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【芸能・社会】

内田裕也さん、ロック人生全う 希林さん旅立ちから半年

2019年3月19日 紙面から

17日に肺炎で死去した内田裕也さん=2012年4月

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 歌手で俳優の内田裕也(うちだ・ゆうや=本名内田雄也)さんが17日午前5時33分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。79歳。兵庫県出身。昨年9月に妻で女優の樹木希林さんを亡くしたばかりだった。内田さんは邦楽ロックの礎を築き「シェキナベイベー」「ロックンロール」などの決めぜりふで人気を集めたほか、政治やボランティア活動にも従事。私生活においても破天荒な言動で注目を集める存在だった。18日に仮通夜が行われ、本葬は近日中に近親者で行う。後日お別れの会を開く。

 内田さんは2017年11月には脱水症状で緊急入院するなど、近年は体力の衰えが見られ、車いすでの移動を強いられるようになった。最近も入退院を繰り返していたというが、16日昼には病院でオムライスを食べ元気そうにしていたという。しかし、17日になって容体が急変し、帰らぬ人となった。毎年開催していた年越しライブ「ニューイヤーズ・ワールド・ロックフェスティバル」に、昨年末に出演したのが最後の公の場となった。

 内田さんの所属事務所は18日、「内田裕也、2019年3月17日、5時33分、肺炎のため、永眠しました。この数年、闘病の日々でした。それでもユーモア、ウイットを忘れず、時には世の中を憂い、怒り、常に自分のできることを模索しておりました。多くの友人知人、家族に支えられてRock’n’Roll人生を全うすることができましたことをここに心よりお礼申し上げます」と報告した。

 米国のエルヴィス・プレスリーに憧れ、1957年、18歳でバンドボーイとして音楽活動を開始。自身のバンド「ブルージーン・バップス」を結成後、59年に日劇「ウェスタン・カーニバル」で本格デビューし、62年に「寺内タケシとブルージーンズ」にボーカルとして参加した。

 66年6月のビートルズ来日公演(日本武道館)では尾藤イサオとのツインボーカルで前座も務めた。同年、大阪のジャズ喫茶で沢田研二らを見いだし、後の「ザ・タイガース」結成につなげたほか、自身がプロデュースしたバンド「フラワー・トラベリン・バンド」を海外デビューさせ、カナダでチャートインさせた。

 ジョン・レノンの妻オノ・ヨーコさんに「あなた、『ロックンロール』って言っているわりに、何も作っていないじゃない!」と指摘されて一念発起。70年代から映画俳優としての活動も本格化させ「十階のモスキート」(83年)、脚本も手掛けた「コミック雑誌なんかいらない!」(86年)などの主演で個性的な印象を残した。

 2014年に29年ぶりのシングルとして、HKT48の指原莉乃とのデュエット曲「シェキナベイベー」をリリースした。 「よろしく、ロックンロール!!」。あのシャウトはもう聞けない。

◆自宅で仮通夜営まれ

 東京・渋谷区にある内田さんの自宅マンション前には早朝から報道陣が集まり、午後3時近くに遺体を納めるための棺などが運び込まれた。

 関係者によると、内田さんの娘の也哉子や長男ら家族が参列する中で仮通夜が営まれた。午後6時ごろに一同はマンションを後にした。

 

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