かあったら俺を呼べな」。兄が味方だと思えば、何でも乗り越えられた。 8年前の3月11日。釜石市の隣の大槌町にいた藤原さんは車で避難し、助かった。しかし、新吉さんは家族の安否を確認するため家に戻り、帰らぬ人となった。 新吉さんは8日後に見つかった。藤原さんは目の前が真っ暗になり、それ以来、心から笑うことができなくなった。「悔しくて、悔しくて。何をしていても涙が出た」 13年、知り合いの旅館のおかみから「好きな相撲甚句でお兄さんを供養してあげたら」と言われた。悲しみを相撲甚句に込めた。 客から「後世につなぐために歌い続けてほしい」と励まされる。「感動した」と、甚句を毛筆で書いて送ってくれた人もいた。初めは歌うのがつらかった。だが「兄が結んでくれた人の輪を大切にしよう」と前向きに考えるようになった。今では「孫がまねをして学校で歌うようになった」と笑顔を見せる。 これまで手掛けた甚句は「祈り編」「感謝編」など9編。10編目となる「復興編」で終わりにする。「復興編」は市内の仮設住宅に住む約300人が自宅に戻った時に歌う。そう心に決めている。(高内杏奈) 2019年03月10日
[あんぐる] 実れ“希望の種” 震災8年 復興をけん引するJA福島さくら・資材センター(福島県富岡町) 東日本大震災の発生から11日で8年。被災地では地域農業の復興へ地道な努力が続く。東京電力福島第1原子力発電所事故の影響による避難指示が一部解除された福島県富岡町では、JA福島さくらが「富岡農業資材センター」を再開し、職員が復興の最前線で地域農業再生を目指す農家を後押ししている。 「まさに希望の種だよ」。同センターを切り盛りするJAふたば地区本部の森山俊保経済課長は、今月中に農家に届ける倉庫に収まった稲の種もみを眺め、感慨深そうに言った。 今年、同町の6戸が米作りに使うもみで、量は木のパレット1枚分。昨年の2倍近い18ヘクタールに相当し、稲作復活の着実な歩みを物語る。 海岸線を望む高台にある同センターは津波の被害は免れたが、原発事故の影響で閉鎖。資材の在庫も一度全て破棄した。2017年4月に同町の避難指示が一部解除され、JAは営業再開を準備。昨年3月の再開後は職員5人を置き、資材の庭先配送など農家に便利なサービスも拡充した。 17年に営農再開した同町の稲作農家、渡邉伸さん(58)は「このセンターがあるから、資材の調達や相談がすぐにできる」と喜ぶ。 同センターには周辺の農家が集う。避難先の楢葉町で和牛繁殖を営む志賀正典さん(67)は「知った顔に会えるとうれしいね」と、飼料受け取りの休憩がてら、森山さんらと世間話を楽しんでいた。 JA営農経済部によると、原発事故の影響が大きい、同町を含むふたば地区8町村の営農再開の進み具合は、震災前の2割程度。生活再建の道のりも険しく、農家やJA職員の多くが避難先から通ったり単身で住んだりして働いている。 渡邉さんも、避難先のいわき市から片道1時間かけて水田に通う日々だ。「このセンターのように、農家がやる気を出した時こそJAがそばで支えてほしい」と切に望む。(染谷臨太郎) 2019年03月10日
震災8年─風化と闘う 無念、悲しみ 教訓生かして あの日を伝え紡ぐ あの日を忘れない──。東日本大震災から11日で8年。記憶を風化させまいと、被災体験を語り継ぐ女性農業者がいる。心の痛みと闘いながら、防災の意識を高めたいとの思いを込めて、次世代につなぐ。(高内杏奈) 国内外で紙芝居上演―岡さん 当事者だからこそ 福島県浪江町 福島県浪江町から福島市に避難した岡洋子さん(58)は、東京電力福島第1原子力発電所事故での被災体験を紙芝居で語る。口コミで活動は県外に広がり、月の半分は全国を飛び回る。2017年3月にはフランスでの公演も果たした。「地元を追い出された悲しみを伝えるのが私の役目」との使命感を持つ。 原発から10キロ圏内にあり、避難指示が出た浪江町で、岡さんは野菜と水稲を栽培していた。「雪が解け、今年は何の野菜を作ろうかと心を躍らせていた矢先のことだった。帰れないと知った時は、全て奪われた感覚だった」と振り返る。「一時解除で帰宅しても、きれいだった畑は荒れ放題。玄関に足を踏み入れることができなかった」 同市で避難生活を送っていた14年、農業委員から紹介され、仮設住宅で民話の紙芝居をする「浪江まち物語つたえ隊」への参加を決意。消防隊で紙芝居の経験があったことも後押しした。「私にしか作れないもの、演じられないものがある。ここが私の居場所だ」と希望を持った。 紙芝居「無念」は思い入れのある作品だ。避難指示が出たために、がれきの下敷きになった住民の救助活動を断念した同町の消防隊の苦悩を描いた。 17年、岡さんの自宅は居住制限が解除された。再生に向け、荒れ放題の畑を耕す。被災生活を続ける人が帰って来られるようにと、自宅の倉庫を改装してコミュニティーカフェ「OCAFE」も経営。「これからも紙芝居を続け、地元の力になりたい」と笑顔を見せる。 農家レストランで語り部―松野さん 亡き人の思いまで 宮城県南三陸町 宮城県南三陸町で農家レストランを経営する松野三枝子さん(65)。毎月400人の来店者に被災体験を伝える。 大津波が襲って来た時、実父が入院する病院にいた。4階建ての病院が3階まで浸水。看護師の叫び声が響く中、とにかく走って屋上に避難したが、実父を助けられなかった。「私が死ねばいがったのに。神様なんていねえ」。屋上で寒さも忘れ、天に向かって叫んだ。 語り部をしようと思ったのは、11年5月に仙台市で、かつて町内に住んでいた女性に遭遇したことがきっかけだった。「久しぶり、生きてたんだね」。声を掛けた途端、女性は泣き崩れた。 女性は話した。津波から逃げようと祖母の手を取り自宅裏の土手に上がったが、祖母は胸まで泥水に漬かった。水の重さで引き上げられない。限界を感じた祖母は一本ずつ、指を外してきた。「おれの分まで生きてけろ」 抱いていた夢が、松野さんの頭をよぎった。「被災者が戻って来られる農家レストランを開こう。初めて来る客には被災体験を伝えて防災を呼び掛けよう」と決心した。 定食には栽培した野菜をふんだんに入れる。当時は津波にのまれ、栽培できる環境でなかった──そんな言葉を添える。震災の学習ツアーも受け入れ、東京の教育機関などで講演する。「話すのはつらいが、津波への油断を戒めるためにも続けたい」と思いを強くする。 多様な手法で記憶を次代に 震災の記憶継承に詳しい宮城教育大学・山内明美准教授の話 震災被害を風化させないため、語り部の役割は年々大きくなっている。 受けた傷を人に話すことは勇気のいることだ。女性たちの、紙芝居や料理など多様な手法でのアプローチは素晴らしい。さまざまな角度から訴え掛け、次世代につなぐことを期待したい。 2019年03月09日