あらゆる国家権力に干渉されない飛び地は、汚水と臭気の無法地帯
うんこ飛地
いかなる国家の権力も及ばず、法律というものに束縛されない場所があったら、パラダイスじゃなかろうか。だって何をしても自由のはずなんだから・・・。でもそんな場所は一体どこにあるのといえば、南極。確かに南極は南極条約で、どこの国の主権も及ばないことになっているのだが、「何をしても自由」以前に、寒すぎて何もできないですね・・・。そしてもう1ヵ所、日本からそんなに遠くない大都市のど真ん中にもそういう場所があった。香港の九龍城砦がそれ。
1997年までイギリス植民地だった香港の中で、九龍城砦だけは条約によって中国領の飛び地として残されていた。しかし戦後の中国政府は「香港をイギリス領だと認めた覚えはないから、条約は無効だ」と役人を派遣せず、イギリスは「条約は有効だから九龍城砦はイギリス領ではない」と警官を立ち入らせず、結果としてどこの国の統治も及ばない、法の真空地帯になっていたのだ。
これが住んでたアパートの入口・・・
さて、香港に留学していた時のこと。私は九龍城砦にアパートを借りて住んでいた。もちろん「無法地帯」とかいろいろ言われていたので(確かに法律が適用されないから、「無法」は事実)、最初はおっかなびっくり探検してみたのだが、中に入ったらかわいい女子高生が歩いていたので、「ん~、大丈夫かな?」と妙に安心しちゃって住むことに決めた。家賃が他の4分の1程度と安く、そういう意味では貧乏学生にとってのパラダイスだが、「国家権力が及ばないパラダイス」には早々にウンザリしてしまった。
九龍城砦には都市計画法も建築法もないので、幅1メートル足らずの道を挟んで十数階建てのビルがびっしり建て込み、日比谷公園の5分の1ほどの面積に最盛期には5万人が住んでいた。道は昼でも陽が射さず、澱んだ空気が強烈に臭くて窒息しそうなほど。道の両側には工場法を無視した町工場が多く、騒音と廃水は垂れ流し放題で、道はとりあえずコンクリート舗装してあるとはいえ、いつもどろどろグチョグチョだ。
そして現代人の生活に最低限不可欠なライフライン。香港では電気と電話は民間企業が供給しているので、九龍城砦が飛び地かどうかとは関係なく、それらの会社(中華電力と香港テレコム)が供給していたが、政府が供給している水道は、香港(イギリス)の領土じゃないから存在しない。かわって水道屋が地下水を汲み上げて、各家庭へ配水していたが、衛生法などないから砂まじりのしょっぱい水だ。そのうえ水道屋はかなりヤクザで、料金はかなりいいかげんなのに、苦情を言おうにも消費者委員会はないし、香港の警察も「管轄外」だと相手にしてくれないだろう。
そして政府が運営する下水道も存在しない。とりあえず各ビルのトイレは水洗便所で、建物の中だけは下水管が通っているが、そのまま道端の排水溝へ垂れ流しだ。都市計画が存在しない町には電柱を立てるスペースはないし、水道屋は政府のように水道管を埋めたりせず、安易にゴムホースをつないで配水していたから、ただでさえ狭い道の頭上スレスレには、電線と電話線と水道管がわりのゴムホースの束が垂れ下がり、漏水でショートした電線が火花を散らしていて、通り抜けるのもおっかなビックリ。壊れたビルの下水管から汚水がザーザー降り注ぐありさまで、臭気に拍車をかけている。修理を命じる国家権力はないし、だいいち修理しようにも建物同士が密集しすぎているから、まず不可能。
汚水に沈んだ九龍城砦周りのスラム地帯汚水は城砦と下界との間にあるスラム地帯(ここはいちおうイギリス領)の排水路を川のように流れ、香港側でぽっかり口を開けた政府の下水道に吸い込まれる仕組みだった。ところが政府がスラム地帯を再開発するため強制立ち退きを発表。補償をめぐって反対する住民が立ち退かずに残っていたところ、ある日突然排水路が詰まり、数万人の九龍城砦の住民が日夜排泄する汚水で、スラム地帯の家々は水浸しになってしまった。
香港政庁は「城砦は管轄外だから」となかなか排水路を直そうとせず、そうこうしている間に居残っていたスラムの住民たちは逃げ出して、立ち退き完了。九龍城砦と市街地の間にはトイレットペーパーが浮かぶ巨大な糞尿の池が横たわり、まるで権力が介入できない難攻不落の城砦に対する、水攻めならぬウンコ攻め。毎日そこを横切って学校へ通うはめになった私も、ついにネを上げて引っ越した。香港政庁が九龍城砦の取り壊しを発表したのは、その翌年(1987年)のこと。
あらゆる国家の権力が及ばない「自由のパラダイス」というものは、治安がどうこう言う以前に、とても臭くてタマラナイいうのが身に染みてよくわかりました。。。ちなみに治安の方は、その頃すでに香港警察が「違法パトロール」を始めていたのでかなり良かったようです(違法工場は摘発しないが、泥棒や不法入境者は捕まえるという状態)。
やがて留学を終え、日本の大学に復学しサークルにも復部したら、アナキズム(無政府主義)を信奉する後輩がいました。だから彼に言ったんですよ、「アナキズムな社会なんか実現したら、町中臭くて大変だぞ!」って。彼がその意味を理解したかどうかは知りませんが。。。とりあえず、噂によれば現在はまじめなサラリーマンとして働いているようです。
※九龍城砦や「東洋の魔窟」九龍城砦探検記、飛び地の運営実態、九龍城砦★秘宝館も参照してくださいね。
※もし九龍城砦が、国家権力にもうちょっとマトモに管理されていたら、こんな感じの町だったかも知れませんヨ。