年月が経つと観客動員数が増えていく
牧村:今日は『第3回全日本フォークジャンボリーの真実 ~現場からの報告~』ということで、メインステージの進行補佐をされていた上條俊一郎さんにお越しいただきました。僕らの間では“G.G”(ジジ)と呼ばれています。
上條:よろしくお願いします。
牧村:今日は、『第3回フォークジャンボリー』の本当の話をします。本や雑誌などを見ると30000人が集まったイベントなんて書かれていますが、当時、僕が聞いたのは18000人、ピーク時で20000人を超えたかなというくらいだったと思います。年月が経つと、人数がだんだん増えていくんですよね。この時、メインステージは10000人くらいが何とか見られる感じで、PAだって極めて出力の低いものだったんです。他に、第1サブステージ、第2サブステージというものがありました。だいたい、100人くらいずつお客さんが入る小規模なものでした。けれど、第1サブステージで吉田拓郎が唄った時に、観客が1000人以上に膨れ上がった。これが伝説のようになっていて、「ここにいた人たちはその夜、メインステージをのっとった」と、まるで見てきたかのように言われ、書かれていますが…今日はメインステージで進行をやっていたG.Gがいて、サブステージの拓郎のバックで「人間なんて、ラララ~」と1時間以上、追っかけコーラスを唄っていた僕がここにいるわけですから、事実はどうだったのかをお話しします。3つのステージ、まずは椛の湖前のメインステージ。そのメインへの道筋にフォークを中心としたサブステージと、演劇をやっていた黒テントがあります。黒テントのことは、ほとんど書かれていないです。そしてもうひとつ、ロックのサブステージがありました。そのサブステージを運営していたのは、はっぴいえんど、はちみつぱいを擁した「風都市」というグループで、リーダーが石浦信三さんです。フォークのサブステージは「音楽舎」がコントロールをしていたのですが、運営は後藤由多加さんです。後藤さんはこの年の11月、僕も参加した「ユイ音楽工房」を立ち上げることになるので、「風都市」「ユイ音楽工房」「音楽舎」と日本のフォーク・ロック界の主たる陣容が揃ったんです。G.Gはメインステージにいつから入っていたんですか?
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