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『けものフレンズ』の好きなところをまとめた記事(ファンにありがちな過剰な妄想)を、少しずつ書いてます。
新作映像というのもまだまだ先っぽいので、まったりと書いてます。
だいたい日曜日に更新しようと思ってますが、この記事みたいによく遅れます。
第一話その1・その2・その3
第二話その1・その2
第三話その1
第四話その1・その2
第五話その1・その2
第六話その1・その2・その3・その4
第七話その1・その2
第八話その1・その2・その3
第九話その1・その2
第十話その1・その2・その3
第十一話その1
3Dフィギュア
キョウシュウエリア・マイルカ
ジャイアントペンギン
メキシコサラマンダー
11話はかばんちゃん回なので、かばんちゃんの話をします。
ですが、その前に今まで書いてなかった分、これまでのかばんちゃんの話をしようかなと。(長くなりそう…)
かばんちゃんの特徴は地味ってことなんですが、何で地味にしたかと言えば、周りのフレンズさん達が派手すぎるので、主人公として目立たせるためには、逆に地味にする必要があったということでしょう。
色もフレンズさんに使われるような彩度の高い色を使わず、白や黒を多めに使ってます。これはカラフルなフレンズさんたちと並ばせると結構目立ちます。
また、かばんちゃん正体は何であるかというのが、物語の推進力になっているので、出自がわからないように地味にしているというのもあるかと思います。下の絵も左胸に何かマークが付いてますが、これも本編では消えてます。それくらい痕跡を消してます。
最近は主人公をかっこよくしたり、可愛くしたりするのが主流ですが、昔からそうだったわけではなくて、二枚目などと言われるように、かっこいいキャラやかわいいキャラは主人公とは別に存在してました。主人公はかっこよく、もしくは可愛く成るものでした。それに主人公が最初からかっこ良いと、応援する気にならないですしね。
僕なんかはそういうの裏読みしちゃうんでw
「主人公がカッコよくない!(可愛くない!)よし見よう!」と思ってアニメや映画を見る決断をしたりします。主人公がカッコよくない(可愛くない)モノは面白いことが多いと個人的には思ってます。
なんか、かばんちゃん可愛くないみたいな、流れになっちゃいましたが、けっしてそんなわけでなく表情を付けると、結構かばんちゃんは可愛くなります。
これは僕が作ったかばんちゃんなんですが、表情を変えるとこんな感じで可愛くなります。
何であまり表情を変化させないかというと、サーバルちゃんが感情出しすぎというのもありますが、まぁ人見知りだからでしょう。
僕自信も人見知りなんでものすごく気持ちがわかったりします。
例えば、1話にカバさんとサーバルちゃんの会話シーンがあるのですが、かばんちゃんが二人の会話に上手く入れず挙動不審になってます。こういうのを見ると自分のことのようで「あー!」ってなりますw。カメラさんも意地悪にかばんちゃんを追いかけていますw
かばんちゃんはいつも敬語を使ってるんですが、サーバルちゃんに対してだけは、1話の途中から敬語と使ってないんですよね。サーバルちゃんと二人っきりの時は冗談を言ってたりして。
ここ7話の冒頭ですが、ここ冗談言い合ってる時に表情を映さないのがいい感じです。空の抜けがすごくいい。
かばんちゃんが敬語を使っていない場面は、サーバルちゃんに対して以外にも少しあるのですが、それはまぁ本心を語っているってことなんでしょうね。
かばんちゃんは性別不明ですが、仕草はどう見ても女の子で、おそらく演技を付けている人も女の子として付けています。ですが、ちょっと演技が過剰に女の子すぎるので、男の娘っぽく見えなくもない。(どっちだよ)
僕が好きな仕草は第五話のラストですね。ここってそのまま座ってもいいんですが、一瞬座る場所を見るという仕草が入っていて、ちょっと色っぽくなってます。
上のカットでも分かるんですが、かばんちゃんはしゃべっている人が居る場合、目をそらさずそっちの方を見てくれるいい子です。全話でこの仕草が統一されています。(ただし11話でわざとそらす場面があります)
かばんちゃんはズボンが股擦れをおこさないように、ズボンの裾がだいぶ外側によってます。
それによってお尻の大きさが強調されています。
あと、かばんちゃんの特徴である叡智演出についてもちょっとメモして置こうかなと。
叡智演出というのはいくつかの基本的な技法を組み合わせたもので、なんか特徴的なので勝手に僕が呼んでいるだけですw
2話が一番完成度高い叡智演出なんで、2話で説明します。
まずポイントの一つ目は言葉で説明しないというところです。
こうやってかばんちゃんと川を交互に映す編集的なテクニックを使って「ここに橋を作ろうとかばんちゃんは思っている」ということを見る側に伝えます。
