韓国の旅客船「セウォル号」沈没事故では、乗客を残して真っ先に逃げ出した船長の責任が糾弾されている。こうしたなか、朝鮮半島では「責任者の先逃(せんとう=率先して逃げること)」は伝統という指摘もある。ジャーナリストの室谷克実氏が考察した。
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韓国の李承晩(イ・スンマン)初代大統領は1950年6月、北朝鮮軍が朝鮮戦争の口火を切って南進してくるや、「ソウル死守」を宣言したまでは格好良かったが、その足で家族を連れて南に逃げた。ただ逃げただけではない。ソウルを横断する漢江(ハンガン)には当時、橋が1つしかなかったが、北朝鮮軍の進撃を妨げるため、その橋を爆破して逃げた。橋を通行していたソウル市民が、まず犠牲になった。
それだけでも「国賊」なのに、何の責任も取らないまま大統領ポストに居座った。いま李承晩は「反日を貫いた大統領」として尊敬されている。
釜山(プサン)まで逃れた李承晩が震えながら「日本に逃げたい」と言い、米軍人に怒鳴りつけられた事実など、韓国人は誰も知らないのだ。
79年に漢江に架かる聖水(ソンス)大橋が完工したが、地震に見舞われたわけでもないのに、15年後に自然崩落して、通行中だったバスや車は次々に漢江にのみ込まれ32人が死亡した。汚職とセットの手抜き工事が原因だった。
97年に新しい聖水大橋が完成したが、2001年の調査で、また手抜きがあることが判明した。