(旧)福岡県浮羽郡吉井町
平成17年(2005)3月20日に同郡浮羽町と合併し うきは市となり旧庁舎はうきは市役所となった
日田市からは約20km西にあり 江戸時代に久留米城の城下町となって後 久留米と天領日田を結ぶ
豊後街道の宿場町として発展した 江戸時代中期の寛文4年(1664)3月の大石長野水道の開通によって
筑後川への水運を得たことで商品作物の集散地となってより発展した
江戸時代後期から酒・醤油などの醸造業や菜種油の製油業 そしてハゼの実から生成される櫨蝋造りが盛んとなり
それらの産業が集積され在郷町として繁栄した 幕末の開国による通称貿易開始により
ハゼ蝋は化粧品等の原料として諸外国に多く輸出され 吉井の商人たちは莫大な富を得た
明治2年(1869)の大火を契機に茅葺きの町屋にかわり その財力を誇示するがごとく贅をつくした瓦葺塗屋造の
蔵造りの商家を建て 最盛期の大正時代には新町や蛭子町にこの「居蔵屋」が立ち並ぶようになった
昭和初頭から続く戦時体制と終戦後の農地改革等によって 江戸期から続いた富の蓄積は終焉を迎え
地域の 経済活動は減衰し拠点性は低下した これによって居蔵屋造りの町屋は減少の一途を歩む
昭和59年(1984)頃より 官民一体となって在郷町に現存する町屋の保存と修景が開始され
平成8年(1996)に重要伝統的建造物群保存地区として選定され現在に至っている
多くの町屋が無料で開放され 特に「吉井ひな祭り」の期間は散策する観光客が多い
今回は国道筋の表通りを避け 吉井の裏通りを散歩してみる
日田の散歩道 2015.11.12 隣町吉井の散歩
長尾製麺裏の水路
天満宮
天満宮に隣接する墓地にある「河童」の手水鉢
リアリティー溢れる不気味さ
茅葺き住宅
国道から見える大邸宅の門構え
塀で囲まれた大きな敷地にソーラーパネルが
巨勢川のススキ
羽根を休めるカルガモ
白壁の土蔵と銀杏の樹
広大な空き地に石畳のアプローチ
白壁土蔵の大きな蔵
水路と白壁
懐かしい風景
生葉郡は明治期の地名
吉井祇園祭り山車の車輪
観光案内所「土蔵」
2015.03.05 吉井ひな祭り散歩
平成5年(1993)から始められた「筑後吉井おひなさまめぐり」の大きな特徴は
宿場町々人の素朴な「おきあげ雛」と「箱雛」である 「おきあげ」は雛人形や歌舞伎・浮世絵を写し
各家庭の女性が手作りしたものである 羽子板の押し絵と同じように下絵を描き厚紙に写して綿をはさんで
着物の端切れで貼り合わせてくるみ作られた 細く削った竹を取り付けてワラや畳のへりに挿して
素朴な「箱びな」の周りを彩るように飾りつけた 旧家や商店・公共施設に飾られ無料で見ることができる
2015.03.05 吉井ひな祭り散歩
平成5年(1993)から始められた「筑後吉井おひなさまめぐり」の大きな特徴は
宿場町々人の素朴な「おきあげ雛」と「箱雛」である 「おきあげ」は雛人形や歌舞伎・浮世絵を写し
各家庭の女性が手作りしたものである 羽子板の押し絵と同じように下絵を描き厚紙に写して綿をはさんで
着物の端切れで貼り合わせてくるみ作られた 細く削った竹を取り付けてワラや畳のへりに挿して
素朴な「箱びな」の周りを彩るように飾りつけた 旧家や商店・公共施設に飾られ無料で見ることができる