昭和23年(1948)3月30日 米軍による空中撮影写真から「保木から袋野堰まで」 写真の上側から
国道386号線・筑後川・筑後軌道跡・国道210号線・旧虹峠 軌道の 保木-川下間は専用軌道と思われる
2017年夏の豪雨災害復旧工事のため夜明ダムの貯水を全て放流したので 63年ぶりに嘗ての川底が露出した
ダム竣工後初めてのことで 筑後軌道跡の道床石垣も全容が解る 手前は旧袋野堰の「舟通し」と思われる
新旧写真で辿る廃線跡 筑後吉井から日田豆田
巨瀬川を渡る筑後軌道蒸気機関車
筑後吉井 札の辻
筑後吉井 上町
筑後吉井 上町を走る蒸気
筑後吉井 上町を走る蒸気
下吉井の転車台
金物屋の宣伝ポスター
浮羽上千足 左へ軌道 右へ筑後街道
浮羽東隈ノ上 軌道は左へカーブ
松本停車場の辺り
高見交差点 軌道は右へカーブ
筑後大石
保木停留所
現在の保木公園と久大線
国道210号線下の旧国道 軌道は現国道南側
岸山隧道
関大橋下を袋野へ 右の畑が軌道跡(?)
袋野停留所跡
袋野集落 右へカーブして集落内を抜ける
この先は昭和29年竣工の夜明ダムで水没
水位が下がり姿を見せた軌道跡の護岸壁
虹峠洞門と虹峠停留所跡・袋野隧道跡
橋台跡
袋野隧道跡と袋野堰跡
袋野隧道
袋野隧道・現状
虹峠駅付近 洞門下の旧国道と停留所への道跡
長谷停留所跡 橋はS46年竣工夜明大橋
大正大水害で被害を受けた長谷停留所
水害で立ち往生した蒸気機関車
長谷を過ぎて少し行くと山手にある軌道跡
竹藪~民家の屋根横を過ぎ 逆谷橋停留所跡
逆谷橋
鬱蒼とした林の中 堂々とした佇まいの石橋
左岸から上部に出ることが可能
<左>工事中の逆谷橋
鬱蒼とした林の中 堂々とした佇まいの石橋
左岸から上部に出ることが可能
<左>工事中の逆谷橋
逆谷橋西側橋台 川の左岸道の橋
逆谷橋東側橋台 川の右岸道の橋
加々鶴隧道手前の軌道
加々鶴隧道 久留米側 歩道は旧街道
工事中の加々鶴隧道 久留米側
工事中の加々鶴隧道 日田側
加々鶴隧道・久留米側
加々鶴隧道・日田側
歩道トンネルの外に古いガードレール
それより古いガードロープ用石柱
換気用トンネル(東)煉瓦アーチ
換気用トンネル(西)素掘り
加々鶴隧道久留米側出口の宗像神社
記念石の由来記:本神社改築記念碑の石は明治大正年代の県道(現在の210号線)に
活躍したローラーで記念保存の目的を以って永久に茲に安置するものです
記念石の由来記:本神社改築記念碑の石は明治大正年代の県道(現在の210号線)に
活躍したローラーで記念保存の目的を以って永久に茲に安置するものです
白手橋 下流側から
下流側間近に白手橋
白手橋の蒸気 橋にフェンスがあり道路兼用橋
石井 国道は右へ軌道は真っ直ぐ
現在の三隈橋(撤去) 西側に新しい橋が工事中
三隈川鉄橋 道路転用後S28大水害で橋脚ごと流失
大正大水害の鉄橋 この時 橋脚は無事
橋を渡り軌道跡は右へカーブ
国道下の軌道道
亀山公園近く 軌道は真っ直ぐ住宅内へ
真っ直ぐ民家の裏を行く軌道跡(黄線)
ブロック塀の横 石が並ぶ軌道跡
発掘調査記録
庄手川木橋の跡
庄手川木橋と丸太の筏<大正時代地図:編集>
日田隈駅 鶏がいて牧歌的風景
日田隈駅跡 道路工事で様変わり<概ね確定地図>
軌道は豆田駅まで一直線で伸びる
国道386号線交差点 嘗ては福岡岩田屋の支店が最初にでき 日田で一番の賑わいを見せていた隈町
日田豆田駅入り口あたり 正面草野本家
日田豆田駅<概ね確定地図>
豆田駅と蒸気機関車
豆田駅跡北東角 豆田駅跡南東角(概ね確定)
ナガタ電気工事店(赤矢印)で 2011年7月12日転車台の遺構が見つかった
写真は広報「ひた」より転載させていただいた 遺構は転車台の軸の部分で直径約2.4m この上に鉄製の円盤、木の桁、線路などがあり 人力で回して 機関車を方向転換させた 周囲の土の色の違いなどから転車台全体は直径3.6m程度だったとみられる 1989年に発見された後埋戻し保存していた 転車台の発見は私鉄では全国初と思われる
ナガタ電気工事店(赤矢印)で 2011年7月12日転車台の遺構が見つかった
写真は広報「ひた」より転載させていただいた 遺構は転車台の軸の部分で直径約2.4m この上に鉄製の円盤、木の桁、線路などがあり 人力で回して 機関車を方向転換させた 周囲の土の色の違いなどから転車台全体は直径3.6m程度だったとみられる 1989年に発見された後埋戻し保存していた 転車台の発見は私鉄では全国初と思われる