判決報道のみから判決批評することの危険 | 空気を読まずに生きる

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弁護士 趙 誠峰(第二東京弁護士会・早稲田リーガルコモンズ法律事務所)の情報発信。

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準強姦の罪で起訴された男性に対する福岡地裁久留米支部(西崎健児裁判長)の判決について、3月12日毎日新聞が報じたのが以下の記事。

 

https://mainichi.jp/articles/20190312/k00/00m/040/099000c

飲酒によって意識がもうろうとなっていた女性に性的暴行をしたとして、準強姦(ごうかん)罪に問われた福岡市博多区の会社役員の男性(44)に対し、福岡地裁久留米支部は12日、無罪(求刑・懲役4年)を言い渡した。西崎健児裁判長は「女性が拒否できない状態にあったことは認められるが、被告がそのことを認識していたと認められない」と述べた。

 男性は2017年2月5日、福岡市の飲食店で当時22歳の女性が飲酒で深酔いして抵抗できない状況にある中、性的暴行をした、として起訴された。

 判決で西崎裁判長は、「女性はテキーラなどを数回一気飲みさせられ、嘔吐(おうと)しても眠り込んでおり、抵抗できない状態だった」と認定。そのうえで、女性が目を開けたり、何度か声を出したりしたことなどから、「女性が許容している、と被告が誤信してしまうような状況にあった」と判断した。【安部志帆子】

毎日新聞

 

私が確認できた限り、この事件の判決についての報道はこの毎日新聞の記事のみ。

毎日新聞の安部志帆子記者(だけ?)が傍聴席で傍聴して記事にしたのだろうと思われる。

そして、毎日新聞がネットニュースで報じた直後から、Twitterなどではこの判決や西崎裁判長に対する猛烈な批判が巻き起こっていた。

個人名までは出さないが、多数の弁護士や知識人もこぞってこの判決を批判した。

さらには「chang.org」サイトで「裁判官のジェンダー教育及び性犯罪の厳罰化を!」というキャンペーンまで行われ、すでに31714人(この記事を書いている時点)もの人が賛同するに至っている。

 

私が指摘したいのは、これらの批判的言動を述べている人たちの(ほぼ)すべては、この毎日新聞の記事だけをもとに、判決への批判をしたと思われること。

 

ところで、この毎日新聞の記事を読んで、この事件の事実関係についてどう捉えるだろうか。

私自身もこの事件については、この判決報道を見て初めて知った。この毎日の記事だけを見て事実関係を想像した。

私が想像したのは…

被告人の男性と相手の女性が飲みに行き、そこで男性がテキーラを一気飲みさせるなどして女性が泥酔し、女性は嘔吐するなどしたがそれでも眠り込み、男性は女性を自宅かホテルに連れ込んだ。そこで男性は性行為に及び、女性は目を開けたり、何度か声を出したりした…

というものを想像した。

 

私の想像力が乏しいだけかもしれないが、このような事実関係を想像した人は決して少なくないだろう。少なくともこの毎日新聞の記事からはこれくらいしか想像できないのではないか。

この判決や、西崎裁判長に対して、苛烈な批判をした人たちの中にも同じような想像だった人は少なくないだろう。

 

ところが、この事件について過去の報道などを遡ると、毎日新聞の記事だけを読んだ私の想像力はいかに貧弱なもので、誤った事実を想像していたかを知ることとなった。

例えば、

当日、被害女性と容疑者らは同じスノーボードサークル10数名で飲食していた。店内で泥酔した20代女性に対し、集団で暴行した疑いが持たれている。被害を訴えた女性は泥酔しており、個室で寝かされていたという。

という記事があった。

私はこの記事を目にしてハッとした。これは集団での出来事であったのかと。

この事件、1対1の出来事なのか、10数名で飲食していたさなかでの出来事であったのかは極めて大きな違いである。1対1であれば、女性の飲酒状況についてその全てを男性も認識していただろうとの想像に結びつきやすいのに対し、10数名での飲食となると、女性の飲酒状況について被告人の男性がどの程度把握していたのか、様々ありえそうだなという想像が働く。