なんで言葉で説明しないかというと、かばんちゃんが何をやろうとしているのかということそのものを物語の推進力にするためです。
よくある物語だと、ここで緊張感を出してお話を引っ張ろうとします。9話なんかがそうですね。セルリアンやまたは洪水みたいな、物語上の敵を出して、敵と味方を交互に映して成功するかしないかという緊張感を煽り、視聴者の目を引きつけようとします。
2話ではプロットに余裕があるので、こういう方法で視聴者の興味を引きつける必要はなく、ゆったりを叡智演出を行うことができます。プロットに余裕を持たせるのもテクニックの一つだったりします。緊張感を煽らないというのが、けものフレンズ全体の特徴だったりもします。だから何度も見られると。
台詞で説明してないからといって、説明をしていないわけではなく、例えば紐のある場所なんかは前半のギャグシーンで説明します。
他にも橋を作る以外の選択肢をあらかじめ排除しておく、背理法的な技法も使っています。
この浮かばしたり、ジャンプしたりしてるところですね。こうやって、あらかじめ「橋を作る」以外の選択肢を全て洗い出し排除しています。
こういう下準備をきちんとしてあるので、視聴者はここで「橋を作るんだ」と思うことができます。
でこの後、作業風景を見せて視聴者の考えを確信に変えます。
(あ!サーバルちゃんアホ面してるw)
で、結局橋を完全に作らずゴリ押しするわけです。かばんちゃんは一度も橋を作るなんて言ってないわけですから、視聴者の勘違いなわけです。
誰も傷つけずに笑いを取るというのは、すごいよねぇ…。
実はこの叡智演出というのは『アイアンマン』や『ブレイキング・バッド』で使われている演出手法に似ています。そういった比較もしようかと思ったのですが、記事が長くなりすぎたので、宿題として置いといて、全話解説終わった後にでもゆっくりやろうかなと。
新作映像というのもまだまだ先っぽいので、まったりと書いてます。
だいたい日曜日に更新しようと思ってますが、この記事みたいによく遅れます。
第一話その1・その2・その3
第二話その1・その2
第三話その1
第四話その1・その2
第五話その1・その2
第六話その1・その2・その3・その4
第七話その1・その2
第八話その1・その2・その3
第九話その1・その2
第十話その1・その2・その3
第十一話その1
3Dフィギュア
キョウシュウエリア・マイルカ
ジャイアントペンギン
メキシコサラマンダー
11話はかばんちゃん回なので、かばんちゃんの話をします。
ですが、その前に今まで書いてなかった分、これまでのかばんちゃんの話をしようかなと。(長くなりそう…)
かばんちゃんの特徴は地味ってことなんですが、何で地味にしたかと言えば、周りのフレンズさん達が派手すぎるので、主人公として目立たせるためには、逆に地味にする必要があったということでしょう。
色もフレンズさんに使われるような彩度の高い色を使わず、白や黒を多めに使ってます。これはカラフルなフレンズさんたちと並ばせると結構目立ちます。
また、かばんちゃん正体は何であるかというのが、物語の推進力になっているので、出自がわからないように地味にしているというのもあるかと思います。下の絵も左胸に何かマークが付いてますが、これも本編では消えてます。それくらい痕跡を消してます。
最近は主人公をかっこよくしたり、可愛くしたりするのが主流ですが、昔からそうだったわけではなくて、二枚目などと言われるように、かっこいいキャラやかわいいキャラは主人公とは別に存在してました。主人公はかっこよく、もしくは可愛く成るものでした。それに主人公が最初からかっこ良いと、応援する気にならないですしね。
僕なんかはそういうの裏読みしちゃうんでw
「主人公がカッコよくない!(可愛くない!)よし見よう!」と思ってアニメや映画を見る決断をしたりします。主人公がカッコよくない(可愛くない)モノは面白いことが多いと個人的には思ってます。
なんか、かばんちゃん可愛くないみたいな、流れになっちゃいましたが、けっしてそんなわけでなく表情を付けると、結構かばんちゃんは可愛くなります。
これは僕が作ったかばんちゃんなんですが、表情を変えるとこんな感じで可愛くなります。
何であまり表情を変化させないかというと、サーバルちゃんが感情出しすぎというのもありますが、まぁ人見知りだからでしょう。
僕自信も人見知りなんでものすごく気持ちがわかったりします。
例えば、1話にカバさんとサーバルちゃんの会話シーンがあるのですが、かばんちゃんが二人の会話に上手く入れず挙動不審になってます。こういうのを見ると自分のことのようで「あー!」ってなりますw。カメラさんも意地悪にかばんちゃんを追いかけていますw
かばんちゃんはいつも敬語を使ってるんですが、サーバルちゃんに対してだけは、1話の途中から敬語と使ってないんですよね。サーバルちゃんと二人っきりの時は冗談を言ってたりして。
