見知らぬ女性にいきなりキスしても、「社交的挨拶デスネ」と裁判長

飛地の痴漢

   
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通りかかった見知らぬ女性の肩を掴み、顔にいきなりキスしました。さて、こういう行為を一体何と言うでしょう?

どう考えたって痴漢である。ところが、香港がイギリスの植民地、つまりイギリスの飛び地みたいだった頃は、こういう行為は痴漢に当たらないという判例が定着していた。

――見知らぬ女性にいきなりキスをし、一審では痴漢行為で有罪と認定された男が、上訴して争っていたが、最高法院は11月13日、「キスだけでは痴漢行為に当たらない」としたものの、かわって軽微傷害罪を適用して、有罪判決を言い渡した。

被告人の林志慈(21)は今年2月21日、地下鉄彩虹(チョイホン)駅のホームで、ウォークマンを聞きながら電車を待っていた21歳の女性に、背後からいきなり手を握り、顔にキスしようとしたもの。このため驚いた女性は持っていたバックを押し当てて抵抗、林を引き離そうとしたが果たせず、2人はそのままホームに転がって、もみ合いとなった。林はそれでも執拗に「チュウ」を迫ったという。犯行の動機について、林は「別れた彼女にウリ2つだったので、キスしようと思った」と主張。女性が必死に抵抗しても「冗談だと思って」そのまま続け、倒れ込んでからようやく人違いに気がついた、と説明している。

一審では「キスも痴漢行為」として、被告に痴漢罪で罰金3000香港ドルと被害者への慰謝料1000香港ドルの支払いを命じていた・しかし被告の弁護人は「未成年者にキスした場合は、痴漢と認定した判例があるが、成人にキスして痴漢と認定された例はない」ため、「キスだけでは痴漢に当たらない」と無罪を主張していた。

裁判長もこの主張を認め、「見知らぬ女性にキスするのも、社交的な挨拶の1つであり、痴漢とはいえない」と痴漢罪は「無罪」としたが、かわって軽微傷害罪を適用。結局林に被害者への慰謝料支払いを命じた――

月刊『香港通信』1992年12月号


 ――昨年10月4日の深夜、被告の方志偉(18)は長沙湾(チョンサーワン)の蘇屋団地で帰宅途中の23歳の女性の肩をいきなり押さえ、左頬にキスを始めた。被害者の悲鳴を聞いてパトロール中の警官が駆けつけて方を逮捕。方は「酒に酔っていたし、台風も来ていたし。よく覚えていないが、知らぬ間にキスしてしまった」と痴漢行為を認めて起訴されたが、途中で「キスはしたが痴漢はしていない」と主張。ただし一審では痴漢罪で2500香港ドルの罰金刑を言い渡され、これを不服として上訴していたもの。

3月29日に開かれた上訴審で、裁判長は被告の訴えを認め、「過去の判例からしても、キスは道徳に反する行為とは言えず、痴漢には当たらない」と判定。かわって一般傷害罪に当たるとして、罰金1000香港ドルの支払いを言い渡している――

月刊『香港通信』1996年5月号
女性にいきなりキスしても「挨拶だよ」で済まされるとは驚いたが、こんなことがまかり通るのは、ひとえに裁判長が西洋人だったから。そういや洋画を見ていると、初めて会ったような男女でも「ハ~イ」とか言いながらキスし合っている。それが西洋人の風習なんだろうが、われわれ東洋人はそんなハシタナイことなぞしない。

ちなみに96年の裁判の一審で、方に痴漢罪を言い渡した裁判長は香港人。「見知らぬ女性にいきなりキスするのは、中国人社会の道徳に反し、痴漢行為に当たる」というのがその理由。それが上訴審では西洋人の裁判長が担当になり、西洋人の価値判断によって覆されてしまったというわけだ。もっとも傷害で有罪と言うことにはなりましたが・・・。

