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KPD創設記(+α)
まだ、前編、中編、後編読んでない人はそちらから先に読んでね!
【後語り】こ↑こ↓では余談でもしてみようと思っています。
今回のKPD創世記をなぜ書こうかと思ったのは、「ウチの大学にもぷよサーあればなあ」というコメントを ネット上でよく見かけるからです。筆者的には「なら、はよ作れよ」と言いたいところですが、確かに調べてもやり方が具体的に乗っているサイトってあまり見かけない気がします。実際に立ち上げた人の生の声ってほしいですよね。ということで今回書いてみた次第であります。
なぜ、今回の記事をサークルブログではなく、個人ブログでやったのかというと、中編のくだりがざっくばらんすぎて、公式ブログには載せられないなと考えたからです。
ここで誤解無きように弁明しておきます。学祭実行委員会の先輩達が悪者みたいになっていますが、普通に話の分かる良い方達です。けっして嫌ってるわけではなく、むしろ尊敬しているところもあります。もしかしたら、人手不足なところもあって、都合が合わなくなった上での苦渋の選択だったかもしれません。いろいろアドバイスなどもらっていたので先輩達には感謝しています。
今回のKPD創世記は多少思い出しながら書いていたり、筆者の都合の良いように書いてるところもあり、完全なノーフィクションといえない部分が多々あります。
例えば、mixiのくだりですね。
実はmixi内のKPDコミュには入ったものの最初の挨拶の書き込みだけして、以降リプライ無しで一度も顔合わせしていないメンバーが別に2人いるんですよね(笑
その内の一人はこしょうより前に申請しています。最初に申請した人がその人でした。
なので、mixiコミュに入っていたのは3人ではなく、実際は5人です。
ややこしいと思ってその事実を無かったことにしてました。
他に隠している点は特に無い(はず?)です。
なので、半フィクション、半ノーフィクション、ほぼノーフィクションどれで捉えても構いません。
ついでにmixiコミュは最初の顔合わせ以降全然機能していません笑
ゲーム大会開いても部員集まってないじゃんと思っている方がいるかもしれませんが、次年度以降、毎年、優勝者のヘッドハンティングに成功しています。なおかつ、ぷよ大会のレベルが年々少しずつ上がってきています。折り返しを普通に組めるレベルの人が多くなってきていますね。
ぷよサーが無い時点でのゲーム大会開くときのアドバイスですが、実行委員会所属せずに友人に協力してもらいながら個人で開いた方が良いです。賞品代は自費になりますが、少し考えてみてください。優勝賞品を新作のゲームソフトにして、3位までその他の賞品つけたとしも一万円超えない程度。つまり、日雇いのバイト一日分あれば十分です。
一方、実行委員の仕事はだいたい1~3ヶ月ですよ?大分期間が違いますよね?しかも実行委員はボランティアでお金が一切もらえない・・・。
もし賞品を豪華にしたいのであれば、バイトをしましょう。
コミュ強の人であれば、外部からスポンサーをつけたり、実行委員会に(所属せずに)直接交渉したりすることもありですかね。
ゲーム大会は1年目がスマブラ、ぷよ、2年目がマリカ、ぷよ、3年目と4年目がぷよという流れになりました。ぷよぷよ大会だけであれば、3、4年目がたくさん来てくれましたね。当初はぷよの前日にメジャータイトルのゲームをすることによって、その流れでぷよの方もたくさん来てくれるのではないかと思っていましたが、結果的にその予想は大きく外れました。しかし、3年目からゲーム大会の場所を変えたのでそこら辺はなんとも言えない気がします。
結局、学祭実行委員会に所属していた意味あまりなかったんじゃないの?賞品豪華に出来たぐらいしか利点無かったよね?と思う方がいると思いますが、確かに遠回りになりましたが自分の中で得たものは大きいです。例えば、企画を運営するときにいろいろな視点で見えるようになったことですね。だからといって、入ることはおすすめしません笑
学祭実行委員は一年次で引退しました。ぷよサーを作るという目的が二年次で叶ったので居続ける必要性が無いと感じたからです。なので一年目は景品豪華に出来ましたが2年目以降は自費となり、前年度より大分お財布に優しいものとなりました。
ぷよサー作る上で必要なものは熱意だと思っています。私はコミュニケーション能力はどちらかというと低い方で、カリスマ性もあるわけでもなく、特別な技術ももっていません。ですが、メンバー集めをクリアし、公認の同好会までに持って行くことが出来ました。運の要素もあったと思いますが、一年間粘ったのが非常に大きいと思っています。もし、途中で諦めて、サイト閉鎖したり、メールを放置していたら、こうして大学対抗戦に出られるような環境を構築出来なかったでしょう。熱意からの粘りはどの分野でも必要だと思います。ウチみたい田舎の地方大学でも立ち上げることができたのです。立ち上げ当初5人でしたが、今では20人弱ぐらいいます笑
ぜひ、頑張ってください。そして新たな伝説を作ってください。
また、知り合いがぷよサー作りたいという人がいれば、このブログに誘導しましょう。KPD創設者のミスリード伯爵のブロマガを読めと言いましょう。「このブロマガがぷよサー作りの攻略サイトだ!!!」とドヤ顔しましょう。「このサイトのおかげで無事ぷよサー立ち上げられました。ありがとう。」と言われるのを願っています。
以上です。
質問があれば気軽にどうぞ!
