小浜計画サイト開設8周年&ジャンプスーパースターズ発売7周年&ガンバリオン設立13周年記念企画

嗚呼、我が人生に最大の悔いあり

 

これは今から3年前、自分がまだ以前の職場にお世話になっていた時の話です。休憩時間中にトイレを済ませて外に出た所、突如「ジャンプアルティメットスターズ」(以下JUS)の音楽が流れてきたのでそっちの方へ向かうと、職場の先輩であるTさんとTさんが担当している小学6年生の男の子・K君の姿がありました。Tさんに話を聞くと、「崩れゆく世界」ステージがどうしても手に入らずK君が困っているとの事だったので「D.Gray-man」のリーバーのコマにJパワーを注入すればいい事を教えてあげました。これを機に自分はK君と仲良くなり、2人で「JUS」をやったり続編が出たら買うかどうかの話をしたりしました。

 

そして年が明けた2010年、職場が経営改善のため人員削減をする事になり、正社員ではなくアルバイトである自分はこの年の325日で職場を辞めることになりました。そしてK君も小学校を卒業し4月から中学生になるので、最初で最後のお祝いに何かできないかと思いK君の為に架空のJUS続編「ジャンプスーパーアルティメットスターズ」(以下JSUS)と題した小冊子を作る事にしました。最初は登場作品紹介や「JUS」からの改善点、新要素など普通に書いていましたが、最後には「JUS」と前作である「ジャンプスーパースターズ」の製作を担当されたガンバリオンさんへの架空インタビュー記事まで書いてしまいました(ガンバリオンの皆さん、本当に申し訳ありません)

 

職場を去る1週間前の318日、「JSUS」小冊子の原稿を完成させ、職場の方に頼んで印刷させてもらおうと決意しながら出社してきた自分はそこで信じられない言葉を耳にしました。「K君、福岡の中学校でも上手くやっていけそうってお母さんがいってましたよ」「そう?それはよかった」K君が卒業後福岡の中学校へ転校する事はK君からも担当されているTさんからも職場の方からも知らされていなかったので自分が受けたショックは相当なものでした。

 

結局、自分は何もする事ができないまま325日に職場を去りました。今でも悔いているのは小冊子を印刷して「これをK君の家に送っておいてください」とTさんに頼むか、住所を聞いて自分で送るかすればよかったと後になって思う様になった事です。「JUS」と出会ってから6年経ち、このゲームをきっかけに色々な事がありましたがこの出来事は自分の思い出の中から一生消える事はないでしょう。

 

戻る

1