| 大連や旅順のある遼東半島にある町で、大連の北東にあります。 駅も創られた交通の要所でもあります。 金州は古い城壁のある要塞の都市で、垂直に切り立った大きな城壁の中に町があり、また城周辺に畑がありました。 こちらは金州城壁です。 手前の家の屋根よりも高く、垂直な壁が見えます。また手前には川が見えます。 | | | |
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| 背景に、先ほどの金州城が見えます。 強い日差しのもと、人々が行きかっています。埃っぽく見え、かなり乾燥している印象を得ます。 ちなみに左側の人物は馬糞拾いとのことです。 | | | |
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| 満州地方には、こうした城砦都市はいくつもありました。こちらの写真は金州のもので、垂直に組まれた壁の門から入ってくる牛車です。門の幅は離合も出来ない幅であることがわかります。 これは七百年前の金の時代に造られたものです。 門の両脇には露天商があり、キャプションによれば飲食店とのことです。 | | | |
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| 金州での屋台飲食店を描いた絵です。前の写真の様な城壁の傍での風景と想像します。 帽子も服装も満州風です。 また汁物をすすっているように見えます。 屋台の場合、片方に火鉢が、片方に食材と器が入っていたそうで汁物を出している店が多くありました。 またこうして道端で食べていたとかで、これはあまり日本では縁日以外では馴染まない光景です。が、当時の満州でも現在の中国でもスイカなど道端で買って、その場で食べている風景など、ごく普通に見受けられます。 | | | |
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| 市街地ですが、背景に城壁がなく、丘陵がいろがって居ることから、恐らく先ほどの金州城の外でしょう。 通りの両側に家が並び、通りに面していくつかの店が出ています。 家々は、背の高い壁の内側に建てられているのがわかります。これらは道路に沿って建てられていますが、横への広がりはあまり無いように見えます。道路も綺麗に整備され、両側には溝ももうけてあります。 キャプションには、 『飲食店、理髪露店が見え、陽気と悠長そのもの』 とあります。人々がのんびりと行きかっています。馬車と人の行きかう姿は見えますが、自動車は見えず、人力車も見えません。 電線があり、電化は進んでいますが、街灯などは無い様です。 | | | |
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| 金州は、かつてこの地域の地方行政の中心で、満州の地域がそうであるように道教の信者が多く、写真はその中枢となって末寺を取り締まる寺のひとつの様です。画像は書籍で紹介されていたものから引用したものですが、観光地としても人気があったのかこれを撮った絵葉書もあります。 | | | |
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| なだらかな、しかしかなり標高差のある山が見えます。 手前の平らなところに畑が広がっています。 画面左には、家々が見えます。 塀のある、大きな家で、また煙突がいくつも見えます。 また家々の間に電柱も見えます。 手前には耕したての、黒々とした土の畑が広がっています。 | | | |
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| 先ほどの写真の、さらに右側の風景(同じ場所です)。 遠くの家は広く塀で囲まれ、その中にも何か植えられている様です。 遠く、なだらかな山が見えます。 | | | |
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| 駅の近くにあった、朝倉園という果樹園の、桃の木です。 日本人の手による果樹園の様です。 背景に塔が見えます。駅にある機関車用の給水塔かもしれません。 | | | |
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| 大連と金州を結ぶ道路で、整地された幅の広い道路です。砂利を敷き詰めている様です。 観光バスか、路線バスか、やや古いデザインのバスが見えます。 遠くにも何台か車両らしきものが見えます。 また道路両側には、植えたてでしょうか、まだ小さいものの街路樹が植えられています。 | | | |
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| 山がちな遼東半島に水道を引くため、いくつも水源地が作られました。 大都市大連付近には三大水源地とよばれるものがあり、写真はその内のひとつです。 相当な大きさのあるダムです(これらは今日も現役だとする資料があります。 | | | |
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| 改めて、金州を見渡してみます。 広々とした畑には実りが見られ、そして防風林でしょうか、大きな木々も見えます。なんとも風情のある農村風景です。 遠くに見えますのは、大和尚山と呼ばれるものです。 交通の便も良くなった地域でもあり、大連市から日帰り行楽で賑わったそうです。 | | | |