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KPD創設記(後編)
しばらく立って、10月にもmixiコミュでさらに一人の申請があった。(後のヒーロさん)
そして、この時点でやっと3人(自分含めて)だが、あと二人はほしいと思いつつ、時は大学生二年目の春を迎える。
二年目の4月になり、もうこの時点でぷよサーは自分の中で半分ネタになっていた。そう、ほぼ諦めかけていたのだ。
私は「久しぶりにぷよサーメールでも見てみようかなー。どうせ申請無いだろうけど・・・。」と見てみると、ある一通のメールが届いていた。「迷惑メールか?」と疑心暗鬼で見てみると、なんとこういう内容であった。
『北見工業大学にぷよサークルを作ろう!のホームページを見ました。その話に乗ろうと思い、連絡させて頂きました。
よかったら貴殿がどなたか教えてください』
(原文そのまま)
この一通のメールが後にKPD創設のかなり重要なキーとなる。もし、このメールがなかったら、ぷよサー立ち上げ不可能に等しかったとも言える。筆者至上、伝説と化したメールである。
このメールの主は後の東海第二原発である。
メールを返信して、やり取りして行くうちに近々、学内の図書館横の休憩スペースで顔合わせしようということが決定した。
メール主から当日は自分の他にぷよぷよできる友人(後のdisc)を一人連れて行くということを伝えられ、こちら側はmixiコミュのメンバー全員にも来てもらうということを伝える。
そして、当日、5人集まる。ここでやっと初めて全員と対面した。
私、こしょう、ヒーロさん、東海、disc
この5人がKPD創設至上の初期メンバーである。
その時の活動を知りたい方は過去のサークルブログを見てください。→http://kitamikoupuyo.blog.fc2.com/blog-entry-5.html
以上KPD立ち上げエピソードは終了です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
これからぷよサーを立ち上げようと思っている方はがんばってください。
次、後語りします。
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KPDの創設記(中編)
前回のラブラ・・・ではなく、KPDの創設記前編の簡易的な振りかえです。
ゲーム大会を運営するために筆者は学祭実行委員会に入ることを決意。
関係ない雑務を意欲的にこなしていく筆者。
そして入部一ヶ月後、筆者が学祭実行委員会の先輩から告げられた衝撃の事実とは、一体なんなのか?
始まり始まり~8888
「ゲーム大会やっぱり開催無理だわ。他の企画で忙しくなると思うからそっちを重点的に頑張ってもらうわ。」
ざわ・・ざわ・・・
筆者は衝撃の事実に一瞬頭が真っ白になった。
何を行ってるんだこいつは?というかこれ夢じゃね?と一瞬疑ったぐらいだ。
すぐに冷静になり、反論をした。
だがしかし、先輩陣は全く聞く耳持たない状態であった。
私はガックリした。今までの一ヶ月間、がんばったのは何だったんだろう?
毎日、放課後、友達の遊びを断って、真面目に委員会に通い続けた。時には夕飯を抜いたり、深夜3時まで残って作業することもあった。ゲーム大会の運営一つのためだけに大学生活の貴重な時間を費やしてきたのだ。その一ヶ月間の頑張りが一気に崩れ去ってしまった。
っていうか、ダメならダメで最初から言えや!約束破りやがって・・・・。
すぐさま悲しみから怒りに変わっていった。次の日から三日間、委員会に許可をもらって休養をもらうことにした。
そしてその期間中、私はなんとかゲーム大会を開催させるために作戦を考えた。
企画を文章化することつまり本格的な企画書を作ることである。
こうすることによって、思いつきの企画で無いことの証明、または議論になったときに発言の一貫性を保ちやすいようにするためである。具体的にどのように運営するかということから、ゲーム大会を運営することによってこんな利点があるということなど記載した。また、具体的な要求事項も載せた。
そして出来上がり、(執行部に入ってない)友人S君にも企画書を見てもらい、これならたぶん行けるだろうと言われ、休養期間終了し、いざ戦場へ!
委員会室に入り、挨拶して即座に作成した企画書を先輩達に見せる。ここで先輩陣やっと聞く耳を持つようになり、議論になり、大荒れした。
議論内容は割愛するが結果としてこうなった。
・ゲーム大会とは別に本来の仕事もきっちりやること。
・実行委員からはゲーム大会に人(私以外)を割けない。手伝いがほしいなら、実行委員以外の人に手伝ってもらうこと。
・企画に実行委員会名義を使わないこと。(←何かあって委員会の責任になったら困るらしい。)
・優勝賞品にかかるお金は委員会から負担する。
そう、完全ではないものの先輩陣に勝利したのだ。
嬉しさと同時に熱意を伝えきれて、やりきった満足感でいっぱいであった。
それから学祭への期間はあっという間であった。
当日はゲーム大会の運営に加え、本来の仕事との両立。
もちろん楽なわけがない。人の誘導や重量感のある機材運び、ステージ企画の運営は忙しかった。私の中では、日差しが強い中での駐車場整備が特につらかった^^;
実行委員の仕事の内容は他にもいろいろあったが、割愛させていただく。
当日のゲーム大会はS君や他の友人に機材運びなどを手伝ってもらった。
ゲーム大会はぷよぷよの他にスマブラも行う。
司会や実況は私が行った。人前で普段しゃべり慣れてないせいか、拙い部分もあったが、人数はそこそこ来て、盛り上げることが出来た。ゲーム大会も学祭運営も両立しながらなんとか無事に終える。
友達との友情もより一層芽生えて、めでたしめでたしと行きたいところだが、読者の皆様、本来の目的のぷよ大会でのトップハンティングのことをお忘れになられておられないだろうか?
結果的に大会には参加者が集まったものの、その年はぷよらーとは無縁の人しか来ず。(優勝者が折り返し組めないレベル)
大会当日ぷよサーの宣伝したものの虚しく、コンタクトが全く無しであった。
バッドEND・・・・?
いやいや、まだまだ続くんじゃ!
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