香港はイギリス植民地だったので、裁判官の多くはイギリスやオーストラリア、ニュージーランドなどからの「お雇い外人」だった。法律が英米法なのはもちろんだが、いくら「公正な裁判」を行うといっても、「公正」の基準を判断するのは人間だから、そこには裁判官自身の固定概念が入り、裁判長が西洋人なら、西洋人の価値判断で判決が下されることになる。「キスは挨拶」のほかにも、香港の裁判ではしばしば西洋人の典型的な価値判断で判決が下される事件があった。

――香港では教会に通っていると、いざという時にトクをすることがあるらしい。香港の裁判では「被告は敬虔なキリスト教徒であり・・・」というのが、無罪判決の理由になることが、往々にしてあるのだ。

例えば3月18日に「痴漢容疑」が無罪になった魯維康さん(31)の場合。魯さんは警察学校の校医をしていたが、風邪をひいた女生徒6人にブラジャーを外させ、「必要もないのに乳頭を触った」と訴えられていたもの。魯さんは「胸を触るのは診察上必要だから」と反論し、裁判長は被害者たちの証言が曖昧だったことや、「胸を触るのが必要だったかはともかくとして、被告は敬虔なキリスト教徒で犯罪記録もなく、わざと触ったとは思えない」と無罪を言い渡した――

月刊『香港通信』1994年5月号
その一方で「被告は敬虔な仏教徒であり・・・」で無罪判決が言い渡された話はなかった。どだい香港で、西洋人が香港人を裁くのが間違いのもとで、ある民族を他の民族の判断基準で裁いてしまうところが、植民地のイカガワシイさを象徴する矛盾というもの。香港の中国返還の3年前、1994年の時点でも裁判官のうち香港人は2割しかいなかった。もちろん香港人でも法律を勉強して、司法試験に受かれば弁護士や裁判官になれるのだが、法律は英語で書かれていたし、法廷で使う言葉も英語(もちろん被告や証人は中国語で陳述しても良いし、その場で通訳されるが、裁判記録は英語で書かれる)なので、語学上のハンディがある。したがって裁判官の大半は、英語を母語とする「お雇い外人」になっていたのだ。「法の下での平等」とかいうスローガンはあれど、これが飛び地の現実、異民族支配の実情だ(※)。
※それでも香港はまだマシだった。ポルトガル植民地だったお隣りマカオでは、法律はポルトガル語で、弁護士になるにはポルトガルの司法試験に受からなくてはならない。マカオの人口の95%以上は中国人だが、「国際言語」の英語ならともかく、マイナー言語のポルトガル語を勉強しようと言う人はほとんどおらず、そのうえマカオの大学に法学部が設置されたのは1988年になってからで、それまでははるばるポルトガル本国まで留学しなければ法律の勉強はできなかったのだ。したがって、マカオの裁判官はほとんどがポルトガル系。しかも上訴審はマカオになかったから、下された判決に不服ならポルトガルの裁判所へ訴えなくてはならなかった。大多数の住民に圧倒的に不利だったのが実態。
1997年に香港が中国へ返還されてからは、「香港人のジョーシキ」で裁判が行われるようになったかというと、返還後も五十年不変でそのままの制度を続けるというのが、偉大なるトウショウヘイ同志が発明した「1国2制度」の根幹。香港の法律は97年以降も引き続き英米法のままで、返還を迎えても裁判官の半数は「お雇い外人」のままだった。法律は中英2カ国語で制定されるようになり、法廷では中国語を使っても良いということになったものの、弁護士資格は英連邦基準のままだし、まだまだ英語中心の裁判が続いている。イギリス植民地時代の「チュウは痴漢にあらず」の判例も、活用され続けそうですね。

ところで、引用しまくった月刊『香港通信』って一体なにかと言えば、私がむか~し編集長をしていた雑誌です。とっくに廃刊。
 

飛び地の運営実態や、ピトケアン島香港地元紙ナナメ斬り!も参照してくださいね。
 

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