作るのも法律無視なら売るのも法律無視!だから安さで大人気
飛地の団子
外から丸見えの食品加工工場。これはお菓子屋日本では昔から、観光地の名物として「団子」が売られたりしたもの。私の家の近くには氷川神社というのがありますが、やっぱり「名物氷川だんご」を売っています。食べたことないけど。
じゃあ、どこかで飛地名物:飛地だんごがあってもいいじゃないかと思いますが、実際に団子が特産品になっている飛び地が存在していました。イギリス植民地だった香港の中にあった中国領の飛び地・九龍城砦がそれ。
九龍城砦といえば、あらゆる国の法律も適用されず、「あらゆる犯罪の巣窟」「一度入ったら二度と生きて出られない」だの言われていた場所。そんなオソロシイ所で団子を売ってただなんて、ほのぼのしすぎだと思うでしょうが、九龍城砦では団子を売っていたのではなく、団子を作っていたのだ。「城砦名物」の団子は、魚肉を練って丸めた魚蛋(ユィタン)と呼ばれるもので、日本の「つみれ」みたいなもの。九龍城砦の内部には魚肉団子工場があちこちにあって、香港で製造される魚蛋の5割以上がメイド・イン・九龍城砦だった。
一体なぜ九龍城砦で団子を作るのか。あらゆる国の法律が適用されないということは、あらゆる国の工場法や食品衛生法も適用されないわけで、衛生署(日本で言う保健所)の職員も立ち入り検査に来たりしない。だからどんなイイカゲンな設備の工場を作ったって構わないというわけで、コストが格段に安く済むのだ。「そんな団子、食べたら危ないんじゃないの?」と心配する人がいるかも知れないが、まぁ、魚蛋を生で食べる人はいないわけで・・・。もっとも九龍城砦には同様の理由で菓子の製造工場も多かった。
魚蛋を売る屋台。手前のタコの足の方が私は好きです
で、城砦名物の団子は、作るのが法律無視なら売るのももっぱら法律無視だ。魚蛋はレストランで使われたり、スーパーや市場で売って家庭料理にも使われたが、香港の街のそこかしこに魚蛋档(ユィタントン)という屋台があって、主にそこで売られていた。魚蛋を売る屋台は手押し車にガスコンロと鍋を載せ、その鍋は2つに仕切られていて、片方はお湯で魚蛋を茹で、もう片方はカレー汁が入っていて、茹で上がった魚蛋を味付けするという仕組み。客が来たら魚蛋を竹串に刺してカレー汁にさっと漬けて一丁あがり。魚蛋は屋台で一番安い食べ物だったので、気軽に食べられるおやつとして人気があった。
魚蛋売りは何の技術もいらないし、売り上げも確実で、少ない資本で稼げると、香港人の手っ取り早い脱サラ手段の1つだった。手押し車を押しながら、駅前やバス停、市場の前、学校の正門や映画館の入り口と、人の流れに合わせてあちこち移動しながら営業するのだが、香港ではこれら移動式屋台はすべて非合法。捕まれば屋台と商品を没収されたうえ、罰金を支払うことになる。これら屋台の取り締まりは警察官ではなく専門の屋台取り締まり隊員が当たっていて、隊員が遙か彼方に現れると、屋台同士で「逃げろ!」の声がかかり、手押し車の一団が人ごみをかき分けながら爆走して、あっという間に姿を消してしまう光景は、香港の下町の風物詩だ(※)。
※人口600万の香港で、1994年に無許可屋台営業で捕まった人数は、のべ13万4500人。で、屋台はどのくらい儲かるのか?実は私、香港の路上で屋台をやってみたことがあります。商品は靴下で、下町の問屋街で1足3ドル(約45円)で仕入れた物を、九龍の繁華街(ペニンシュラホテルの裏)で5ドル(75円)で販売したところ、まぁ売れること売れること。1時間でコンビニの時給の3倍の利益が出た。売った靴下は安物の中国製だけど、わざとらしく日本語でくつした安売王という紙を出して、「もしかして日本製?」と錯覚させたのが良かったのかも知れません。1時間後にお巡りさんに「不法就労」ということで捕まりそうになったけど・・・(※)。※そもそも私がなぜ屋台をやったのかというと、ここで紹介されていました。。。。この時わかったのは、靴下やTシャツのような雑貨は「波が激しい」ということ。何十分も客が寄り付かない時もあれば、誰かが立ち止まって靴下を選び出すとわらわら人が寄って来て、てんてこまいの忙しさになったりする。屋台で雑貨を売るならサクラを雇うと効果がありそうだ。それに比べて、魚蛋档のような食べ物売りはコンスタントに客が寄っていて、商売が安定しているような感じ。ヤクザからのショバ代取立てについては、他の屋台の人によれば「払いたくなければ、とりあえず『手持ちがないので明日払います』と言って、翌日からは別の場所へ行けばいい」そうな。もっとも香港のヤクザは面倒見が良いのでショバ代を払うメリットはあるようで、詳しくはこちらの1998/3/23付を参照のこと。
さて、九龍城砦が取り壊されたら、「城砦名物」の団子はどうなったのかといえば、もっとコストが安い中国本土からの輸入に切り替わった。そして数年前に新型肺炎(SARS)が流行したのを契機に、香港人の間でも「屋台の食べ物はアブナイ」という考えが広がって、魚蛋档はじめ食べ物屋台はほとんど姿を消してしまった。じゃあ街中で魚蛋は食べられなくなったのかといえば、折りしも香港では不動産バブルの崩壊で家賃相場が下がったので、現在では「屋台の味」を売り物にした店があちこちにできて、魚蛋はそこで売られている。
ちなみに、香港の広東語では魚蛋档というとピンサロの意味もある。なぜ団子屋台がピンサロなのかというと、女性の乳首をいじる手つきが、魚肉団子を捏ねる手つきに似ているからとか・・・。ピンサロ嬢は魚蛋妹(ユィタンムイ)だが、団子娘には女子中学生のアルバイトが多く(※)、非行の温床になっていたそうで、魚蛋档は80年代半ばに集中的な取り締まりを受けてほぼ壊滅したらしい。
※香港は中学校が7年制なので、「女子中学生」は日本の中学1年から大学1年までの女子が該当。あれれ、話が飛びすぎましたね。まぁ、飛び地の話ですんで・・・。
※九龍城砦や「東洋の魔窟」九龍城砦探検記も参照してくださいね。