ここ7話の冒頭ですが、ここ冗談言い合ってる時に表情を映さないのがいい感じです。空の抜けがすごくいい。
かばんちゃんが敬語を使っていない場面は、サーバルちゃんに対して以外にも少しあるのですが、それはまぁ本心を語っているってことなんでしょうね。
かばんちゃんは性別不明ですが、仕草はどう見ても女の子で、おそらく演技を付けている人も女の子として付けています。ですが、ちょっと演技が過剰に女の子すぎるので、男の娘っぽく見えなくもない。(どっちだよ)
僕が好きな仕草は第五話のラストですね。ここってそのまま座ってもいいんですが、一瞬座る場所を見るという仕草が入っていて、ちょっと色っぽくなってます。
上のカットでも分かるんですが、かばんちゃんはしゃべっている人が居る場合、目をそらさずそっちの方を見てくれるいい子です。全話でこの仕草が統一されています。(ただし11話でわざとそらす場面があります)
かばんちゃんはズボンが股擦れをおこさないように、ズボンの裾がだいぶ外側によってます。
それによってお尻の大きさが強調されています。
あと、かばんちゃんの特徴である叡智演出についてもちょっとメモして置こうかなと。
叡智演出というのはいくつかの基本的な技法を組み合わせたもので、なんか特徴的なので勝手に僕が呼んでいるだけですw
2話が一番完成度高い叡智演出なんで、2話で説明します。
まずポイントの一つ目は言葉で説明しないというところです。
こうやってかばんちゃんと川を交互に映す編集的なテクニックを使って「ここに橋を作ろうとかばんちゃんは思っている」ということを見る側に伝えます。
なんで言葉で説明しないかというと、かばんちゃんが何をやろうとしているのかということそのものを物語の推進力にするためです。
よくある物語だと、ここで緊張感を出してお話を引っ張ろうとします。9話なんかがそうですね。セルリアンやまたは洪水みたいな、物語上の敵を出して、敵と味方を交互に映して成功するかしないかという緊張感を煽り、視聴者の目を引きつけようとします。
2話ではプロットに余裕があるので、こういう方法で視聴者の興味を引きつける必要はなく、ゆったりを叡智演出を行うことができます。プロットに余裕を持たせるのもテクニックの一つだったりします。緊張感を煽らないというのが、けものフレンズ全体の特徴だったりもします。だから何度も見られると。
台詞で説明してないからといって、説明をしていないわけではなく、例えば紐のある場所なんかは前半のギャグシーンで説明します。
他にも橋を作る以外の選択肢をあらかじめ排除しておく、背理法的な技法も使っています。
この浮かばしたり、ジャンプしたりしてるところですね。こうやって、あらかじめ「橋を作る」以外の選択肢を全て洗い出し排除しています。
こういう下準備をきちんとしてあるので、視聴者はここで「橋を作るんだ」と思うことができます。
でこの後、作業風景を見せて視聴者の考えを確信に変えます。
(あ!サーバルちゃんアホ面してるw)
で、結局橋を完全に作らずゴリ押しするわけです。かばんちゃんは一度も橋を作るなんて言ってないわけですから、視聴者の勘違いなわけです。
誰も傷つけずに笑いを取るというのは、すごいよねぇ…。
実はこの叡智演出というのは『アイアンマン』や『ブレイキング・バッド』で使われている演出手法に似ています。そういった比較もしようかと思ったのですが、記事が長くなりすぎたので、宿題として置いといて、全話解説終わった後にでもゆっくりやろうかなと。
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初めまして、いつもとても興味深く読ませていただいております。
なるほど叡智演出!今まで何の気なしに見てましたが言い得て妙ですね。
こういった「かばんちゃんが考えている事を言葉でなくそれとなく伝える演出」が視聴者に押しつけがましくない感情移入や没入感を促しているのかなと思いました。
そういえば11話のサーバルちゃん救出シーンは叡智演出が入っていませんでしたね・・・
あのシーン、初見は何をするのか分からなくて見ていてたまらなく不安で、救出後はものすごくかばんちゃんが成長したように見えたのですが、今回のブロマガを読んで『「叡智演出が入らない」演出』だったのかな、なんて思いました。
なるほど叡智演出!今まで何の気なしに見てましたが言い得て妙ですね。
こういった「かばんちゃんが考えている事を言葉でなくそれとなく伝える演出」が視聴者に押しつけがましくない感情移入や没入感を促しているのかなと思いました。
そういえば11話のサーバルちゃん救出シーンは叡智演出が入っていませんでしたね・・・
あのシーン、初見は何をするのか分からなくて見ていてたまらなく不安で、救出後はものすごくかばんちゃんが成長したように見えたのですが、今回のブロマガを読んで『「叡智演出が入らない」演出』だったのかな、なんて思いました。