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2019-03-17

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・じぶんのこころのなかにも、
 そう思いやすいところがあるのだけれど、
 「良薬は口に苦し」はちがうと思うんですよ。
 どうやら、このことば、孔子さんが、
 「じぶんのためになる忠告は聞き入れにくい」
 ということを「よく効く薬は口に苦いものだ」と
 喩えたものらしいのですが、そうかなぁと思うのです。

 まず、良薬でも、口に苦くないものはあるでしょう。
 良薬だからといって苦いとはかぎらない。
 聞き入れやすい忠告があって、それが納得できれば、
 人はちゃんと聞き入れるでしょうよ。
 また、良くない薬だって苦いものはありますよね。
 苦くて毒なもののほうが多いくらいです。
 これは、ぼくの考えというより、ただの事実でしょう。

 それでも、「良薬は口に苦し」ということばを、
 覚えこんでしまうと、どうしても、
 「苦い=良薬、そして、苦くない=良くない薬」と
 思い込んでしまいやすいです。
 「苦い」ということから思い起こせる
 「苦しい」はもちろん、「痛い」「辛い」などの感覚が、
 「だから、良薬」なのだと考えてしまうことになります。
 そんなことはないだろうよ、と。
 苦くても効きもしない薬はいくらでもあるし、
 かえって毒になることだってあるんだよ、と。
 ごく当たり前のことを思い出してほしいんですよね。

 これ、けっこう根が深い問題でもありまして、
 「口の悪い人に悪人はいない」とかも同じでしょう。
 「苦労をすれば、きっとその経験が身になる」
 というのも「良薬は口に苦し」と同じですよね。
 苦労がよく出ることもあるし、悪く出ることもある。
 でも、苦いほう苦しいほう痛いほうの先に、
 ついつい夢の国があるかのように思わせられちゃう。
 「そうでも考えなきゃ、やってられない」と言うけど、
 苦いを耐え続けるよりも、苦くない良薬を探すほうが、
 よっぽどやり甲斐があると思うんだけどねー。
 辛い目にあっているこどもに言うように、
 「逃げろ」とじぶんに言うこともアリだと思うしね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
とうとう「新明解故事ことわざ辞典」を買ってしまったぞ。


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