この違いは、毎日新聞の判決記事の中にある「女性が拒否できない状態にあったことは認められるが、被告がそのことを認識していたと認められない」という部分の評価にも影響を及ぼすであろう。

(なお、私はこの部分が判決の表現そのものかどうかについて、結構疑問を持っている。別々の箇所で言われていたものを記者が合体させて表現した可能性もあるのではないかという気がしている)

 

私は何が言いたいかと言うと、毎日新聞の記事だけでこの判決を論評することなどおよそできないということである。

現に私は毎日新聞の記事を見て、この事件は1対1の出来事だと思いこんでいた。

これ以外にも、おそらく私の想像を超えるような、あるいは私が思い込んでいる事実とは矛盾するような事実関係がこの事件には無数に存在するのであろう。

そして、誤った事実関係を前提に判決を論評することは無意味である。とりわけ事実認定の適否について論評するならばなおさらである。

 

この事件の判決はおそらくかなり長いものではないかと想像する。そこには前提となる事実認定が記載された上で、準強姦罪の成否について論じられているのだろう。

せめてその前提となる事実認定を把握した上でないと、判決批評は無益であるし、ときに有害にすらなる。西崎裁判長についてはこのようなサイトまで登場している。

 

市民が正しく判決批評をするためにどうすべきか。まずは、判決文はすみやかに全件で公開すべきである。

日本国憲法に定められている裁判公開原則というのは、まさに裁判官を国民の批判にさらすことである。そのために裁判は公開されるし、判決文も本来は全件公開されなければならない。

アメリカや韓国など、諸外国では(ほぼ)すべての判決文が国民に公開されている。誰もが判決文にアクセスできる。それではじめて、裁判を国民の批判にさらすという、裁判公開原則の機能が正しく機能する。

ところが日本では、判決文はごく一部しか公開されず、しかもその判決文にアクセスするためには「有料」となる(弁護士事務所が契約する判例データベースであったり、販売されている判例集であったり)。

最高裁判所のホームページにも裁判例のデータベースがあるが、これは公刊物や有料の判例データベースに比べればその掲載数は極めて少なく、裁判所がごく一部の事例のみを選択してデータベースに搭載している。

このような現状では、国民、市民は判決文にアクセスすることすらできない。

それでは公開裁判原則など絵に描いた餅であるし、だからこそ今回のような新聞社の一記者が傍聴席で聞いて書き取った不十分な「判決記事」を元に、誤った(不十分な)事実認識をもとにした批評という、裁判公開原則における国民に求められている役割からしたら、無意味な状況を生み出す結果になってしまっている。

これは、今回の毎日新聞の記者の判決記事が不十分だったという点への批判ではなく、そのような形でしか判決内容を知ることができない現状への批判である。

 

(ここでは判決文の公開のことだけを書いたが、実は判決文の全件公開だけでも不十分である。判決での事実認定を正しく批判に晒すには、証拠にアクセスできなければならないことは当然である。証拠を見ずして、判決の事実認定を国民、市民が批判することもまた、不可能である。韓国では、インターネットでで誰もが裁判の証拠にアクセスできるようになっていると聞く。)

 

今回の判決に対する評価は、私には全くわからない。なぜならば、一つの新聞記事以外に何も情報がないからである。

私たち弁護士は、日々さまざまな裁判を行う中で、われわれの想像を超える「事実」に日々遭遇している。どのような事実が潜んでいた事件なのか、そのことを見ずして判決批評をすることは、少なくとも私にはできないし、するべきではない。

なぜならばそのような判決批判は、公開裁判原則という憲法上の権利の中で、われわれ国民、市民に求められている役割を果たすものではなく、無益だからである。むしろ有害ですらあるからである。

 

そのためにも、まずはすべての事件の判決文を、誰もが自由にアクセスできる態勢をいち早く整備することが必要である。

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